24号(1997年12月)


TIN News Update, 23 November,1997
Tibet Leaders to visit Europe

チベットの指導者ヨーロッパ訪問へ

チベットおよびその歴史に対する英国の理解を促進するために、中国政府は来週高位の
代表団をロンドンに派遣する。しかし、英国政府の対応は厳しいものになりそうだと報
じられている。この訪問は、強硬派がラサにおける権力闘争に勝利を収めたことを示し
ている。


代表団は、チベット共産党副書記長を務めまたチベット自治区最高位のチベット人であ
る、ライディが団長を務める。先週ライディは、チベットの文化と宗教に対する攻撃で
人気がない、チベット共産党書記長の陳奎元(Chen Kuiyuan)に公式に忠誠を誓った。

代表団はまた、フランスとドイツに対しても訪問を受け入れるように呼びかけていると
報じられている。さらに、チベット自治区政府主席の江村羅布(Gyaltsen Norbu)に率
いられた同様な代表団が、スペイン、ポルトガル、スカンジナビアを訪問する予定であ
る。

ロンドン訪問の日程は、12月2日からの予定であるが、11月21日(金)の夜英国
政府に通達された。英国政府は、中国大使館がこの訪問を計画していることを連絡して
いなかったと語った。

ライディが、英国議会に対するチベット支持派の2圧力団体および英国議会内のチベッ
ト議員連盟を含む、諸団体と会談をすることに同意する場合にのみ、訪問計画が進めら
れるとロンドンは通告したようである。外務省の広報官は、前例がないと思われる条件
が付けられたとの報について、コメントを述べることを拒否した。

「訪問はまだ決定していない」と、外務省の広報官は語った。また英国はこの訪問を招
待していないし、費用を負担する積もりもないことを強調した。「もし彼らがどうして
もここに来ると言うのであれば、旅行の日程編成のお手伝いをし、会談を設定しましょ
うと申し出た。我々としては、チベット人の人権侵害に対する強い懸念を表明する良い
機会だと思ってる」と、広報官は語った。

もし中国がこの訪問条件を受け入れれば、ライディはロンドンの名声ある王立国際問題
研究所で演説をする機会を与えられるであろうし、外務省の次官にも会えるであろう
と、デレック・ファチェットは語った。

中国の省レベルの地方代表団は、通常は文化経済代表団として訪問をする。したがっ
て「チベットの状況と歴史に対する理解を深める」という、純粋に政治的な目的を公言
する代表団の派遣は異例なことだ。「我々は全く当惑してしまった」と、ある西洋の外
交官は感想を述べた。

この訪問は、ハリウッド製作の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』に関連があ
ると思われる。この映画は11月21日(金)にロンドンで封切りになった。つまりこ
の訪問は、中国が歴史問題に対して過敏になっていることを示している。この映画はチ
ベットを独立国として描いており、1950年の中国人のラサ侵攻を、その10年前の
ナチスによる外国領土の収奪に比している。

もう一つの米国映画、マーティン・スコーシスの『クンドゥン(猊下)』は、12月
11日にニューヨークで封切りになる予定である。この映画も、チベットを独立国とし
て紹介している。今までは中国のチベット政策に対する西欧の批判の殆どが、歴史的な
問題よりも人権問題に焦点が絞られていた。

1948年以来のチベットの代表団

中国がチベットに対して歴史的な主張をする際に、中国が最大の懸念を抱いている国が
英国である。何故なら英国はかつて、チベット人と交易条約を交わしており、1947
年までラサに代表部を置いていた。中国の『宗主権』を認めているが、公式にチベット
が中国の一部だと言明したことは、これまでにもなかった。「我々の立場は、つまり政
府が継続的に受け継いで来た立場というものは、チベットは自治権を持っているという
ことであり、そこにおける中国政府の特別な立場を理解するということである」と、外
務省は11月21日(金)に述べた。

チベットの代表団が最後に英国を訪れたのは、1948年のことであった。ダライ・ラ
マ法王を首班に戴いたチベット政府の閣僚からなる代表団が、ビクトリア駅で赤い絨毯
を敷いた歓迎で出迎えられ、そのままバッキンガム宮殿に直行し国王に謁見した。

そして1948年の代表団はダウニング通りで首相の出迎えを受け、中国の強い抗議に
もかかわらず、チベットの旅券で旅を続けた。その2年後チベットは中国に侵略され、
1959年の決起に失敗してダライ・ラマ法王の政府は崩壊した。

ライディ、文化大革命の生存者

「1959年の反乱を鎮圧してからも、我々はダライ一派に対する闘争を続けて来た。
勿論その戦法は、その時々で様々であった。我々はチベットを公正にまた強力に知らし
めなければならない」と、今年7月25日にライディが語ったと雑誌『中国のチベット
』が伝えている。

「ダライ一派は国際的に『チベット独立』を触れ回ったが、我々は我々の進歩を宣伝す
るのが不十分であった。海外の多くの人々は嘘を真実と思い込み、我々が『人権を侵害
』し『宗教を抹殺』しようとしていると、我々を非難している。チベットを客観的に世
界に紹介することによって、国際的な世論形成の場において足掛かりを掴むことが、我
々の緊急な課題となった」と、彼は語った。

ライディは59才で、北チベット、ナクチュの遊牧地域の農奴の息子であった。これま
でに2度、代表団の一員として外国を訪問したことが知られている。1981年にルー
マニアに、また1987年には牧畜産業の代表団の一員としてオーストリアを訪れた。

