本土で頑張ってるチベット人たち
(97年秋・東チベット)
1997年秋に東チベット(四川省カンゼ州)某所を訪れたときのお話。何かと差し障りがあるため(笑)、人物名はすべて仮名です。

 朝7時半。ガワが目を覚まし、ベッドの上で朝の誦経を始めた。同僚のロゾンはまだ寝ている。こいつは酔っぱらってガワの部屋でそのまま寝込んでしまった。しかしなんといっても、いちばん酔っぱらっていたのは校長だ。かつては授業中にもボトルを懐にしのばせていたぐらいの酒好きだ。最近高僧(ラマ)に諭されてから飲むのをやめていたようだが、昨夜はヤクの生肉を肴にしたたか白酒を飲み、そして歌った。歌は主に「法王よ、お待ちしております」といった歌詞のもの。僕も暗唱できるまでしつこく歌わされた。

 そこは、26歳のガワが教師を務める学校の教員寮。先生1人に一つずつ部屋が与えられている。
 先生は校長を含めて5人。40代の校長、ガワ、同年代のロゾン、そして州では一番の師範学校を出たばかりの女の子ツァランと、州内で一二を争う低レベルの(と本人が言っていた)別の師範学校を出たばかりの漢人(ギャモ)の王(ワン)小姐で全部だ。

 朝8時。生徒が続々と登校を始め、校庭に椅子を出してきて、教科書を大声で読み始める。なぜなら村には電気がなく、外の方が明るいからである。
 秋の谷間に元気のいい大合唱が響く。ガワはツァンパをこね始めた。王(ワン)とツァランは早くも生徒たちの間を回って質問に答えている。ロゾンはまだ寝ている。

 場所はカム・テホル某所。バスターミナルのある最寄りの町(ゾン)から適当な車をヒッチして幹線道路を30分北へ上り、そこから30分ほど歩いて吊り橋を渡った丘の上の村。その学校は、欧米在住の某活仏がスポンサーとなってつい最近建てられた私立の「蔵文小学」の一つで、チベット語をまともに教えてくれる数少ない学校として人気が高い。6歳から14歳ぐらいまで100人弱の生徒がいるが、学生寮はない。一度、生徒の1人の家まで遊びに行ったことがある。歩いてゆうに1時間かかった。

momo
ご存知モモ。お茶はカム風のブラックティー


■帰国子女の悲哀

「95年にこっちに来たら、すぐにブータンとインドの身分証(パス)を取り上げられた。返す返すと何度も言ったのに、返してくれない。中国の身分証もまだ持ってないんだ。」
 ブータンで生まれ育ったガワは、イギリス人教師に習った流暢な英語をひたすら喋りまくった。この機を逃せば次に英語を喋る機会などとうぶん訪れそうにない――そう思っているのだろう。なにしろ、この村も、最寄りの町(ゾン)も、基本的には外国人が訪れてはいけないことになっている。

 ガワ家は、かつて自宅だけで3軒もっていた、いわゆる「ツァン」だが、亡命している間にすべては人手に渡っていた。帰国後は、なんとか町(ゾン)で小さな雑貨屋を始め、ガワ以外の家族はそちらに住んでいる。
「帰国して最初にやったのは、真冬に金を掘る仕事だった。あれは辛かった。給料はよかったよ。月1000元にはなった。でも、落石で友だちが死んだ。いっしょにインドから帰った友だちだった。よかったのは、体力がついたことかな」

 明るくそう言うガワは現在、学校で英語、チベット語、算数、美術、音楽、ダンスを教えている。5人の教師のなかでは最も高学歴で、(校長より)高給取り。歌って踊れて仏画も描ける多芸多才なガワだ。欠点があるとしたら、中国語、特に漢字がよくわからないということだろう。
「やっぱり英語を教えるのがいちばん楽しい。でも使う機会なんかないだろうなあ。ヤクを追ったり、麦を刈ったりするのがすべての生活なんだから。でも、この中でも1人でも外へ出て行こうという子がいれば、いいと思う。まあ、夢だけど……」

