46号(2001年3月)

他の号の目次へ
"I Love Tibet!" homepage


 カルマパ亡命から一年、チベットの僧院は緊張

TIN News Update, 05 January 2001
Anniversary of Karmapa escape; tension at monastery in Tibet

■カルマパ亡命から一年、チベットの僧院は緊張

カルマパ17世がインドに逃れて1年がたち、チベットにあるカルマパの僧院ツルプ寺では緊張状態が続いている。警官が常駐し、僧侶への規制が強化されているのは、彼らが精神的指導者の後を追って亡命するのを防ごうという狙いであろう。ツルプ寺には新たに僧侶が入ることは許されず、僧侶たちは仏教の勉強よりも、中国のテレビ放送を見たり「愛国教育」集会に参加させられている。カルマパが転生ラマと認定したある少年僧は、カルマパ亡命以来、ツルプ寺近くの自分の寺から移動させられている。

チベット仏教カルマ・カギュ派の精神的指導者である15歳のカルマパは、2000年1月5日、ダライ・ラマとチベット亡命政府の本拠地であるダラムサラに到着した。ダライ・ラマと北京が17世カルマパと認定したウーギェン・ティンレー・ドルジェは今なお、亡命先の本山であるシッキムのルムテク寺に行くことができず、ジャーナリストによるインタビューも受けられない。しかし、チベット亡命政府は、カルマパは近い将来ルムテク寺に行くことを許されるだろうとの楽観的な見解を示している。亡命政府宗教大臣のタシ・ワンディはTINに対し、カルマパのインドにおける地位は、彼がインドに滞在するのを許されているという点で、今やより確実なものになっていると語った。タシ・ワンディは次のように語る。「インド政府は、中印関係を悪化させないよう、わずかながら慎重路線をとっているのだ」。

中国当局はカルマパ亡命によって大恥をかいた。チベットにおける中国の宗教政策を正当化するための試みの一環として、ウーギェン・ティンレーを共産党に忠誠な「愛国的」人物に育て上げようとした党の政策の失敗を満天下にさらしてしまったのだ。現地当局は、亡命の状況についての調査を始め、彼のとったネパール経由のルートの詳細情報を得ようとし、緊急に僧院の警備体制の見直しを行なった。ツルプ寺の民主管理委員会に加えて警官の駐留チームによって僧侶らは亡命への関与について尋問を受け、警備体制が強化された。チベットからの報告によると、カルマパ亡命後に拘束された2人のツルプ寺の僧侶は寺に戻らず、今なお拘束されているようだ。

最近チベットから逃れてきたチベット人はTINに次のように語った。「寺の警官たちは僧侶らにラジオを聴くなと命じた。彼らは、もしインドに行ったら、本当にひどいことになると言っていた。彼らは僧侶らにこう告げた。中国のテレビを見よ。中国のラジオを聴け。麻雀などの中国のゲームで遊べ。仏教など勉強してはならない。なぜなら、役に立たないし、将来の助けにはならないからだ。お前たちのラマはインドに行ったが、お前たちは行ってはならない」。ラサから車で3時間ほどのツルプ寺には現在320名ほどの僧侶がいる。政府職員や党幹部は子息を僧院・尼僧院から引き上げなければならないという当局の規則に従って、数人の僧侶が最近追放されたと報告されている。

昨年初頭には旅行者はツルプ寺を訪ねることができなかったが、現在は訪問が許可されている旅行者もいる。ここ数ヶ月の間にツルプ寺を訪れた欧米人はTINに「まだ雰囲気は張りつめている。僧侶らは外国人と話したがらない」と語った。カルマパが去る前に民主管理委員会が張り出した規則がまだ掲示されており、その中には、許可なくカルマパと会話することを禁ずるという、今や時代遅れとなってしまった禁止事項もある。

TINが入手した情報によると、17世カルマパがパウォ・リンポチェと認定した少年が、自分の僧院から通常の学校へと移された。パウォ・リンポチェはカルマパ17世がはじめて認定したトゥルク(転生ラマ)であり、カギュ派の重要人物である。彼の本拠地は、ラサ市トゥルン・デチェン(堆龍徳慶)県にある、ツルプ寺近くのニェナン寺である。

カルマパの遊牧民の両親トンドゥプとロガは、ラサの住居から移動させられた後、まだチベット自治区チャムド(昌都)地区の実家にいると伝えられている。TINが入手した報告によると、両親はずっと現地役人らの監視下にあるという。

