47号(2001年5月)

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 民族自治法、「西部大開発」計画支援のために見直される

TIN News Update, 13 March 2001
National Autonomy Law Revised to Support Western Development Policy

■民族自治法、「西部大開発」計画支援のために見直される

新経済政策が適用されている中国の西部地区には、チベット自治区および四川省や青海省、雲南省、甘粛省の中国の省に併合されたチベットの領域が含まれている。この中国西部地区を経済発展させようという新政策と適合性を持たせるために、中国政府は『少数民族』に関する法律を大きく見直した。1984年に全国人民会議において成立した「自治区民族自治法」を修正せよとの命令に、国家主席の江沢民は2月28日に署名したと、新華社通信は伝えている。党の政治・経済政策に基づいて自治地域の経済発展を計ることと、これらの地域と中国内地との一体性をさらに高めることに、この修正法は焦点を絞っている。新華社通信の報道によれば、2月28日に公布された新修正法は、自治権の行使にほとんど触れておらず、自治権とは対照的に国家の権利を強化しているように見える。

1984年の法律は、社会制度や行政また民族自治権の行使を重点的に取り上げており、少なくとも表面的には少数民族が地元の行政権を有し、地元の経済利益を守れるような配慮がなされていた。しかしながら新華社通信が伝えている新修正法は、自治権の問題には触れておらず、中央政府の優越権を大きく取り上げている。中央政府の計画通りに、「自治地域」の支配と経済発展を実現しようということである。新華社通信によれば、資源開発と大規模なインフラ整備が、少数民族地域の最優先課題であり、中央政府の「統一ある計画」と「市場の需要」に従うことによって、発展が可能になるとしている。この報道が示しているのは、もっと発展しまた人口も多い中国沿海部の地域の要求と、中央政府の政策が、少数民族地域の政策の指針になるということである。地元の利益は、政策決定の重要な要因ではなくなるということである。

新華社通信によれば、1984年の自治法に対する修正および追加は、「経済制度と高位の国家機関が民族自治権に基づいて地方に提供する支援や援助」に焦点を絞っているという。その目的は、「民族自治権の下で、地元の経済的また社会的な問題を解決し、経済的にも社会的にも発展を促し、民族の団結を促進する」ことであるという(2月28日付け新華社通信)。これは国家民族事務委員会の李徳洙大臣が、2000年6月に西部地区の開発と「中国の国家としての問題」の関係について述べた見解を反映している。党の機関雑誌『求是』に書いた記事の中で、李徳洙は西部地区「特に少数民族地域」の経済的また社会的開発を加速することが、「中国が現在抱えている国家的な問題を解決するには、際立って重要である」と述べている。これらの「国家的な」あるいは「民族間の」問題とは、「深く浸透した」宗教的な影響力、「根強い」伝統文化、また国境や資源に関して「頻発する紛争」を意味している(2000年6月1日)。修正された自治法は74条から成っているが、元の自治法は67条であった。「さまざまな点で修正と削除がなされている」と、新華社通信は伝えているが、具体的にどこが削除されているかは触れられていない。

明らかにされている修正の目的の一つは、「民族自治権の下で、地元の経済的な発展と社会的な進歩を促進することによって、遅れた地方と発展した地域の差を段々と縮めることだ」という。これは、1999年6月に国家主席の江沢民が打ち出した西部大開発のスローガンを、反映したものである。この目的を達成するための手段としては、政府の投資と助成金を増額することであり、外国と国内からの投資を「導入し」、「奨励する」ことであり、また資源開発とインフラ整備に優先権を与えることであり、そして西部地区の国家計画に忠実に適応することであるという。この修正法は、中央政府の助成金や銀行の融資を約束したり、あるいは地元の経済的な負担を免除するだけでは、経済的な刺激策となり得ないような地域で、大規模な国家的なプロジェクトを実行する際に便宜を供与することになろう。

自治地域の経済に中央の関与深まる

新華社通信によれば、修正法は政策、インフラ整備、金融の面で、「少数民族地域を支援する」ための、ハイレベルの準備であるという。1984年の自治法においても、「自治地域」が為し得ることは、「国家的な経済および社会開発の計画に一致する」行動のみであったが、修正法は自治地域における経済開発に中央がもっと直接的な関与をすることを認めている。自治地域の開発モデルは、地元の要求や利益よりも中国の市場全体の要求に基づくことになる、ということが修正法からは伺われる。国内市場においては、チベット人の経済活動が占める割合は極めて僅か(0.5パーセント以下)であるにも拘わらず、チベット人居住地域の経済改革が「市場の要求」を優先しているということは、比較的豊かで人口も多いけれども資源的には乏しい中国東部の要求を、チベット人の要求や利益よりも優先するということである。最近公表された西部地区の第十次五カ年計画(2001年〜2005年)では、大規模なインフラ整備に焦点を絞っているが、これは西部から東部へ資源を輸送するのが狙いである。