 なかなか殊勝なことを言うじゃないか。が、本当は自分こそ外に出たいと思っているくち。本音は、ラサに出て旅行業界あたりで働き口を探すつもりなのだ。ガワが“ボス”と呼ぶ、町で2番目の金持ちにして、この学校のスポンサー(ジンタ)でもあるギャ・ニマのツテを頼りに、虎視眈々とチャンスを伺っている。

Larung Gar
巨大僧院都市ラルン・ガル・ゴンパ


hh' seat
ダライ・ラマ法王の玉座(もちろん使われたことはない)



■中国人(ギャミ)だってタイヘンなんだから

 僕は単なる客であるから、基本的に暇だ。ときどきガワが担当している英語の授業などを覗きに行くと、ガワが気をつかって生徒たちに“Good morning, sir!”などと言わせるヤラセ(笑)をするので、あまり頻繁には近づきたくない。

 たいていは、授業のない先生の部屋で世間話をしたり、天気のいいときは、いっしょに散歩に行ったりしていた。授業のない先生というのは、なぜかツァランか王(ワン)の場合が多く、自然と女の子といっしょにいる時間が増えた。まさかこんなことが後々命取りになるとは思わなかったのだが。

 ツァランは静かで控えめ、いかにも成績がよさそうな女の子で、1歳下の王(ワン)は積極的で、どちらかというと、うるさい。同い年くらいの女の子どうしということもあるのだろう、この2人は仲がいい。食事(すべて自炊)もいつもいっしょに作って食べている。王(ワン)が知っているチベット語は、いくつかの挨拶ことばとニマ、ダワ、メト程度なので、会話はすべて中国語だ。2人の間にいわゆる「民族間の価値観の対立」などはまったく見られないステキな関係。

 けれど、日常生活レベルでチベット人が圧倒的に優勢なこの辺りでは、王(ワン)は強烈な孤独を感じている。教師も生徒も全員チベタン。中国人なんてその村に1人もいないどころか、隣の村にも、その隣の村にもいない。周りで喋っているコトバがまるでわからない状態が常に続くのだ。僕とガワが彼女の前でチベット語で喋ると、
「いま悪口言ったでしょ!?」
と怒る。たとえそれが「けっこうかわいいじゃん」「スタイルもいいし」というような会話だったとしても、悪口を言われているかのような被害妄想を抱いてしまう。

 王(ワン)は生徒にも(男の生徒中心に)人気がある。休み時間には独学で英語を勉強する真面目さももっている。
 が、ときどきキレて授業をすっぽかして行方不明になる。町(ゾン)の友だちの家に泊まりに行ったりしているのだ。
「そうでもしなきゃ気が狂いそうだもん」
 彼女は好きでここにやってきたわけではない。あまりよくない成績で師範学校を出たら配属されちゃったにすぎないのだ。今さらチベット語を勉強しろというのも、なんだか酷のような気がする。故郷を尋ねると、
「チャグサム」
 王(ワン)は、中国語で「濾定」(ルーディン)と言わず、チベット式の地名で答えた。

nomads
遊牧民の親子


■ロゾンの愛情故事(ラブ・ストーリー)

 さて問題はロゾンだ。ガワより2つか3つ下で、蔵文中学卒。ちょっと気が弱そうでお調子者だ。酒を飲むと僕と最も意気投合するのだが、こいつがなかなか侮れない。

 ロゾンがツァランに惚れていることがわかったのは酒の席。本人は覚えていまいが酔っぱらって自分からそう言ったのだ。
 僕はむしろ、よく喋る王(ワン)といっしょにいた時間のほうが長いと思うのだが、ロゾンの目には、僕がツァランと非常に仲良くしているように映ったらしい。たびたび部屋に出入りするだけならともかく、裏山から2人で帰ってきた現場を押さえられたのが決定的だったか。