インドにおけるカルマパ17世の地位

昨年のインド到着以来、ウーギェン・ティンレー・ドルジェはダラムサラから数マイルのシダプールのギュトゥ寺で学んでいる。彼はしばしば客人や巡礼者の相手はするものの、移動したりジャーナリストに話したりすることは許されていない。インド政府がカルマパの移動と報道関係者への発言について制限を課しているのは、中国との脆い関係や、彼のシッキム帰還問題の微妙性を考慮したものである。シッキムは1973年にインドに併合されたが、中国はこのインドの主張を認めていない。警備の問題も一つの要因となっている。チベット仏教カルマ・カギュ派内の一分派は、ウーギェン・ティンレー・ドルジェをカルマパとして認めることを拒否しており、17歳のタイェ・ドルジェを独自候補として立てているのだ。

チベット亡命政府宗教大臣タシ・ワンディはTINに次のように語った。「カルマパは現在、インドに滞在できるという地位にある。彼に法的地位が必要だと言うのは正確ではない。インド政府は現に彼が滞在することを許しているのだ。しかし、インド政府は、彼の滞在をあまり目立たせたくはない。事態を注意深く進めたいというのが希望のようだ。特に、外交取引面や、近々行なわれる中国共産党要人のインド訪問の観点から。李鵬=全国人民代表大会委員長が今月訪問することになっているし、朱鎔基首相も近々デリーを訪れる可能性がある。しかし私たちは、カルマパが遅かれ早かれ、おそらく半年以内にはルムテクに行けるだろうと楽観視している。インド政府は彼の将来については積極的な態度を見せている」。

カルマパはインドのアタル・ビハリ・ヴァジパイ首相に宛てて、シッキムのルムテク寺に行くのを許してほしい旨をつづった書簡を書いた。「この書簡によって、彼自身の意見や状況が明確になった。それは現状において有効なものとなりえる」とタシ・ワンディは言う。この書簡の中でカルマパは、亡命のすべての状況を説明した。彼は亡命して以来、チベットには信仰の自由がないことを認めている。ツルプ寺にいた当時、タイ・スィトゥ・リンポチェやギャルツァプ・リンポチェといった重要な宗教上の師匠らにアクセスしたいというカルマパの希望は常に当局によって拒絶されていた。そこでカルマパは、党に要求に従うことへの不満をますます表明するようになったのだ。インドの報道に見られるような、カルマパの亡命が中国当局によってお膳立てされたものだという推測を支持するような証拠は何もない。

ダライ・ラマもまたインド政府に対し、カルマパに対する移動の制限を解除するよう依頼している。カルマパがその地位と称号を亡命の身で引き受けて自らの宗教教育に従事できるように、そして、ブダガヤやヴァラナシのようなインドの巡礼地を訪れることができるようにである。ダライ・ラマは2000年8月21日、ダラムサラのギュトゥ寺で開催された第3回国際カルマ・カギュ会議での演説で「私たちはカルマパのインドにおける滞在地位問題の解決についてインド政府と協議を始めた」と語った。「私はインド政府にこう言った。カルマパの本来の本山はチベットのツルプにあり、第二の本拠地はシッキムのルムテク寺にある。論理的に言って、カルマパ17世はチベットから到着した後、直接ルムテクに行くべきであり、先代の第二の本拠地に戻るのが自然であろう」。

チベット仏教の伝統によれば、カルマパの主な責務は仏教を学び、修行をし、その系譜を守ることである。その過程においては、教えや灌頂の伝授のために主要な師の存在が不可欠であり、カルマパはチベットでこれを拒まれたのだ。

カルマパは亡命の身において、ダライ・ラマへの忠誠と、カギュ派、ゲルク派、ニンマ派、サキャ派といったチベット仏教各宗派の調和に協力することを強調している。ダライ・ラマは昨年8月のカルマ・カギュ会議での演説の中で、チベットの将来という観点から、若い後継者たちの重要性についてふれた。彼は次のように語った。「[カルマパに]会ったとき私が言ったのは、現在の世代は歳を重ねており、私はもう65歳だということだ」「私たち(およびすべての門弟たち)はいつも師の長寿を祈り、妨げのない人生を祈るけれども、実際には、だれもが遅かれ早かれ去りゆかねばならないのであり、他の選択肢は存在しない。釈尊でさえ、そうであった。私は41年前に難民となり[私たちは今なお]チベットの自由のために闘っている。近い将来、10年か20年ほど先には、サキャ派、ゲルク派、カギュ派、ニンマ派の新しい後継者たちが非常に重要になる。その時代には、若い世代の後継者たちに全面的に依存することになるだろう。現在15〜20 歳の若い世代が非常に重要なのだ。例えば、サキャ・ティズィン猊下の子息や17世カルマパ、ウーギェン・ティンレー・ドルジェである」。