資源を供給する少数民族地域に対して、また「生態系の調和と環境保護に貢献して来た人々」に対して、国家が「ある程度の」経済的な補償を与える「手段を講ずる」ことを、修正法は明文化していると言われている(新華社通信、2月28日付け)。文言が不明確であって、「ある程度」とは何を意味するのか示されていないし、また地元の人々に十分な利益が及ぶのか否かははっきりしていない。しかしながら、自治地域の天然資源が採掘されるのだから、少数民族の人々は補償を受けるべきである、という原則を認めたこと意味している。中国の憲法は現在でも、この権利を認めてはいない。同憲法はただ単に次のように述べている。「天然資源(9条に基づけば、国家がこれを所有している)を開発したり、自治地域に企業を設立する場合には、国家はこの地域の利益に相応しい配慮をする」(118条)

同修正法はまた、自治地域の牧畜地帯あるいは山岳地帯においては、「自治機関」が全寮制の国営初等・中等民族学院を設立して、義務教育の必要性を満たすように明記している。インフラ整備や資源開発と違って、これらの学校の資金は国庫からの出費によるものではなく、地元政府の責任において賄われる。貧しい地域においては、これは地元政府にとって極端に莫大な出費となると思われる。また税金を上乗せすることは、人心を失うことにもつながる。もし地元政府にその財力がなければ、高位の政府が資金を提供するように明記している。しかしながら、地元政府が学校設立の資金を負担できないときには、それをどの程度まで表明できるのかが明確ではない。そのような負担は、高位の政府の怒りを買うかも知れないのだから。

公式統計数値に従えば、少数民族が中華人民共和国の人口に占める割合は、8.98 パーセントに過ぎない。しかし自治地域が領土全体に占める割合は、60 パーセントに達する。西部大開発計画が立案されている中国の「西部」の大部分は、チベット自治区や四川省、青海省、甘粛省、雲南省に併合されているチベット人自治州等の、「少数民族自治地域」から成り立っている。国防と治安の両面で中国にとって生命線とも言える、中華人民共和国の国境のほとんどが、「少数民族自治地域」に存在している。

注1:チベット自治区は1965年に中国政府によって設立され、揚子江から西側のチベットの領域を占めている。そこは以前は、ダライ・ラマ14世の政府に統治されており、英語では中央チベットと表記されることが多い。1949年以降は、他のチベット人が居住する地域は、隣接する中国の省、青海省、甘粛省、四川省、雲南省に併合された。これらの省では、チベット人社会は「小さな共同体」を作るように言われており、チベット人自治州やチベット人自治県を形成している。

以上。

(翻訳者 小林秀英)
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 『見せかけ』:僧侶を買収して公式儀式に参加させる
 3月10日を前に取り締まり強化

TIN News Update, 23 March 2001
“ A Kind of Charade " : Monks Bribes to Take Part in Official Celebration,
Security Clampdown for 10 March Anniversary

■『見せかけ』:僧侶を買収して公式儀式に参加させる
 3月10日を前に取り締まり強化

ラサ市政府は治安取り締まりを強化して、1959年のラサ決起の政治的な記念日である3月10日の反政府運動を阻止するためと、チベットの新年(ロサ)の最初の月にラサ市民が挙行する宗教的また文化的に重要な儀式を管理するために、特別な措置を講じた。3月10日の記念日を前に、治安要員の数が増強され、市内の重要な僧院や寺院の周辺に配置された。また政府は、「反国家」活動に参加しないように警告を発するために、記念日の数日前に元政治囚やその家族を集めて集会を開いた。政府の職員や幹部、学校の生徒たちは、チベットの新年(今年は2月24日に始まる)を祝うために、家に留まるように言い渡された。僧院の法会に参加したり、僧院や寺院にお布施を施すことは許されなかった。この期間中の治安取り締まりにも拘わらず、多くのチベット人巡礼や一般市民は、チベットの首都の中心的な寺院で供物を捧げた。

決起記念日は、チベット新年の満月の日という重要な仏教の祭日と重なっており、決起記念日の前日には、ラサ市内また周辺地区の僧院では、非常に厳しい制約が課された。3月9日は、仏陀が不正や無明に打ち勝った日とされ大事な仏教の祭日であるが、僧侶たちは僧院を離れることは許されず、ラサ市内に出入りすることも許されなかった。厳しい統制を課した公式なモンラム・チェンモ(新年大祈願祭)に、デプン僧院の僧侶たちが参加するように、ラサ市政府は現金を配った。この祭典が、完全に公式な祭典として挙行されたということは、チベット仏教徒にとってこの祭典が非常に重要であることを象徴している。

1980年代の後半には、多くの僧侶や尼僧がこのモンラム・チェンモの式典に参加するのを拒否することによって、政治活動家が逮捕されたことに抗議したり、また期間中に僧侶が独立要求デモを繰り広げる事件が頻発したために、ここ数年は祭典の開催が許されてはいなかった。現在は亡命しているラサ出身のチベット人が、次のように語っている。「モンラム・チェンモを祝う伝統的な儀式は停止させられており、現在ではモンラム・チェンモも名前だけの式典になっている。中国政府が多くの規則や規制を課しており、モンラム・チェンモの精神とは何の関係のない祭りとなってしまった。実質を伴わない、見せかけの儀式になってしまったのだ」。

