日本からの支援の経緯<2004年>

3月7日、東京都世田谷区のレストラン「らくだ」で行なわれた、映画「チベットチベット」上映会様から収益金をご寄付いただきました。ありがとうございました。

7月半ばから9月半ばにかけてチベットに行きました。

ラサに着いてすぐ、ナムリン・プロジェクト主宰者タシ・ツェリン氏に挨拶に行き、今年の分の寄付金15万円を手渡しました。領収書はこちらでご覧ください。ご寄付いただいた皆様、いつもありがとうございます。これに加えて、現地でのタシ・ツェリン氏への直接の寄付も何件かありました。あわせてお礼申し上げます。タシ氏およびご家族、スタッフ(サムドゥプ、ラクパ・ツェリン)とも、お元気です。


ナムリン・プロジェクトの現在の3本柱は、
  • ナムリン県内を中心とする各地の小学校(計65校)
  • エマガン職業学校(拡張中)
  • ラサで高等教育・職業教育を受けるナムリン出身の学生のための寄宿舎と奨学金(T.T.Fund)

小学校については現地政府がランニングコストを負担しているので、今後継続的にお金がかかるのは、職業教育・高等教育部門ということになります。

目下最大の心配事は、ラサの病院に検査を受けに来たナムリンの少女が、手術を要する心臓病だとわかったことでしょう。手術を受けるまでにも準備が必要とのことで、現在療養中です。


昨年アメリカで出版された、タシ・ツェリン2冊目の自伝“The Struggle for Education in Modern Tibet: The Three Thousand Children of Tashi Tsering” (William R. Siebenschuh編)を、借りて読むことができました。買えよと言われそうですが、この本、amazonでも13,000円以上(定価は$89.95。128ページ)。本を買うより寄付したほうがいいだろと思わせる値段なので、この機会を待っていました!

中身は、一段落ついたナムリン・プロジェクトの最新状況とタシ・ツェリン氏の人生について、1冊目の“The Struggle for Modern Tibet”には書かれていなかったことが中心で、読んでよかったと思える内容です。どのようにプロジェクトを始めるに至ったのか、ビジネスのやり方をどうやって身につけたのか、さまざまな団体・個人からの具体的な支援の内容、現地の幹部の協力、そして後継者の育成etc...。2002年にラサを訪れたギャロ・トゥンドゥプ氏(ダライ・ラマ14世の兄)と会った話なんてのも出てきます。本の中には、2001年にナムリンを訪れた九州の僧侶グループテラ・ネット(Terra Net)のこと、そして私の名前も載ってました(スペル違ってるけど)。


タシ・ツェリン氏の家はこれまで「ジョカン寺の前の広場のバルコル・カフェ並びの2階にあるチャン屋」というふうに説明してきました。住所は「Barkor Cafe 2nd floor, Lhasa, Tibet」でした。が、今年8月、バルコル・カフェ(という主に観光客向けのレストラン)が、なんと外資系のファーストフード店「ディコス」に変わってしまいました! タシ・ツェリンはお気に入りのようで、「旧社会では考えられなかった変化だ!」なんて言って嬉しそうに足しげく通っています。私も2度ほど一緒に行きました。
(写真は、ディコスでソフトクリームを食べるタシ・ツェリン氏。ポタラ宮の見える席です)

といった新しもの好きのタシ氏ですが、おいしいチベット料理が食べられる民家風レストラン最新情報も教えてくれて、ありがたかったです。


中長期的に見た場合の問題は、このプロジェクトをどう長続きさせていくか、です。タシ・ツェリン氏は、後継者となる人材には欧米留学経験が必須だと考えているようですが、それは同感。最も期待していた候補者(女性)が留学直前で辞退せざるをえなくなった経緯(つい最近の話し)が、上記の本に詳しく書かれていました。

チベットが“開かれてきた”といっても、中国化した外資系ファーストフードチェーンがようやく進出してきた程度。逆方向の、チベットに住むチベット人が合法的に国外へ出ること、そして戻ってきて社会復帰することは、色々な意味で、あいかわらず果てしなく難しいのですね。

タシ・ツェリンがアメリカ系チキン屋ごとき(?)を誉め讃えるのは、単なる新しもの好きというよりは、今なおチベットを覆う(旧社会とはまた別の圧倒的存在がもたらす)閉塞感から解き放たれる兆しのようなものを感じて期待しているのかもしれません。とりあえず、ジャンクフード食べ過ぎて体をこわさないでほしいです!