以上

(翻訳者 長田幸康)
▲このページのトップへ

 中国人・チベット人幹部の教育によって草の根レベルの管理を強化

TIN News Update, 11 January 2001
Grass roots control stepped up with education of Chinese and Tibetan cadres

■中国人・チベット人幹部の教育によって草の根レベルの管理を強化

少なくとも70人の中国人幹部が、町村レベルでチベットの指導的役割を担う準備のためにラサのチベット大学で学んでいる。これは、チベット人幹部に対する思想教育の強化を重要視することと並び、チベット農村部の管理を強化しようという中国当局の多くの方策の一つである。

チベット自治区や青海省、四川省、甘粛省、雲南省のチベット地域などの中国西部を開発しようという現在のキャンペーンで常にテーマとなるのが、熟練した、教育を受けた労働者の必要性である。しかし、ラサのチベット人の間には、自治区や地元当局が技術的な専門知識よりも思想的な健全性に重きを置き、チベット人幹部らが中国で学んだ技術などは、現在のチベットの社会経済的現実においてはほとんど実際的な応用がきかないということに対する懸念がある。またチベット人たちは、行政の末端レベルにおいてチベット人幹部が中国人に続々と置き換えられていることを案じている。

チベット大学でチベット語と民族政策を学んでいる70人の中国人幹部らは、3年間の課程を修了後、チベット自治区の農牧地帯でさまざまな行政職に任命されることになるだろう。チベット大学首脳らは、これほど多くの中国人がチベット語学部に入るのは学部創設以来はじめてのことだと語り、公式の談話の中でこうした学生を歓迎している。報告によれば、チベット大学首脳部はまた、チベット語学部への中国人編入の政策は継続し、将来強化され、現在の中国西部開発キャンペーンを背景に、これら中国人卒業生たちは大きな貢献をすることができるだろうと語った。大学側は学生らに、これら中国人卒業生たちは「チベットの社会的安定と平和を強化し防衛するために特に有効となるだろう」と告げたとされている。

現在亡命しており、かつてラサに住んでいたチベット人はTINに次のように語った。「ラサやシガツェといったチベット自治区の都市は今や中国の都市と同じだ。中国は同じようにチベットの農村部も変化させて管理したがっている。そうするために、最も重要となるのがチベット語なのだ」。

チベット人幹部に対する中国での教育は、草の根レベルでの地元経済の発展に適した実際的な技術よりも、政治教育と思想教育に焦点を絞ったものである。亡命した別のチベット人は次のように語る。「中国各地で専門家教育を受けるよう任命されたチベット人たちは、自分たちが働くことになるチベット地域を覆う現地の現実的状況を重視するのではなく、政治的な教化を受けている。こうしたチベット人らが学んでいるのは、[産業の]経済的生産性を高める科学的・技術的方法についてである。しかし、それは中国の開発政策に基づいたものであり、チベットの農牧業地帯で実践されている伝統的な生産法のかわりに、経済的生産性を向上させる科学的方法を普及させるキャンペーンを推進することを狙ったものだ。こうした政策はしばしば[チベットの]現在の経済的現実やチベット人の生活文化とそぐわないものである。これらのチベット人幹部らは、教育を終えてチベットに帰ってきて、中国で何年も学んだものが応用できないことを知る。自治区や地元当局は、専門家としての経験や専門技術を身につけた者よりも、共産主義の思想的基礎を身につけた者のほうを敬意と好待遇をもっ評価している。

政治的に信頼できると判断されたチベット人指導者や幹部は、その地位を保つことができ、中国人着任者とともにさらにワークショップなどで教育を受けられる。一方、政治的に忠実でないと疑われた者は解任されたり、同じ地位ではあるが重要性も権力も小さいポストに異動させられる。「政治的信頼性が疑わしい」懸念を理由に幹部を解職するときに当局がいつも用いる口実は「行政管理への理解が欠如している」あるいは「教育水準が低く、能力が低い」である。