 その復讐がすごかった。
 ロゾンはわざわざ授業を無断欠勤して町(ゾン)へ行き、同じ蔵文中学出身の公安ドルジに「旦那、あやしいガイジンが潜り込んでまっせ」てな話を吹き込んだのだ。
 その翌夕方、学校にドルジたち公安がやってきて、僕は見事に町(ゾン)に連行され、外国人出入境管理法違反の被疑者になったというわけだ。まあ、今となってはドルジと知り合えてよかったと思っているが(そもそもロゾンについてのすべてのストーリーを暴露してくれたのはドルジだ)、嫉妬を動機に密告とはなあ。

 こんなところで反撃しても仕方ないが、このさいすべてをバラそう。学校の隣には再建中の尼寺(アニ・ゴンパ)があって、100人近い尼(アニ)さんがいるのだが、ロゾンの幼なじみの女の子(かわいい)もその中にいる。彼女とは今でもけっこう仲良くやってるらしいじゃないか。そして、憧れのツァランには、実は師範学校時代からのカレシがいて、いまチャンテン(四川省の南のほう)に赴任している。そりゃ近くにいるもの勝ちってのはあるだろうが、こんなお隣どうしで二股かけたら絶対修羅場になるぞ(笑)。

Labsar
このヤローがロゾンだ!


■幹部学校で飲んだバター茶

 というわけで、おかげさまで優秀な公安官ドルジと1週間以上にわたって寝食を共にするはめになり、取り調べの合間にずいぶん色々なところに連れていってもらった。カムパの公安と一緒なら、もう何も怖くはない(笑)。

 それでわかったのだが、チベット人の公安関係のヒトビトは、州レベルのずいぶん高い地位にある者まで、立派な仏間をもつ部屋に住んでいた。中にはダライ・ラマの巨大な写真(クッパル)を誇らしげに見せびらかしてくれた者もおり、なんだか嬉しくなったものだ。

 一番楽しかったのは、大きな町の公安局と同じ建物の中にある「幹部学校」の学生寮の一室。将来中華人民共和国の、特に四川チベット域の公安方面を背負って立つチベット人幹部(レーチェーパ)候補たちが集められて教育を受けている場所――のはずだ。
 ドルジの同郷の後輩(と言っていたが、あきらかにカノジョである)の部屋に行ってみると、すぐにはドアを開けてくれず、誰何(すいか)に時間がかかっている様子。さすが公安養成機関ともなると身元チェックに慎重なのかと思いきや、
「盗電してヒーター使ってるから、誰が来たのかチェックしないとね」

 まだ二十歳そこそこのチベット人の女の子ばかり3人が暮らすその部屋に入ると、いきなりドンモが置いてあった。
 さっそくバター茶が用意され、パンとヤクの干し肉をいただく。肉は故郷から持ってきたすぐれもの。すべてがチベット式に進んだ。宗教系のものは置いてないが、禁止されているからというよりも、彼女たちが若いからだろう。

 長居するうちに、人が増えてきた。ノックの音がする度に、あわてて盗電用のコードをひっこ抜くドタバタが展開される。
 6畳ほどの部屋にベッドが3つ置いてあって、ただでさえ狭苦しい部屋はベッドの上まで人でいっぱいになった。被疑者の外国人をこんなところに連れてきていいのか? といったもっともな疑問を口にする者はだれもいない。こういう部下ばかりもつ上司は大変だよなあ。

 すでに夜中の1時近くになったので、いいかげん失礼することにした。彼女たちが口々に言う。
「絶対また来てね!」――プライベートに限って(笑)絶対お応えしたいリクエストであった。

「ラマ・ラ・チャプス・チェーン、サンジェ・ラ・チャプス・チェーン……」
 その日、未来の婦人警官たちがベッドの上で就寝前のお祈りをして眠りについたのは、午前2時だった。彼女たちの明るい未来を祈りたい。


バター茶をつくってくれた未来の婦人警官(さすがに顔は見せられません)


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