彼は文化大革命の最中の1968年に、チベット革命委員会の委員に指名されたことに
よって、権力の座に浮かび上がって来た。この時期は、左派の人間だけが昇進できた時
代であった。1979年から1984年の間に、中国全土において文化大革命の指導者
たちは、殆どが穏健派の指導者に交替させられたが、ただチベットだけは例外であっ
た。当時の中国共産党総書記の胡耀邦が、チベット人は「革命世代に好意を示している
」のを理由に、ライディにその地位に留まるように命じたからであった。この2人は、
1975年に共産党幹部養成学校で出会っており、知り合いであった。

ドゥプカン・リンポチェ批判を受け、家に放火さる

この代表団に加わっているライディの同僚の少なくとも1人は、ナクチュ出身である。
彼の名は、ドゥプカン・トゥプテン・ケドゥップ、42才の僧侶で、ナクチュの宗教問
題委員会の委員長であったが、1995年以来ダライ・ラマ法王の批判者として急速に
昇進して来た。

昨年5月、彼はダライ・ラマ法王をチベット混乱の『根本原因』として非難した、と
1996年5月24日付けの新華社電は伝えている。「チベット民族は、過去700年
以上も中国の一員であった。中国の統一は、中華民族共通の願いであると私は思う。そ
こにはチベット民族も含まれている。そしてそれがチベット民族の最善の選択なのだ」
と彼は述べた。

同月、『ダライ一派』が爆弾事件や『テロ』に関与しているとして、ダライ一派に対し
て強い姿勢を示すように彼は呼びかけた。「公共の秩序を破壊し重大な犯罪を犯す者た
ちには、あらゆる段階の公安部もまた司法部も徹底的な打撃を加えなければならない」
と、彼はラサの政治協商会議において語った。「同時に、ダライ一派の悪辣な行為に関
する情報収集力と、彼らに対する攻撃力の向上に尽くさなければならない」と彼は語っ
たと、TINが入手した内部文書は述べている。

翌月、警察はラサの北方350kmのアムド郡ナクチュにあるザプテン僧院の僧侶を3
人逮捕した。この僧侶たちは、チャデル37才、チェーデ33才、それにロプサン・グ
ゥンドゥプで、独立要求を掲げたポスターを28枚か29枚貼ったという。ドゥプカン
は、このザプテン僧院の僧院長である。

昨年6月、ナクチュ出身の2人のチベット人、ニマとダワがドゥプカンの家を焼き打ち
にした罪で逮捕された。「ドゥプカン・リンポチェは、ダライ・ラマ法王を非難してい
ました。それでこの地域の人々は、彼に好意を持ってはいません。だからこの2人が、
彼の僧院内の家を焼き打ちにしたのです」と、この地域から来たチベット人は、8月に
ネパールでインタヴューに答えて語った。2人に下された判決はまだ不明である。

チベット自治区の代表団は7人で、副団長にラクパ・プンツォクを据えている。自治区
の副主席であり、チベット社会科学院の元院長である。そして2人の中国人の役人、チ
ベット共産党の書記長で遼寧省の共産党青年同盟の元指導者であったリー・リゴウと、
チベット対外関係部の副部長のジュ・ジンハである。

ライディ、権力闘争において陳を支持

チベット自治区内部の権力闘争の詳細が判明すると同時に、この代表団訪問の話が持ち
上がった。11月17日(月)ライディは、チベット・テレビを通じて演説を行い、直
属の上司であるチベット共産党書記長の陳奎元を支持することを表明した。

「陳奎元同志による演説は、彼自身の鋭い見解のみならず自治区共産党委員会の総合的
な英知を集約したものだ。チベットにおいて様々な事業を発展させるためには、陳奎元
同志が持っているような勇気と総合的な視点が要求される」と、ライディは述べた。チ
ベットでは他の指導者を公開の場で称賛することは極めて稀なことであり、これは陳奎
元を追放するためにチベット共産党の内部で権力闘争が行われている、というこれまで
の報告を裏付けるものである。

「自治区共産党委員会は結束しており、様々な面からの反対や妨害に会いながらも、安
定している。共産党委員会の中で、チベット人の委員と漢人の委員が強く結束している
ことは、自治区全体の幹部に対して良い模範となろう」とライディは付け加えたと、
BBCモニタリング・サービスは伝えている。彼はまた、「県や郡レベルの何人かの指
導者たちを補助するために『調整』が行われた」、とも述べた。これはチベット共産党
の中堅クラスの指導者の間で、人事異動が起きたことを示している。

11月7日(金)、陳奎元はチベット共産党指導者が交替するという噂は、『根も葉も
無い』ものだと評した。陳奎元に対する反対勢力は、チベット文化や宗教に対する彼の
強硬姿勢に反対しているのだと思われる。しかし彼の見解は、それこそが独立運動につ
ながっているのだと見ている。

チベット共産党の副書記のテンジンは、チベット文化やチベット教育の支持者だと見ら
れているが、BBCモニタリング・サービスやTINが収集した情報では、9月10日
以来公共の場には姿を見せていない。テンジンは、今年9月までは少なくとも月に2回
平均位で、比較的多く姿が見かけられていた。

(以上)

(翻訳者 小林秀英)



このページのトップへ

TIN News Update, 26 November, 1997
Tibet Delegation Cancels Visit after British Insist on NGO Meetings