チベット自治区政府の宗教局は、セラ、ガンデン、デプンのラサ三大僧院に役人を派遣し、モンラム・チェンモの期間中は自分の僧院内で儀式を挙行し、僧院を出入りすることは許されないと申し渡した。数世紀の歴史を誇るこの式典は、国家権力が宗教の権威に従うということを示しており、宗教的にもまた政治的にも大変に重要なものとされて来た。正式には、ガンデン、セラ、デプン僧院やそれ以外の僧院の僧侶らによって、ジョカン寺において挙行されるべきものである。

今年、三大僧院の中では、政府によって指示をされた儀式の他はいかなる儀式も許されなかった。最近ラサから亡命してきたチベット人によれば、こういった規制を犯した場合には、「犯罪人の捜査が行われ、法に従って裁きが下される」という。現在は西欧に居住しているもう1人のチベット人が報告しているところでは、デプン僧院では僧侶たちが公式な儀式に参列するように、500元(60米ドル、7200円)を政府が支払うという申し出があったという。「ラサの民衆は、僧侶や僧院に現金の布施をすることは許されていない。中国人は、一方の手で奪いながら、もう一方の手で施しをしているのだ。500元の支払いは、政府が棒(彼らの政策)を振り上げるだけでなく、自分たちの利益になればニンジンも提供することを示している」と、このチベット人はTINに語った。

2月15日付けの西蔵日報の記事は、現金贈与がデプン、セラ、ガンデンの僧院や、ジョカン寺院でなされたことを報じている。引退した僧侶も含めて、僧侶一人当たり300元(36米ドル、4300円)が支払われたと、この記事は報じている。チベット自治区の副主席ロプサン・ドゥンドゥップは、2月13日と14日に各僧院を訪問して、「僧侶一人一人に、300元を贈った。総額では、1900人以上の僧侶と尼僧に対して、11万元(13305米ドル、159万6600円)を贈った」と、同記事は伝えている。

元政治囚たち、一人一人呼び出されて警告を受ける

ラサ市政府とチベット自治区政府の司法当局の役人たち、およびラサの各刑務所の幹部たちは、3月10日を前にして5日間にわたって集会を開催した。この集会には、元政治囚およびその家族たちが参加させられた。ラサの元政治囚たちは、普段でも厳しい監視の下に生活をしているが、政治的に重要な記念日の前には、一人一人呼び出されて取り調べを受けたり脅されたりしている。しかし、元政治囚とその家族の公式な集会は尋常なことではなく、3月10日の抗議運動を今年は何としても阻止しようとの政府の試みの一つであったと思われる。TINが入手した非公式情報によれば、全ての元政治囚が呼び出された訳ではないということである。同情報筋が伝えているところでは、政府は元政治囚に外国のラジオ放送を聞いてはならないと脅しを掛け、思想教育キャンペーンに参加するだけでは不十分であると、言い渡したということである。さらに「党の素晴らしい政策と新たな環境の下で、元政治囚たちは社会に害を及ぼすことなく、社会に貢献をしなければならないとの説教を受けた。彼らはまた、反国家活動と闘わなければならないとも言われた」と伝えている。

チベットにおいて党の支配に対する反抗は、明確な政治的抗議運動という形で常に表現される訳ではない。今日の状況では、政治的な記念日に公衆の面前で宗教儀式を挙行したり、政治集会に参加しないという形で、隠れた反抗が表現されているのである。

以上
(翻訳者 小林秀英)
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 「天然資源の大規模な移送」:チベット鉄道とガス・パイプライン

TIN News Update, 23 March 2001
"Mammoth Transfer of Resources ": Tibet Railway and Gas Pipeline

■「天然資源の大規模な移送」:チベット鉄道とガス・パイプライン

中国は第10次5カ年計画において、青海−チベット鉄道と新彊自治区と上海をむすぶ懸案のガス・パイプラインの建設に、最優先権を与えることに決した。この鉄道とガス・パイプラインの建設は中央政府の2001年の予算に計上されており、地元や民間の投資よりも国家の資金が直接的に導入されることになるであろうという、これまでの報道を裏付ける結果となった。英国の石油会社ブリティッシュ・ペトロリアムが、取締権を持たない最大の資金提供者となっている中国の石油会社ペトロ・チャイナが、新彊自治区のタリム盆地と上海をむすぶ天然ガス・パイプライン建設の責を負うことになっている。5カ年計画(2001年−2005年)に盛り込まれている他の主要なプロジェクトには、中国西部から東部に電気を送ることや、揚子江の水を黄河に流し込む計画も含まれている。揚子江も黄河も共にチベット高原に源流を持っているためである。これらの巨大なインフラ整備プロジェクトは、「勤勉で勇敢な漢民族の英雄的な精神を示す」ものであり、「前例のない膨大な資源の移転」をもたらすことになる、と人民日報は伝えている(人民日報、3月14日付け)。