以上

(翻訳者 長田幸康)
▲このページのトップへ

 チベット人農夫獄中で死亡

TIN News Update, 6 February 2001
Tibetan Farmer Dies in Prison

■チベット人農夫獄中で死亡

尊敬されている仏教僧侶が拘束されたことに抗議するデモに参加して、逮捕された。30才代のチベット人農夫が、四川省の獄中で死亡した。ツェリン・ワンダクは、妻と2人の幼い子供を残し、昨年8月獄中で亡くなったもので、彼は3年8カ月の刑で投獄されていた。TINが入手した複数の情報によれば、彼は1999年10月に四川省カンゼ(甘孜)蔵族自治州のカンゼ市でデモに加わり、拘束された初期の期間に、胸や腹部を殴打されて気を失ったことが、少なくとも1回はあるという。刑務所に移送された後にも、彼は繰り返し暴力にさらされていたと伝えられている。また拷問を受けた結果、内蔵に障害を抱える等の病状に苦しんでいたという。

ツェリン・ワンダクは、1980年代以降にチベットの領域で発生したデモの内で、最大級のデモに参加して判決を受けた数人のチベット人の1人であった。高位の僧侶ソナム・プンツォク師と、侍者のソナムともう1人の僧侶が逮捕されたことで、複数のデモが発生した。もう1人の僧侶とは元政治囚のアギェル・ツェリンであり、ソナム・プンツォク師は未だに拘留されていると言われている。数百人の人々が抗議運動に参加し、治安部隊が出動して威嚇射撃を行い、デモを解散させたものである。町が辺鄙な地にあることや鎮圧の激しさにより、抗議運動の後の状況についてはごく限られた情報しか入ってきていない。しかしながら数十人が短期拘束され、数人が刑期を伴う判決を受け、この地域の政治状況が緊張したことは間違いがない。共に刑期3年の判決を受けた、ツェリン・ワンダクと37才のペマ・プンツォクを含めて、8人から10人のチベット人が有罪判決を受けた。彼らは、四川省アパ蔵族羌族自治州の南部に位置する、マオウン(中国語で茂[さんずい+文])刑務所に収容されていると言われている。ツェリン・ワンダクもマオウン刑務所に収監されていて、そこで亡くなったようである。

1999年10月のデモは、ソナム・プンツォク師に対する地元の人々の尊敬心を反映したものであった。師は40才代の高名な学者で、またチベット語の教師でもあり、カンゼ蔵族自治州のタルギェ僧院で学んだという。師は「ゲシェ(博士)」あるいは「ゲン(先生)・ソナム・プンツォク」と呼ばれていた。実際に師が、公式にゲシェの試験を通っていたかどうかは定かではない。また師は、1999年の初頭にダライ・ラマ法王のための祈願法要の導師を務めていたという。

TINが入手した非公式情報によれば、ソナム・プンツォク師は1999年10月7日にカンゼ市近郊の村で発生した爆破事件に関わっている、との嫌疑を受けたようである。この爆破事件によって、医院に改装中であった小さな建物が被害を受けた。この医院のチベット人医師は、シュクデン神の信者であったと言われている。ダライ・ラマ法王は、1996年にこの問題の守護神を崇拝しないように、チベット人に忠告を与えた。爆破事件の動機は明らかではないが、シュクデン神を崇拝するチベット人とこの神を祭ることに反対するチベット人の間で、緊張が高まったのは事実である。ソナム・プンツォク師がこの爆破事件に関与したとの形跡は全くなく、1999年10月24日に彼が逮捕されたのは、この地域で彼の影響力が強まることと、ダライ・ラマ法王に対する彼の明白な忠誠心に、政府が懸念を抱いたという可能性の方が高い。現在は亡命をしている、この事件の事情を知るチベット人知識人は、「中国政府は概して、人々の尊敬を集めたり信頼を受けているチベット人は、それがいかなる人であっても、民族主義的情緒と分離主義的思想を抱いており、祖国の統一と民族の協和を破壊しようとする反革命的な人々に、共感と支持を与えているとの疑いを抱いている。だから(ソナム・プンツォクのような)高名で人気のあるチベット人たちは、例外なしに疑いを掛けられるのだ。中国政府はさまざまな口実を使い、また容疑を捏造してでも、そのような人々を逮捕し拘束している」。