チベット代表団、英国が非政府組織との会談を主張したために、英国訪問を取り消す。

英国外務省によれば、来週英国を訪れロンドンで報道関係者や閣僚に会う予定だった、
チベット共産党の代表団は訪問を取り消した。

これは、英国外務省が設定した代表団の旅行日程を、中国政府が拒否したものと理解さ
れている。

「チベットに関して意見を述べる人々をすべて網羅して、旅行日程を一緒に作ることに
我々は同意をしていた。それが我々が旅行をお手伝いする際の条件だった。結局代表団
は来ないことになった」と、外務省の広報官は昨日述べた。

英国政府は、代表団が『全党派チベット議員連盟』および『チベット協会』『自由チベ
ット・キャンペーン』との会談に応ずるように、主張したと思われる。しかし、中国側
はこの条件に同意できなかったのであろう。

代表団は、チベット共産党副書記長でチベット自治区最高位のチベット人である、ライ
ディによって率いられ、4人のチベット人と2人の中国人役人が同行する予定であっ
た。理論的には、この高官たちはまだ個人資格で英国を訪問することは可能である。し
かし、もう英国の高官との会談は不可能であろう。

ライディの訪問に対して英国外務省が課した条件は、英国政府のチベット問題に対する
取り組み方が変化して、今まで以上に強硬な姿勢を取り始めたことを示している。

代表団は、ドイツやフランスも訪問する計画であったと報じられている。しかしフラン
ス政府は、昨日公式な訪問要請を受け取っていないと語った。

代表団の派遣は、中国政府が諸外国との交流を促進することに、力を入れていることの
現れと思われる。別の代表団も、スペイン、ポルトガル、スカンジナビアを訪問する予
定である。チベット問題に関する中国の見解を表明する別の試みとして、昨晩ロンドン
の中国大使館は英国の報道関係者を招いて、ダライ・ラマ法王に関する95分のドキュ
メンタリー・テレビ番組を見せた。この番組は、今年の夏、議論百出する中で香港で初
めて公開されたものである。8月14日付けのチャイナ・デイリーが伝えるところで
は、この番組には「農奴、高名な歴史家、また老人たち」が出て、証言する場面が含く
まれているという。

「彼らは、ダライ・ラマが封建的農奴制度下の政治的また宗教的な指導者として、チベ
ット仏教の伝統に従っていかに厳しく育てられたかを証言した。そしてその後に、いか
に分裂主義者の道を歩むことになったかも証言した」と、同新聞は述べている。中国政
府は、インターネットを通じてこのビデオが入手できるように手配している。

チベットに関する諸外国の見解を改善する役割を持ったチベット共産党の役人が、今週
またヨーロッパへの旅行を取り消した。チベット自治区共産党の対外宣伝部の部長であ
るドゥ・タイは、今週スイスを訪問する予定になっていたが、理由不明で旅行を取り消
した。

幹部、ダライ・ラマ法王への支持はいかなるものでも報告するように申し渡される

昨日チベットからの情報として、ライディがラサの共産党指導部の内部闘争で、勝ち残
ったことが伝えられた。

BBCのモニタリング・サービスが公表した翻訳文によれば、11月20日にチベット
・ラジオは3日前のライディの演説を伝えた。彼は、「会議に参加した全員から、幅広
い熱狂的な支持」を獲得したという。

第5回チベット共産党大会の第3回準備会議を開会するその演説の中で、ライディは彼
の上司陳奎元の政策に触れて、幹部たちにこう言った。「陳奎元同志は、正邪を判別す
る際の正しい見解を示している」と。この意見は、ラサの共産党指導者の間で続いてい
た権力闘争で、陳奎元が北京の支持を取り付けたことを示していると思われる。

「統一と民主、また真実探求の雰囲気の中で、会議の参加者たちは心中を吐露し合った
」と、中国の地元ラジオの報道は続く。

11月20日のラジオ放送はまた、党員が「分裂主義に対する戦いで、曖昧なまた揺れ
動くような立場を取るならば、適切に批判され教育を受けることになろう」とも告げて
いる。

幹部たちは、共産党の党員として「公にもまた密かにも分裂主義者的な意見を述べるこ
と」、「分裂主義の活動をする活動家を匿ったり支援したりすること」、「歴史を捏造
し、チベットが祖国の不可分の一部であることを否定すること」、「宗教に関して誤っ
た見解を抱き、宗教を神聖なものと見たり、ダライ・ラマを最高の魂と見ること」は許
されないと、申し渡された。

幹部たちはまた、「ダライ一派が非合法的に発表し、自治区以外の勢力によって公認さ
れた転生者を支持すること」は、犯罪であると言い渡された。これは1995年5月
に、11世パンチェン・ラマと確認されて以来中国に『保護拘束されている』8才の少
年のことを言っているのである。

チベット自治区の規律検査委員会の書記ブッチャンが、指示に背く行為は「法律と規律
に従って厳しく処罰されることになろう」と述べた。「そのような事件に気が付きなが
ら、政府に報告することを怠った幹部たちもまた同様な処罰を受けることになろう」と
彼は付け加えた。

前回に送った報告で、ライディが1987年以来ヨーロッパを訪問したことがないと、
伝えたことは誤りであった。人民代表大会常務委員会委員長の喬石に同行して、他の漢
人の役人らと共に、1994年1月ドイツ、オーストリア、スイスに15日間の旅をし
ていた。

(以上)

(翻訳者 小林秀英)



このページのトップへ

TIN News Update, 7 December, 1997
New Party Chief in Lhasa ; Chinese Heads Lhokha Government
Patriotic Education to be Extended to Schools and Villages