ラサへの鉄道は、漢民族の労働者や企業家がチベットの領域に移住するのを、大規模に促進することになると予想されている。プロジェクトが公表されただけで、膨大な数の労働者が移住を希望するようになっている。2月16日付けの人民日報が伝えているところでは、鉄道建設の計画を聞いて地元の労働者たちは職を見つける希望を抱き、チベット行きの切符を求めて成都の長距離バスのターミナルに「列を作った」という。鉄道建設の現場調査が3月1日に始まり、10月には終了する見込みである、と新華社通信は伝えている。「最盛期には」1600人以上の調査員が、鉄道ルート沿いで雇用されることになろうという(新華社通信、3月1日付け)。

昨日(3月22日)付けの人民日報の記事は、ルートの多くが永久凍土の大地を通過することになる最初の鉄道であるとし、そのために使用されることになるユニークな地質学的技術の概要を伝えている。人民日報が凍土における建設技術の高名な専門家として紹介している Wu Ziwang は、鉄道省が「断熱層や高架式」といった技術を含めて、凍土に鉄道を建設する方法を見いだした、と語っている。さらに困難な問題は、高度によるものである。人民日報によれば、鉄道ルートの5分の4以上が4000m以上の高度になり、通常の機関車では全出力の60パーセントしか出せないという。どうやってこの困難を克服するかを、人民日報は伝えていないが、機関車の専門家である Wu Xinmin は、将来的には鉄道の電化も視野に入れ、「地元の豊かな太陽光線や風力も補助的に使う」と語っている。国際鉄道ジャーナルのマイク・ナットンは、鉄道建設に伴う技術的な困難を克服することは、「大変だろうが不可能なことではない」と、TINに語っている。高高度における酸素不足と低気圧の問題を解決する方法が、同記事の中で示されている。中国の機関車専門家の1人は、航空機と同様の密閉型の機関車を使うことを考えていると話しており、他の専門家たちは「青海−チベット鉄道には世界最初の酸素供給装置を付けた列車が走り、高山病の医者が添乗することになろう」と語っている。

鉄道プロジェクトの経済的な負担と環境に及ぼす影響という観点から、中国国内にも批判が存在している。在中国のCNN上級記者 Willy Wo Lap-Lam が伝えているところでは、広東の新聞サザン・ウィークエンドが「短期的な経済利益を考えると、数十万億元の投資は回収できないであろう」と報じているという。国家主席の江沢民と首相の朱鎔基が鉄道建設の成功を確信していると言われているので、個人的な利益を考慮する漢人専門家で、鉄道建設に懸念を表明できる人はほとんどいないと、Willy Wo Lap-Lam が付け加えている。

チベット鉄道は「信仰心に脅威を与えない」

中国は計画中の鉄道建設に対する批判に対応するために、環境破壊の抑制と情報管理に既に着手した。ラサ市長のロプサン・ギェスツェンが次のように語った、とチャイナ・ディリー紙は伝えている。「鉄道が近代的な概念と生活スタイルをチベットにもたらすことになろう。しかしそれが、人々の信仰生活に脅威を与えることにはならない。西欧諸国では、科学、技術や輸送体系も発展しているが、宗教も繁栄しているのではないか」(チャイナ・ディリー、3月9日付け)。しかしながら中国政府がしばしば言及しているのは、チベット人の宗教的な信仰心こそが発展の障害であるということあり、仏教徒の宗教活動は公式報道機関でしばしば「時代遅れ」とか「迷信的」と評されている。少数民族の文化や宗教は、中国の国家からは解決しなければならない「問題」と見なされており、「民族的な特徴」は経済発展によって根絶やしにできる、と北京統治機構は長く信じている。

ほとんどの公式声明が、鉄道が環境に与える影響について言及している。中国国家環境保護局は、プロジェクトの第1段階が環境に与える影響について、中国の専門家が報告書を提出したと述べている。また地元の環境に与える悪影響を最小限に抑えるために、あらゆる努力をするとも語っている(新華社通信、3月22日付け)。また同日付けの人民日報に掲載された記事には、凍土の繊細さや強烈な太陽光線によって引き起こされる気温の変化、さらに高原で頻発する地殻変動の故に、「鉄道建設も含くめて、いかなる人間の活動も、地球に莫大な影響を与えずにはおかないであろう」と書かれている。中国国家環境保護局の役人 Mou Guangfeng は、鉄道ルート沿いの自然保護地帯では、野生動物が移動する獣道から「外れる」ようにすると述べているが、いかなる動物がそれに含まれるかを特定しはしなかった。人民日報は、鉄道が自然保護地域を通るところでは「動物が通る橋を懸け、通路を作り」、工事のために取り除かれた表土は「ほとんどが埋め戻される」という(人民日報、3月22日付け)。Mou Guangfeng は、「貴重な植物」を保護するために工事地域を「限定する」とも述べている。中国は過去にも、工事地域を限られた回廊に限定するために同ような制限を課したことがある。鉄道がもたらすことになる入植者の増加と資源開発の進展については、いかなる言及もなされていない。