ソナム・プンツォク師が拘束された直後に、地元の拘置所の外にチベット人民衆が集結して、彼の釈放を要求した。非公式情報が伝えているところでは、その抗議の結果ソナム・プンツォク師は一時的に釈放されたという。しかし直ぐにまた拘束され、この地域では最悪の刑務所として知られている、カンゼ市にある県公安局の拘置所に移送された。1999年10月31日には、彼の逮捕に抗議するために数百人の群衆が建物の正門の前に集結したという。その群衆は、治安部隊によって解散させられた。TINが入手した情報によれば、治安部隊は威嚇射撃を行い、催涙弾も使ったようである。未確認情報ではあるが、ソナム・プンツォク師は有罪判決を受け、州都であるタルツェド(康定)市内あるいは近郊に拘束されているという。インドのダラムサーラに拠点を置くチベット人権民主センターによれば、ソナム・プンツォク師の侍者のソナムとアギェル・ツェリンは、既に釈放されたという。

このデモの後にカンゼ市内の治安は強化され、しばらくの間は警察がさまざまな理由で個々人を拘束して取り調べを行った。ツェリン・ワンダクは、デモ数日後に公安局の要員により拘束されたと伝えらえている。彼はおよそ2カ月間、カンゼ県公安局の拘置所に拘束された後に、刑務所に移送された。彼の妻が拘置期間の初期に面会を申し込んだところ、10分間の許可を貰うために1000元(120ドル、1万4千円)払わなければならなかったという。これは、彼が刑務所に移送される前に、カンゼ県公安局の拘置所に拘束されていた時のことであろうと思われる。

カンゼ市は、以前は伝統的なチベットの領域であるカムに属しており、この地域の宗教と交易の中心的な町の一つである。この県は政治的な激しさでも有名で、1950年代には中国軍に対するカンパ族ゲリラの抵抗拠点でもあった。中国政府は、カンゼ市内および郊外に強力な治安部隊を配している。

以上

(翻訳者 小林秀英)
▲このページのトップへ

 チベット人生徒を標的にした反宗教キャンペーン

TIN News Update, 20 February 2001
Anti Religious Campaign Targets Tibetan Schoolchildren

■チベット人生徒を標的にした反宗教キャンペーン

政府による反宗教キャンペーンの一環として、チベットの首都ラサの中等学校および小学校の生徒たちは、信仰心を表明したり宗教活動に参加したりしないように指導を受けている。TINが入手した情報によれば、反宗教キャンペーンの対象となっている7才から13才までの生徒たちは、チベット仏教の宗教活動は「時代遅れの行為」であり、進歩の障害であると教えられているという。学校によっては、伝統的な仏教の「お守りのヒモ」(スンドゥ)を身につけないようにという禁止令に従わなかった生徒たちは、罰金を払わされたり、拘束されたりしている。

ラサから来たチベット人は、TINに対して次のように語った。「チベット人の生徒たちは、自然と宗教的な傾向を有しており、(仏法に対する)信仰心を両親から植え付けられている。寺院や神社に詣でて線香を炊いて祈ったり寄進をしたり、また朝晩の読経を欠かさなかったりする。大事なグル(宗教上の教師)から頂いたお守りのヒモを身につけていたり、チベット仏教の信仰と実践を表す仏具を身につけていたりもする。こういったことが全て、攻撃され禁止されたのだ。代わりに生徒たちが奨励されているのは、中国政府ブランドの共産主義と社会主義に対する愛情を育てることであり、祖国に対する献身と忠誠心を強化することである」。

ある学校では、お守りのヒモを身につけていたり、あるいはマントラ(真言)やお守りの仏具を身につけていることが分かった生徒の名前が、学校当局から担任の先生に知らされる。すると先生は、その生徒から罰金を取り立てなければならない。またTINの情報筋が伝えているところでは、学校当局や教師が生徒から取り上げたお守りのヒモは、教室の中で生徒たちの目の前で切り裂かれたり焼かれているという。

TINが入手したさらなる情報によれば、お守りのヒモを身につけていた生徒は、成績が優秀で性格も良好であるとしても、退学処分の警告を受けたり、全学生徒の前で「恥ずべき氏名」を公表される等の罰則を受けているという。またある学校では、お守りのヒモを身につけていた生徒たちは、試験結果から点数を引かれる罰が実施されている。

ダライ・ラマ法王に対する忠誠心を破壊し、無宗教を奨励することを目的とした愛国教育キャンペーンは、1996年以来チベット自治区政府の主要な政策となっている。2000年7月4日付けの西蔵日報は、「宗教の悪しき影響を取り去るために」無神論で教育を行わなければならないと述べている。