ラサ市共産党に新書記、漢人ロカ行政府の首班となる
愛国教育、下級学校や村部にまで広がる

ラサ市共産党の新書記が選出されたと、自治区共産党の機関紙が伝えている。指導者間
の闘争が一層顕著になって、チベットの政治が騒々しかったこの1週間の間に、分裂主
義者に対する戦闘が宣言され、チベットにおける漢人事業者の商売相手が攻撃され、政
治教育が一般のチベット人にまで拡大されるとの声明が出された。

この決定は、『第5回チベット自治区共産党委員会、第3回拡大準備大会』と称する、
大きな共産党大会と関連があるものと思われる。この大会は、11月17日に開会され
11月20日に終了した。


11月16日にジャンパ・プンツォクが、ラサ市共産党の書記に選出された。ラサ市に
は周辺の田舎2万9千平方kmが含まれており、ラサ市自身の都市部はその内の51平
方kmに過ぎない。

「市共産党委員会の常任委員会の委員たちは、市民の良き僕となる覚悟である」と、ジ
ャンパ・プンツォクは就任式で語った。「我々自身を、精神的にまた政治思想的に向上
させ、働く姿勢を通して市民の僕としての新たな姿を大衆に見てもらえるように努力し
たい」と語ったと、11月17日付けの西蔵日報は伝えている。

同新聞は、新委員会は「より若く、もっと教養のある、またさらに革命的で、専門的な
能力があり、厳しい政治姿勢をもった幹部たち」によって構成されていると、伝えてい
る。

彼の指名は、まだ2年間しかその座に就いていない前任者ロプサン・ドゥンドップにと
って、寝耳に水の交替劇であった。ドゥンドップの新しい地位は、まだ判明していない
が、別の高位の地位に就いたのであろう。1993年以来、彼は自治区の副主席の地位
にもあり、1995年からは自治区共産党の委員会の一員でもあった。ドゥンドップの
前任のラサ市共産党書記はレッチョクであったが、彼は現在自治区副主席と自治区共産
党委員会の副書記の地位にある。

ロプサン・ドゥンドップと同じように、ジャンパ・プンツォクもラサ市共産党書記の地
位に就くまでは、1992年12月から1995年までロカ(中国語で山南地区)の行
政主任の地位にあった。またその後は、県レベルの共産党書記を務めていた。彼がロカ
の行政主任の地位にある間に、クロム鉄鉱石の鉱山の開発に着手し、同時に同地区を
「チベットの野菜と豚肉の供給基地」に変えた。

1983年から1992年まで、東チベットのチャムド県の副主任を務めていたことも
ある。1985年には、新たに設置されたニンリ県の共産党委員会の一員に指名された
こともあるが、その地位に就かず、チャムドの地位に留まる方を選んだ。

ジャンパ・プンツォクは、1994年と1995年にチベット自治区の代表として北京
の人民代表大会に参加した。また1994年3月の会期においては、4人の高官から成
る代表団の一員として人民代表大会に参加し、胡錦濤政治局常務委員(元チベット人自
治区共産党書記)に出迎えられている写真が、人民日報に大きく掲載された。4人の中
には、プンツォク・ラサ市共産党書記前任者のロプサン・ドゥンドップもいた。

この新ラサ市共産党書記は、1993年までチベット自治区政府文化部部長をしてい
た、ジャンパ・プンツォクとは別人である。彼は権力闘争の結果、チベット自治区芸術
文学同盟の主任という余り、重要でない地位に左遷させられた。

人事異動、ロカの新行政主任

ラサ市の共産党委員会の人事異動は、11月の16日に公表された。その前日、チベッ
ト自治区共産党のチベット人最高幹部の熱地(Raidi)が、「県郡レベルの指導層を強
化するために、調整が行われた」と述べていた。これは現在進行中の権力闘争が既に、
チベット自治区共産党の中堅レベルの人事異動に発展していることを示している。11
月18日付けの西蔵日報によれば、熱地(Raidi)は「様々な段階の指導者たちを実質
的に進歩させることによって、党の体制をさらに強化しなければならない」と語ったと
いう。

ラサとインド国境の間に位置するロカ県で新執行部が指名される際に、混乱が生じたと
の複数の報告がある。同県の前主任は1996年にその地位に就いたジャンパ・プンツ
ォックであったが、現在は漢人のフー・チュンハがその後任となっている。他の県は全
て、チベット人が主任を務めている。

熱地(Raidi)は同じ演説の中で、幹部たちには忠誠心の新基準が適用されることにな
ると語っている。これは幹部の中で、その地位を失うことになる者が出て来ることを暗
示している。

「自治区共産党委員会は、派遣幹部団を構成するに当たって、革命精神を第1に置く必
要があることを、既に明確にしている。そしてその革命精神の核とも言うべきものは、
分裂主義と闘い、祖国の統一を守ろうと強く主張することである」と熱地(Raidi)は
語った。「主要な必要条件は、分裂主義に反対すること、ダライを批判すること、祖国
に対して正しい見解を養成すること、民族問題にについても、宗教にについても、統一
工作戦線についても、文化についても同じことである」と、彼は付け加えた。

権力闘争、分裂主義者に焦点

自治区共産党委員会の内部で権力闘争が起こっているとの兆候が、自治区共産党書記の
陳奎元の演説から推察されたのが、11月7日のことであった。そして11月17日か
ら開催された4日間の共産党委員会準備会議において、この問題が取り上げられたよう
である。