アムド(現在は青海省や甘粛省に併合されている伝統的なチベットの領域)を広範囲にわたって旅したことのある西欧の環境問題専門家は、鉄道そのものが環境にどの程度の影響を与えるかは、路線沿いにどんな開発が行われまたどの程度の入植地や町ができるのかに懸かっている。「もし最低限の施設を作って直線距離で結ぶならば、環境に与える影響は限られたものとなるだろう。しかし沿線にできる建物の一つ一つが、チャンタン高原の環境に与える影響は大きい」。この環境専門家はさらに、鉄道が環境に与える影響で最大のものは、資源開発だと指摘している。「鉄道建設は地下資源開発と引き換えになるが、鉱床が分散していることとか永久凍土、厳しい環境や市場から遠いことによって、しばらくは資源開発も限られたものにならざるを得ない。水利の不便さとか気温の低さによって、鉱床の近くには精製施設を作ることはできず、都市部に作らざるを得ないであろう。鉄道建設によって、鉱石はもっと簡単にまた安く輸送できるようになる。実際にそういうことになるのであろう」。

昨日(3月22日)、中国環境保護局の役人 Mou Guangfeng は、「チベット鉄道の最初の工区は、ゴルムドからワンクンまでの138.9kmを結ぶことになろう」、そしてこの区間の建設計画は今年6月までに立案されることになると語っている(新華社通信、3月22日付け)。公式情報によれば、5、6年の内に鉄道は完成することになり、第10次5カ年計画(2001年〜2005年)において中央政府から20億元の資金提供を受けるという。孫永福は、最初の工区の建設が終わったら、鉄道はチベット自治区のシガツェやニンティに延長され、さらに雲南省に伸びることになると語っている(新華社通信、2001年3月7日付け)。鉄道建設によって、漢人の移住や地下資源開発に一層弾みがつくことになろう。ラサから雲南省へのルートは、元々4つのチベット自治区への鉄道ルート候補の内の1つであったが、青海省ルートよりも高額になる。1997年の試算によれば、投資総額63億元以上が必要とされ、およそ10年の歳月が懸かる、と2000年12月12日付けの西蔵日報は伝えている。

第10次5カ年計画、4つの『目玉』プロジェクト

第10次5カ年計画(2001年〜2005年)は、つい最近終了した北京の第9期全人代大の第4回会議で概要が明らかとなった。次の5カ年間の「主要なテーマ」は開発になると述べられおり、経済の構造改革を推し進めることと改革の「動力源」および、経済開放と科学技術の発展に焦点が絞られている。次の5カ年間の主要な目標は、国内需要に応ずるために資源開発を促進し、環境問題に対処し、中国西部地区の開発を「強力に推し進め」、「優先権のあるプロジェクト」に集中して力を入れることであると述べられている。他の改革計画としては、中国の国内地域間の人口移動を許可し、都市部と農村部および地域間の労働力の秩序ある流入を保証することである」という。

2001年の予算案によれば、鉄道建設、西部から東部へのガス・パイプライン、西部から東部への送電線、そして北部から南部への水供給等が、5カ年計画の「目玉」プロジェクトとして中央政府の予算に組み込まれている。中国西部のインフラ整備および資源開発プロジェクトのために、政府は今年50億元の公債を発行する。これらのプロジェクトは、その考え方と設計において、揚子江の三峡ダムのような過去の「特権的」な国家プロジェクトに類似している。

青海−チベット鉄道は、青海省の西寧−ゴルムド線をラサまで延長するもので、チベット自治区の首都を中国の鉄道網の中に取り込むことになる。ラサまで鉄道が延長されることによって、チベット自治区への物資の流通が楽になるだけでなく、地下資源の開発および観光産業の発展を促進することになる。しかしながら、プロジェクトそれ自体で採算が採れる可能性はなく、おそらく継続的な中央政府からの援助が必要になるであろう。採算性からだけ見れば成算のないプロジェクトであるが、治安の「安定」と国防の目的のためには必要不可欠だと判断されている。ラサ市長のロプサン・ギャルツェンによれば、青海−チベット鉄道は「民族間の交流を促進し、資源開発を支え、中国西部の経済発展を増大し、国家の安全を確保する」ことが期待されているという(チャイナ・ディリー、2001年3月9日付け)。また人民日報によれば、チベットでは輸送手段が貧弱であることと「隔絶された生活により特別に愚図な考え方が支配していること」により、「チベットの経済は停滞しているのだ」という(2001年3月13日付け)。