準備会議の開会に当たって熱地(Raidi)がした演説は、会期の最終段階では『熱狂的
な支持』を受け、共産党の機関メディアによって広く宣布された。

同演説の中で、熱地(Raidi)は共産党指導層は一致団結し、陳奎元が「正邪を判定す
る際の正しい見解」を所持していると認定した、と述べている。しかし専門的な研究者
の意見によると、この称賛には熱地(Raidi)の陳奎元に対する挑戦的な態度が隠され
ているという。実際11月26日放送のラサ・テレビの『論評』では、熱地(Raidi)
の考えを「自治区の運営を導く正しい概念」と報じており、陳奎元が準備会議に参加し
ていたことにも触れていなかった。

チベット自治区の政治的な指導者たちは、独立運動を抑圧する必要性に目を奪われてい
るように見えるが、実際は1月以来独立要求派による爆弾事件もまた街路でのデモも殆
ど発生していない。しかし米国政府がチベット特別調整官を任命したり、若きダライ・
ラマ法王に焦点を当てた映画が封切りになる等の、重要な国際的な活動が起こって来て
いる。

「我々は、論理や思想またイデオロギーの分野において、ダライや分裂主義勢力に対し
て、全面戦争を宣言しなければならない」と、熱地(Raidi)が語ったと、BBCが傍
受した11月26日放送のテレビ『論評』は伝えている。

「チベットにおいては、祖国の統一を守る仕事があらゆることに優先して重要である。
そして安定が、何よりも大切だ。鍵はダライ一派の反動的な影響を決然と粉砕すること
だ」と、11月17日の演説で熱地(Raidi)は語った。

独立運動に対して、政治的な措置が実施されたとの報もある。11月7日付け西蔵日報
の報ずるところでは、チベットの人民武装警察は『予期せぬ事件』に対応するため、広
範な演習を実施した。これは明らかに、民衆の抗議運動を念頭に置いたものである。
11月8日には、「敵対西欧勢力とダライ分裂主義一派が、分裂活動と潜入活動を継続
している」のに対応して、チベット空軍の防御システムが改善されたと伝えている。

漢人事業家、権利を擁護さる:『他の人々にも儲けさせろ』

陳奎元は最新の2つの演説の中で、階級闘争の用語を使って分離主義者を定義しようと
必死になっている。しかし熱地(Raidi)は、第3回拡大準備会議における演説で、警
戒心は「人民の物質的また文化的な要求の増大と、社会的生産性の遅れが生み出してい
る矛盾にも」向けられるべきであると述べている。

熱地(Raidi)と共産党の序列で第3位にいる江村羅布(Gyaltsen Norbu)は、工夫を
しまた協力し合って、名前を挙げないままに何人かの共産党員を準備会議の席上で非難
した。個人事業者を拡大しようとする中国政府の意向に反対している党員がいる、と
言ったのだ。個人事業者というのは、チベット自治区では漢人事業者の流入を指してい
る。

「我々は、チベットにおける個人事業分野の成長に偏見を持つべきではない」と熱地
(Raidi)は、開会式で述べている。「我々は、個人事業の分野に偏見を持っているの
ではないだろうか。社会主義制度の優位性を余りにも一面的に信じ込んでいる人々がい
る」と、会議の2日目には江村羅布(Gyaltsen Norbu)は語った。

熱地(Raidi)も江村羅布(Gyaltsen Norbu)も陳奎元も、漢人の移住を受け入れるよ
うにと、チベット人を説得している。「我々は、広い寛容な心を持って外部の人間を迎
えなければならない。我々は、外部からやって来た商人の数がどうとか、外部の人達と
利益を分かち合うのが嫌だとかは言わないようにしよう」と熱地(Raidi)が語ったと
報じられている。これは、この地域の事業に参入する漢人事業家を呼び込むための政策
を、拡大させることを仄めかしていることだ。

「外部の人達が我々の商売や職業を奪ってしまうのではないかと、恐れるべきではな
い。我々が発展しているときに、他の人々がお金を儲けることに寛容でなければならな
い」と彼は続けた。陳奎元は今月初旬、チベットに移住してきた事業家たちを擁護し
て、「これらの人々は、これまで建設や開発事業に関与して来た」と語った。

再教育、一般の人々に拡大される

準備会議が終了した翌日、取るに足らない立場の役人の発言が大々的に報道された。こ
れは、指導者たちのどの様な発言よりも独立運動への攻撃を最優先するとの、姿勢の表
明であろう。またこの地域の政治状況を反映しているのかも知れない。

チベット自治区の民族宗教委員会の主任であるジャンパ・ケルデンが、段階的に「愛国
教育を農業組織や町、都市、政府組織、学校に拡大する」と述べたと、11月21日付
けの西蔵日報が報じていると、フランスの通信社AFPが伝えている。

「ダライの影響を除去し、人民の心を獲得する」ためには新政策が必要であると、彼は
共産党の会議で語った。「我々が僧院内での愛国教育だけをやっていたのでは、不安定
な状況が続けことになる。ダライ・ラマの影響力は、農村部でも町でも、学校や政府組
織においてもまだとても大きい。多くの農民たちは、チベットが中国の不可分の一部で
あることを十分に理解しておらず、ダライの本当の正体も知らない。彼らは、チベット
の不安定要因が何であるのかを知らず、政府の指導的な立場に立つ者であってもダライ
・ラマを強く批判せず、祖国の統一維持を訴えない」と、彼は続けた。

ジャンパ・ケルデンはまた、「空と地上からの電波」で影響を受けていることについて
も、何らかの対策が取られるであろうと語った。これは外国のラジオ放送を指してい
る、とAFPは報じている。

以上

(翻訳者 小林秀英)


このページのトップへ
TIN News Update, 12 December, 1997,
Tibet Delegation Visits Norway, Germany

チベット代表団、ノルウェー、ドイツを訪問

ノルウェー政府においては、チベット自治区の政府幹部の代表団と「建設的な」
対話の機会があった。自治区代表団は12月6日〜9日にノルウェーを訪問し、現
在はドイツを回っている。中国大使館によれば、これは「経済関係の代表団」と
されており、来週はボンでドイツの閣僚との会談が予定されている。

この自治区代表団については、団長がチベット自治区政府主席のギャルツェン・
ノルブであり、その他には、ノルブ主席の夫人、3人のチベット人、及び3人の
中国人の政府職員となっている。

ノルウェー外務省の報道官イングバード・ハブネン(Ingvard Havnen)は今回の
自治区代表団訪問について、「極めて有益であった」としており、「我々はチベ
ットにおける文化的・宗教的アイデンティティーを維持することについての重要
性やその他の課題について、建設的な対話を行った」と述べた。

ノルウェー外務省政務次官のジャン・ハーランド・マトラレー(Janne Haaland
Matlary)によると、この代表団訪問は、今年4月にノルウェーの政務次官ジャン・
エグランド(Jan Egeland)のチベット訪問への返礼として行われたもので、チベ
ットの状況を始めとした課題について中国との対話関係を維持するために行われ
たものであるとされている。

マトラレー政務次官によれば、「当方は消息不明となっている8歳のパンチェン・
ラマの詳細を始めとし、8〜9人の政治犯のリストを代表団に示した」とし、
「チベットの文化、宗教、言語、つまりは人権問題についての対話を行いたかっ
た」と述べた。また、「中国人は自分たちの評判にとって、人権問題がますます
重要になっているとみているようだった」とも付言している。


12月9日のノルウェー紙 Aftenpostenは、「チベットと中国の関係は全く何も問
題がない」と、この会見後にギャルツェン・ノルブ主席がコメントとしたとして
いる。また、ノルブ主席は同紙に対して、最近ラサでは反中国またはダライ・ラ
マ支援のデモは起こっておらず、また、大量の中国人がチベットに移住させられ
ているという話はウソである、とも語っている。同紙がノルブ主席の発言として
伝えるところでは、「我々はダライ・ラマとの間で、チベット独立を除くあらゆ
る全てのことを話し合う意志がある」としている。

ノルウェーの国会議員の一人は、自治区代表団と議員達との対話は不満足なもの
であった、としている。ノルブ主席は「言論の自由は完全に存在し、90%のチベ
ット人は幸せである」と言ったと、国会議員であり、議会のチベット問題委員会
委員長のバマーゲ・ブレンデ(Bmrge Brende)は述べ、また「我々はンガワン・
サンドル、ンガワン・チョエペル、チャデル・リンポチェ等の政治犯のリストを
示したが、ノルブ主席はチベットには良心の囚人はいないと言った」と してい
る。

また、自治区代表団は議員たちに対して、現在、ダライ・ラマは未だにチベット
完全独立を求めているので、ダライ・ラマとの交渉は不可能であるとし、ブレン
デ議員によれば、「自治区代表団は、ダライ・ラマは未だにデモで石を投げるよ
うな人達を直接ではないにせよ容認していることが問題だと発言した」とし、ま
たノルブ主席は議員達に対して、自治区代表団が会見場に入る際にチベット支援で
集まった人々がスローガンを叫んでいたことについて、代表団は快く思っていな
い、とも発言した。

議員達からの質問に対して、ノルブ主席は、亡命中のダライ・ラマ法王によって11世
パンチェン・ラマと認定された少年は、「両親と中国にいる」と述べたとある議
員は伝えている。またブレンデ議員によれば、「代表団は、その少年は他の子ど
もたちのようにサッカーで遊んでいる。両親が自分達がどこにいるのか他人に知
られたくないとしているので、我々も彼らがどこにいるのか答えられないと言っ
た」とのことである。

オスロの中国大使館は、以前に、自治区代表団がチベット支援の団体とオスロで
会見してほしいというノルウェー外務省からの依頼を断っている。今月初め、英
国政府は、チベット自治区から同じような代表団の訪問について、チベット支援
の団体と会見しなければ訪問を認めない、と明らかにしたところである。

ブレンデ議員によると「代表団訪問の条件としてチベット支援の団体との会見を
行うべしとしていた英国の姿勢を取らなかったノルウェー政府に対して困惑して
いる人は多い」とのことである。ノルウェー外務省は、ブレンデ議員が述べたよ
うな議会のチベット問題委員会との会談の機会を特に設けたことは否定しており、
代表団は、チベット問題委員会と特に会見したというわけではなく、様々な議員
達との会見があったのだとしている。

今回の代表団は、1950年の中国のチベット侵攻以来、チベットから派遣された代
表団のなかでも、文化経済関係ではなく、初めての政治的な目的のある代表団と
見られている。また、代表団内の序列2位にはノルブ主席に同行しているユンド
ゥン夫人の名前が掲載されている。極めて高位にあるものをのぞき、中国共産党
のメンバーが夫人を連れて出張することはまれであり、これは、地方政府レベル
の幹部が公式訪問において夫人を同行することを許可された最初のケースと考え
られる。