5カ年計画の中で他のもう一つの主要なプロジェクトには、新彊ウィグル自治区のタリム盆地から中国東海岸の上海まで、天然ガスを送るパイプラインの建設がある。「パイプライン輸送網」を建設しようという中国の計画の中で、このパイプラインは最重要なプロジェクトとして位置付けられている。二番目のパイプライン・プロジェクトは、青海省のセベイから甘粛省の蘭州まである。これらのパイプラインの建設目的は、現在のところ西寧や蘭州にガスを供給することだと解されているが、やがてこれらもパイプライン網に組み込まれることになろう。この両方のパイプラインは、中国の国営石油会社の子会社であるペトロ・チャイナによって建設されることになっている。英国の石油会社ブリティシュ・ペトロリアムは、ペトロ・チャイナに5億8千万ドル(7250億円)を投資しているが、英国のフリー・チベット・キャンペーンを初めとした、人権擁護団体に投資を引き上げるように要求をされている。チベットの資源が、地元民との相談もなしにまた環境への影響調査もなしに、中国によって搾取されることになるというのである。

5カ年計画に盛り込まれている、新彊−上海ガス・パイプラインと西部から中国東部への電力送電のプロジェクトは、比較的豊かで発展している中国東部のエネルギー需要に応えるためである。西部地域、例えば資源が発見されたチベットの、地元民に対する利益配分はほとんどないようである。人民日報によれば、西部から東部へのガス・パイプラインと送電線建設のプロジェクトが完成すれば、西部地域を「強力なエネルギー基地」に転換し、東部を「生産拠点」に転換することになろうという(2001年3月14日付け)。

4番目の目玉プロジェクトは、揚子江の水を黄河に流し込むものである。このプロジェクトでは、3ケ所のルートの候補地が挙げられている。河の上流、中流、下流域である。上流域のプロジェクトでは、チベット高原の2つの河の源流近くで、水の流れを変える。このプロジェクトが実行されるか否かは確定していない。上流域のルートは最も問題を孕んだルートで、もし実行されればチベット高原の生態系に重大な危機を及ぼすことになろう。

(翻訳者 小林秀英)
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 ンガバ刑務所の新たな報告

TIN News Update, 27 April 2001
New Report on Ngapa Prison

■ンガバ刑務所の新たな報告

四川省のンガバ刑務所の状況について、新たな報告がTINに届いた。ここは、政治囚の拘置所としてその重要性を増しており、注目を浴びている刑務所である。現在14人のチベット人政治囚が、ンガバ(アバ)蔵族羌族自治州マオウン県(茂県)のンガバ刑務所に収容されている。14人の政治囚の内11人が僧侶である。3人が同州内のキルティ僧院の僧侶、5人が隣接するカンゼ(甘孜)蔵族自治州のカンゼ・ゲペリン僧院の僧侶、そして1人がリタン出身の僧侶だと判明している。もう一人チベット人の高僧で、自分の僧院の近くで金鉱掘りをさせる地元政府の政策を批判して、6年の刑を受けた僧侶が収監されている。また信頼できる情報筋によれば、宗教指導者で学者でもあったソナム・プンツォク(http://www.tibetinfo.net/images-new/S-Phuntsog.htm)も、5年の刑でンガバ刑務所に収監されている。彼が拘留されたことが、1999年10月にカンゼで発生した大規模な抗議デモの発端になっている。

現在ンガバ刑務所に収監されているチベット人政治囚たちは、1990年代に独立要求のチラシを配ったりチベット国旗を立てたりして、さまざまな活動を行って拘束されたもので、3年から10年の刑期を務めている。ンガバ刑務所に収監されていた元政治囚のカンゼの僧侶は、「自由チベットのチラシを貼り、チベットに自由を!と叫んで」、1998年に拘束されたという。ンガバ刑務所で最も高名な政治囚は、カンゼ蔵族自治州のセルタル(色達)県のヌプスル僧院の僧院長カブキェ・リンポチェで、彼の僧院近くの金鉱開発に反対し、金鉱掘りを目指す漢人の流入に抗議して、地元政府に手紙を書いたために1996年6月10日に逮捕された。カブキェ・リンポチェは、学者としてもまた宗教指導者としても、ヌプスル僧院の僧侶たちや地元の人々の間で大変に尊敬されていたので、5年前に逮捕された時にはチベット人の間に憤りが広がった。その時カブキェ・リンポチェは、セルタルの人々にメッセージを送って、彼の思想を表す文書を書いただけだから、平静を保つように呼びかけたと伝えられている。

40才代の高名な学者でチベット語の教師であるソナム・プンツォクも、ンガバ刑務所に収監されていると思われる。彼が逮捕された理由は、地域で彼の影響力が強まることを政府が恐れたためと、彼のダライ・ラマ法王に対する忠誠心が問題になったようである。1999年10月24日にソナム・プンツォクが最初に拘束されると、数百人の人々が彼の釈放を求めてカンゼの町に繰り出した。政府は騒動が広まるのを恐れて、ソナム・プンツォクの取り調べと裁判をカンゼから離れた町で行った。彼がどこで判決を受けたかについては、幾つかの異なった報告がある。しかしTINが入手した最も信頼できる情報では、かれはンガバ刑務所に収監されているという。彼はまた、カンゼ蔵族自治州の州都タルツェド(康定)に拘束されているという情報もある。彼はしばらく、取り調べと裁判手続きの都合でタルツェドに拘束されていて、後にンガバ刑務所に移送されたのかも知れない。