ノルブ主席は公式には代表団の代表ではあるが、カギを握っていると考えられる
のは、自治区対外関係部の副部長のヤン・ツークアン(Yang Zhikuan)であり、
また、これに同行しているのは、自治区政府副主席のチベット人ドンドゥプ(中
国語では普通「頓珠」と記述される)である。また、自治区貿易対外経済関係部
の副部長ワン・ジァユイ(Wang Jiayu)も随行しており、これは欧州からの投資
や援助を拡大したいという自治区の意向の現れとみることができる。

また、代表団には宗教界から、自治区宗教民族委員会の副主任であるチャラ(ま
たはジァレ)・ロブサン・テンジンも参加している。テンジンは僧侶としての生
活と修行を数年前に止めた人物である。また、ラサ大学の副学長チョエペルもメ
ンバーとなっている。

ギャルツェン・ノルブ自治区政府主席は1956年に中国共産党に入党した。チャム
ドの公安局長の後、自治区の情報部門や検察部門のヘッドを務めた。自治区政府
主席の他にも、チベット中国共産党委員会の常務副書記3名のうち、序列第2位
の地位にあり、中国共産党中央委員会の候補委員でもある。

直近で確認された発言については、11月19日の西蔵日報があり、「我々は人民大
衆を教育してダライの反動的な点を見抜くとともに、分裂主義と戦う意識を高め
ねばならない」とし、「我々は明確な態度を持って、やられたらやり返せという
戦いを続け、鋭く、ダライの真実の姿を暴き批判しつくし、何枚もの仮面をはぎ
とり、その反動的本質と封建主義下の奴隷制の暗黒を白日の下にしなければなら
ない」としている。

------- ノルウェーは文化関係のプロジェクトを支援 ------

自治区代表団はオスロで、チベット・ノルウェー大学間協力ネットワークとも会
見した。これはチベットの文化学術活動を支援するプロジェクトである。このネ
ッワークの活動には、ラサの地図を作成する「ラサ市地図冊」プロジェクトやラ
サや周辺の古い建造物を記録し保存作業を行う「文化遺産プロジェクト」がある。

このネットワークは1994年10月に、ノルウェーの4つの大学と、チベット社会科
学院、西蔵大学、自治区科学技術委員会との合意で結成された。また、オスロと
ラサの大学生の交換留学も行われている。

これ以外にも、ネットワークの関係プロジェクトに参加している2つの組織が会
見に参加しており、調査活動を行っている人権研究所と、平和研究所であり、後
者は北京の中国対外関係委員会と協力してチベット文化・文明の地図作成のプロ
ジェクトを開始している。

1996年には、ノルウェー外務省は、6百万クローネ(1億円相当)をこの大学間
協力ネットワークに拠出して、「ラサ市地図冊」、ボン教のセミナーやその他の
調査活動、チベットの学生のノルウェー留学の奨学金に充てている。更に、百万
クローネ(2千万円弱)が平和研究所のプロジェクトに拠出されており、また、
合計で11百万クローネ(2億円弱)がスイス赤十字や「国境なき医師団」のチベ
ットでの支援活動に拠出されている。

ノルウェーは、国際的な紛争仲介について長い間関心を持っており、1988年4月
には外務大臣クヌート・ヴォレバエク(Knut Vollebaek)を派遣して、北京で人
権問題に関する円卓会議をリードさせた。ノルウェーのチベット委員会のアンド
リュー・プレストンによれば、「ノルウェー外務省は自分達を紛争仲介における
新しいアプローチを開拓しているものと考えたがっているが、それは、中東での
例が示すように、非常に目立たない形で行われることが多い」とのことである。
ノルウェー政府は、またオスロから亡命チベット人がチベット語のラジオ放送を
するのを許可している。

―― アルゼンチンは中国のチベット政策を支持 ――

現在、「チベット研究の専門家」による文化代表団がアメリカ及び南米を訪問し
ている。BBC Monitering Serviceが伝えるところでは、代表団は、今週、ブ
エノスアイレスで、宗教問題担当の大臣と会見し、12月6日の新華社通信は「チ
ベットに関する中国の主張する立場を尊重し、政治的にダライ・ラマを支援する
ことは絶対にしない」とアルゼンチン政府から告げられたと報じている、とのこ
とである。

新華社通信によれば、代表団は、アルゼンチン政府に対してチベットでは人権は
完全に尊重され、保護されていると述べ、「この事実を無視するのは、チベット
の現状を理解していないか、何かウラの目的がある者である」と語ったとのこと
である。

新華社によれば、代表団は12月3日にアルゼンチンに到着し、ラ・プラタ大学や
マタンサ大学で、国際関係や中国研究のアルゼンチン側の専門家や学者と会見し
たとしている。代表団は、既にチリ訪問を終え、12月6日にはブラジルを訪問し、
その後アメリカに入り、ロサンジェルス、ニューヨーク、ボストン等を訪問する
ことになっている。

この代表団のスポークスマンは中国語記述でQueJieとなっており、チベット人で
チベット外国文化交流協会の副会長となっている。これはおそらく、自治区共産
党規律検査委員会のチベット人メンバーのチョェンジョール(Choenjor)か、もし
くは同委員会の副書記で昨年まで自治区政府の対外関係部長だったチョエギャル
(Choegyal)と同一人物だと思われる。