カンゼ周辺で拘束されたチベット人政治囚は、警備の理由でンガバ刑務所に移送されているようである。カンゼ蔵族自治州の主要な刑務所は新都橋(チベット名:ミニャク)にあるが、施設が古いためにンガバ刑務所に比べれば、警備が手薄であると判断されているのであろう。新都橋周辺に居住する住民は大多数がチベット人であり、またカンゼ蔵族自治州を横断する主要公路にも隣接しており、囚人の家族にとっては慰問しやすい場所である。これに比べれば、マオウン県はチベット人の住民も少なく(1パーセント以下)、カンゼ蔵族自治州からは高額で体力を消耗する往復数日の旅をしなければならない。

ンガバ刑務所の状況

現在は亡命を果たした、ンガバ刑務所に拘留されたことのあるチベット人元政治囚は、ンガバ刑務所では政治囚は概して刑事囚よりも苛酷な扱いを受けている、と語っている。拷問を含む身体的な虐待は普通のことで、獄房もスシづめ状態で、政治囚は刑事囚たちの間に分散されて収監されているという。この元政治囚はTINに対して次のように語った。「大きな問題の一つは、食料が足りないことだ。囚人の家族がバターや肉、お金を届けてくれるが、看守たちがそれを取ってしまう。もし2人の囚人が喧嘩をして、一方が政治囚でもう一方が泥棒であったとすれば、必ず政治囚の方が殴られることになる。もし病気になれば、囚人に配られる薬は唯の一種で、頭痛薬だけである。しかもその頭痛薬も政治囚に配られることはない。彼らはこう言うのです。お前達は病気が直るように、ダライ・ラマに頼めとか、アメリカに救って貰えと」。政治囚は家族との面会も許されていないという。しかしそんなことも、遠くからはるばると時間とお金をかけてやって来る苦労や、看守から要求される高額な「費用」に比べれば、たいした問題ではないのかも知れない。

同元政治囚は、取り調べの最中に虐待を受け、それは収監されている間ずっと続いたと語っている。また囚人たちは、チベット語を話すことは制限されており、看守と話をするときには中国語だけを話さなければならなかったという。さらに彼はTINに対して、看守たちが宗教用具、例えば数珠とかお守りの紐、あるいはダライ・ラマ法王の写真を見つけたときには、それを押収して「踏み付けた」と語っている。1998年6月に当時の米国大統領ビル・クリントンが中国を訪問したときには、看守たちがビル・クリントンに来て貰って助けて貰えと馬鹿にしたという。

ンガバ刑務所に収監されていたことのある別の元政治囚は、ンガバ刑務所では囚人たちは制服を自費で購入しなければならなかったという。そしてもし制服を着ていないところが見つかると、殴打されたり罰を受けた。この元政治囚も現在は亡命をしているが、中国人の囚人たちは制服が支給されていたが、チベット人の囚人たちにはそれはなかった、と語っている。「刑務所内の購買部の物品価格は、一般市場の倍であった」。またチベット人囚人に面会する場合には、数元の費用を支払わねばならず、これはチベットの刑務所においては通常の手続きであるという。

同チベット人元政治囚は、多くの囚人たちが栄養失調に苦しみまた病気に苦しんでいるが労働を課せられていた、とTINに語った。多くの囚人に、毛髪の色素欠乏や皮膚が青白くなる栄養失調の症状が出ているという。「健康状態は急速に悪化して行き、衰弱した囚人はしばしば意識を失って倒れる」。この囚人のように衰弱しても労働を強制される者もいれば、また独房に閉じ込められて働くことも許されない囚人もいるという。

彼の収監されていた獄舎には、獄房が8室あったという。その各房に18人の囚人が収監されていたというが、この説明は刑務所の写真とも正確に一致している。主要な建物が4棟あり、他にも数個の施設が刑務所の壁の中に存在している。3棟は規模も大きく工場のような形をしており、刑務所施設としての機能が明らかになっていない。ンガバ刑務所の写真は、現在インターネット上で見ることが可能である。アドレスは、http://www.tibetinfo.net/reports/ngaba_prison/ngaba_prison.htm である。刑務所の全体像および離れたところにある主だった建物群、正門周辺の拡大写真、セメントを素材にした建設資材の工場とおぼしき労働区画等の写真が掲載されている。1枚の写真は集会場のものであり、一段高くなった演壇が見え、壁にスローガンが張り出されているのが判る。「理想主義の帆を揚げよ。新生活の向こう岸に向かって突き進め」と読める。建設企業や工場のような刑務所強制労働産業は、その名称に「新生活」という用語を取り込んでいるものが多い。主要な獄舎の他に、独房等の明らかに懲罰用と判る施設も、刑務所の他の区画からは一段と厳しい警備で隔離されて存在しているのが判る。

以上

(翻訳者 小林秀英)
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 『重要な政治的責任』:チベットの17条協定記念日

TIN News Update, 3 May 2001
"An Important Political Responsibility "
Anniversary of 17-Point Agreement in Tibet