この代表団の団長は、自治区共産党対外宣伝部長のドゥ・タイ(Du Tai)である
が、代表団の3人の学者は中国人であり、チベット社会科学院研究員で「チベッ
トと中国中央政府の関係の専門家」ワン・ハオ(Wang Hao)、北京の中央民族学
院教授で「チベットの歴史と農奴制度の専門家」レン・イーノン(Ren Yinong)、
北京のチベット学研究所上級研究員でチベット民族と宗教の専門家のリ・グオヤ
ン(Li Guoying)となっている。

レン・イーノン教授は1990年には国家民族事務委員会のスポークスマンであり、
その年(訳注:ラサに戒厳令が施行されたのは1989年3月)の3月に戒厳令が施
行され、ラサの街に戦車が出動したが、その時のマスコミの報道に対して論難し
たことで悪評が立った人物である。

著名なチベット医者のケンポ・トゥル・ツェナムも一部の旅程に同行していると
されていたが、実際は、医学を教授するため英国に個人的な立場で短期滞在して
いる。

(以上)

(翻訳者 TNDスタッフ)


このページのトップへ
TIN Press Release / 15 December, 1997
- Study of 1,200 Tibetan Officials: New Leadership Emerges -

チベット人高官1200人を調査:新たな指導者層が明らかに

今月チベットから、チベット人の指導的幹部からなる3つの代表団が、現地の政治家に
国際的支援を取り付けようという新たな動きの一環として西側諸国訪問を希望してい
る。同時に、報道は、チベットで若いチベット人幹部と中国人党首脳部との間で権jBi:
争が起こっていると伝えている。

チベット・インフォメーション・ネットワークが12月15日に発表した大規模な調査に
は、20年間にわたって党によって養成され、いまや立派に外部に披露できるようになっ
た新世代のチベット人指導者らの台頭が示されている。



『チベットの指導者たち:ある人名録』(Leaders in Tibet: A Directory)には、チ
ベットの「第二世代」指導者(すなわち、すでに北京政府の信用を失った旧貴族たちに
とってかわるべく党によって養成されたチベット族幹部たち)、および彼らが運営する
組織の背景、歴史、統計が掲載されている。

この新たなTINの調査によると、チベット自治区において区レベル以上の部局を運営
する幹部のうち、チベット人は44%である。区レベルのチベット人に対する公式の数字
は82%とされているが、これは高位ではあっても大部分が儀礼的なものにすぎない役職
の細かな一例まで数えることによって到達する数字である。

この調査はまた、中国人高官は主に経済計画や軍事あるいは補佐官のポストを得ている
ことも明らかにしている。チベット自治区で調査した72県のうち62県で、中国人高官が
補佐官に就いていた。チベットにおける1200人の指導的幹部を網羅したこの人名録によ
ると、女性はその6%にすぎない。公式発表では、幹部におけるチベット人女性の割合
は32.3%となっているのだが。

『チベットの指導者たち』は、内部文書のデータを用い、地方レベルにおける中国の政
府機構への共産党の影響の広範さを示している。この文書によると、チベット自治区政
府の全幹部の20%は党組織をも運営しており、34人の政府職員に対して10人の党員がい
ることになる。多くの政府職員はまた党員でもあり、このデータによれば、すなわち、
チベット自治区の全幹部のうち44%が党員となっている。

中国あるいはチベットの地方レベル指導部についての、おそらく初めての広範な調査で
ある『チベットの指導者たち』には、チベットの指導的幹部の半数以上の人名と役職、
上位100名の略歴、および、中国の国家レベルの役職に就いているチベット人の詳細が掲
載されている。

『チベットの指導者たち』はまた、チベットにおける政治機構編成の詳細な年表も掲載
しており、チベットにおいて党による支配力維持を確実とするための北京政府の過去
50年間にわたる奮闘を、政府や立法機関が実際に党に支配されていることを明らかにし
つつ、年毎に調査して示している。

---------------------------------------------------------------------

TINは、本人名録の付録として常に「人名録最新情報」(Leaders Updates)を発行し
てゆく。「Updates」第1号は本稿に添付し、以下第2号(チベット自治区政府機関)、
第3号(チベット自治区の地区職員)、第4号(四川・青海・甘粛・雲南省の州職員)
は、TIN購読者に近々送付される。

“Leaders in Tibet: A Directory”は、TIN購読者には無料頒布、あるいは、£
24(US $40)にて販売する。学生と大量注文については割引あり。

TIN有料購読者であるにもかかわらず、12月20日までに“Leaders in Tibet: A
Directory”が届かない場合は、TINに連絡されたい。

本書注文およびTIN購読については、以下に連絡のこと。
Louise Fournier,
ph:44-171 814 9011, fax: 44-171 814 9015
or email: tinadmin@gn.apc.org

TINはチベットにおける最新の出来事・情勢についての情報および分析を提供する、
独立したニュース・調査サービスです。政府・ジャーナリスト・学術研究者・中国ウォ
ッチャーなども含むTIN購読者は、最新ニュースや背景報告文書を入手することがで
き、また専門家による解説、翻訳文書、調査サービスも利用することができます。“
Leaders in Tibet: A Directory”は、公安・産児制限・宗教政策など現代チベット情
勢を詳細に調査するシリーズであるTIN背景報告文書の第28弾です。

(以上)

(翻訳者 長田幸康)


英語の原文はTibet Information NetworkのホームページまたはWorld Tibet Network Newsで読めます。

このページのトップへ
他の号の目次へ
"I Love Tibet!" homepage