■『重要な政治的責任』:チベットの17条協定記念日

1951年5月23日に、問題の17条協定が交わされたことを記念して、これから4カ月間にわたって一連の50周年記念式典を開催すると、中国政府は発表した。17条協定という用語の意味は、当時のラサ政府が行政権を握っていた地域において、文化的また政治的な自治権を約束したものであったが、1959年3月のラサ決起の後に中国は政治制度を変えて実権を掌握し、1965年にはチベット自治区を成立させた。同協定(正式名称は、チベットを平和解放するための中央人民政府とチベット地方政府の協定)締結の50周年を北京が祝うといことは、中国政府は引き続きチベットの領域を支配する正当性を、この文書に置いていることを示すものである。

ラサからの報告によれば、各地にある政府の文化センターや自治組織や学校が、式典に参加をすることは「重要な政治的責任」であるとの通達を出している。この式典は北京による広範な政治プロパガンダ・キャンペーンの一部を成しており、政治的に微妙なこの記念式典の間は、治安を維持し反政府運動を防止することが主要な任務であると、政府は役人たちに檄を飛ばしている。

政府は5月の記念式典を、経済開発を促進すると同時にチベットの領域と「祖国」との一体性を強調しようとする機会に、利用しようとしている。中国の公式報道機関は、ここ数週間の間に一連の記事を掲載し、中国による「平和解放」以来の半世紀の間に、チベットが進歩を遂げたことを強調している。また「分離主義に対する戦いに完全に勝利するまで、継続してダライ・ラマを批判し暴き続けなければならない」とチベット人を煽っている(西蔵日報、4月5日付け)。同新聞はさらに続けて、愛国教育や社会主義教育という観点から考えれば、記念式典は「幅広くまた鋭い思想教育」を実行する「またとない機会」を提供するであろう、と述べている。

ラサからの報告によれば、チベット自治区の政府機関は、今年の始めからこの記念式典の重要性を強調して来たという。5月23日の記念式典は、ポタラ宮殿前の広場で開催されるようであり、既に治安対策が講じられている。西蔵日報は、「チベットの平和解放」に果たした人民解放軍の役割と「新チベット建設の歴史的に重要な時期に、チベットに駐屯する軍隊や武装警察部隊、さらには公安の幹部や警察官たちが果たして来た確固たる役割を」強調して取り上げている(4月5日付け)。地元のチベット人たちは殆どが、公式な記念式典に参加することが要求されている。1999年10月1日の中華人民共和国成立50周年記念式典には、もしチベット人たちが記念式典に参加しなければ、給料や年金が削られることになると言い渡されていた。

この17条協定締結50周年記念式典は、幅広く政治宣伝政策を実施する上で、特に重要な機会だと中国政府は見なしている。何故ならば17条協定は、チベット人と中国人の間で交わされた唯一の文書であり、チベットの領域がチベット自治区として「祖国」の一部になったことを、中国人にとっては意味しているからである。中国政府が17条協定の条文を守らなかったにも拘わらず、協定が交わされた事実だけは重要視しているのだ。特に、中央政府は「存在する(チベットの)政治制度」には変更を加えずという条文は有名であるが、中央政府が与えた次の保証もある。「チベットの様々な変革に関しては、中央政府が強制することはない。チベット地方政府は、自分の判断で改革を実行すべきである」。1959年3月、ラサ決起とダライ・ラマ法王の亡命の後に、中国国務院は、チベット政府は実質的に解体され、「チベット自治区準備委員会」がその役を引き継ぐ、と発表した。1965年にチベット自治区が設立されたことにより、中国政府がもはや17条の協定には拘っていないことと、チベット人に与えられた自治権の範囲は中国人の気持ち次第であることを、はっきりと表したことになる。17条の協定には、チベット人の宗教信仰も風習や習慣も尊重され、僧院は保護されると述べられている。ダライ・ラマ法王やチベット亡命政府は、17条の協定は見せかけだけのために交わされたもので、最初から中国はその条文を守る積もりはなかったのだ、と語っている。

記念式典は、チベットの領域を含む中国の西部地区を開発しようとの、北京の政策と密接なつながりがある。記念式典は、チベットの総合的で調和ある、また社会的、政治的、経済的、そして文化的な発展が、チベットの実情を踏まえて共産党が実施して来た民族同化政策がもたらした偉大な勝利であることを、幹部にもまた「各民族の大衆にも」もっと良く理解させる機会であると、4月5日付けの西蔵日報の記事は報じている。民族のアイデンティティーや文化、特に宗教は発展の障害であると、北京は見なしている。そして17条協定の記念式典を重視することは、チベット人すなわち「少数民族」の利益は漢民族の利益と一致する、との公式見解を強調することにもなる。

以上

注:5月23日の直前に、TINは17条の協定に関する短い報告を出版する。大ざっぱな歴史的解説と現在中国政府が実施しているチベットに関する政治宣伝政策に対する論評も付け加えている。

(翻訳者 小林秀英)
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英語の原文はTibet Information Networkのホームページで読めます。

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