以上

(翻訳者 小林秀英)
▲このページのトップへ


 チベットの政治的投獄に新たな報告書

TIN News Update, 22 February 2001
New Report on Political Imprisonment in Tibet

■チベットの政治的投獄に新たな報告書

チベットの政治囚の数が、過去2年の間に半減した。この理由は、一つには判明しているあるいは推定されている政治囚の多数が、過去2年の間に釈放されたことによる。しかし他の要因として考えられるのは、チベットの領域の刑務所内の処罰の厳しさや政治的な強硬路線、また厳しい治安対策によるものである。TINは、入手した政治囚に関する資料に基づいて、新たな報告書『反対意見抑圧(Supressing Dissent)』を発表した。この報告書によれば、最新の数値が示しているのは、政治的な抗議運動には危険が付きまとうことによって、チベット人の間に倦怠感が広まっているのだという。

『反対意見抑圧:敵性分子II−チベットの政治投獄1987−2000(Supressing Dissent:Hostile Elements II −political Imprisonment in Tibet)』(2001年2月23日、TINから出版予定)が伝えているところでは、現在拘留されているチベット人政治囚の数は、1999年1月の538人から2000年1月の266人に半減した。政治囚の74パーセントを、僧侶や尼僧が占めており、およそ5分の1が女性である。中央チベットにおいては、1997年以降新たに拘留された政治囚の数は確実に減少している。これは、僧侶や尼僧および一般人にダライ・ラマ法王を非難することを要求する、愛国教育キャンペーンが実施されまた強化されたことと軌を一にする。しかしながら、愛国教育キャンペーンに反抗して拘束された僧侶や尼僧の数は、僧院から追放されたりまたチベットから脱出した僧侶や尼僧の数に比べれば、ほんの僅かである。

TINが集計した政治囚のデータ・ベースによれば、現在拘留されている僧侶や尼僧の出身僧院は65ケ寺に上る。一方一般人の政治囚の職業は、教師、実業家、公務員、さらには中国共産党員まで含まれている。このデータ・ベースに収録されている政治囚および元政治囚が収監されていた、刑務所、拘置所あるいは他の拘留施設は、チベット全領域の100カ所に上る。

チベット自治区で抗議運動が発生し拘留者を出す事件は、1996年以来減少し続けているが、自治区以外のチベットの領域では数はまだ比較的少ないとは言え、確実に増加の一途をたどっている。1996年から2000年までで判明しているチベット人政治囚の内、3分の1が自治区以外のチベットの領域での拘留者であった。しかし1987年から1991年までの期間では、わずかに6パーセントであったことに比べれば、その増加傾向ははっきりする。自治区以外のチベットの領域では、逮捕者の大多数が学生や教師であり、抗議運動の形態もチベット自治区よりも地域的に拡散する傾向がある。

TINが控えめに算定したデータによれば、1987年以降に獄中の虐待が直接の原因で死亡したチベット人の数は37人であった。これは50人に1人の割合となる。その内20人が、チベット第1の刑務所であるラサのダプチ刑務所で死亡したものである。チベット人が拘留される危険を犯すことを躊躇する主要な要因の一つが、ダプチ刑務所の囚人虐待のおぞましき評判にある。ここ数年ダプチ刑務所が軍隊式の訓練を導入したことで、ダプチ刑務所内の日常生活は大変に悪化した。元政治囚の証言によれば、ほとんどの政治囚の健康状態に破壊的な悪影響を及ぼしているとのことである。

また政治的な見解を公表したり、あるいは認められない刑務所内の活動に参加した政治囚には、刑期の延長が待っている。チベット人受刑者にとって、刑期の延長ほど嫌なものはない。刑務所内では多くの囚人が亡くなったり、重大な傷害を受けたり、虐待によって病気になったりしていることをチベット人はよく知っている。長期拘留の判決は、多くの場合寿命を縮める宣告に等しい。現在収監されている受刑者の平均刑期は、8年8カ月に達する。多くの受刑者が出所して行って、結局長期受刑者だけが残るからである。刑期延長をされた受刑者の間では、平均刑期は実に12年6カ月に達する。ダプチ刑務所では、現在収監されている受刑者の内、およそ27パーセントが刑期延長をされている。

『反対意見抑圧』が伝えているところでは、木製や金属製の棒、あるいは杖や長いワイヤ、また砂を積めたプラスチックやゴムの管、さらには電気ショック棒等で殴打したり、また別の形の虐待が、取り調べの際に行われることはごく普通のことである。また判決を受けて刑期が決まった後にも、虐待は行われている。受刑者が、長時間きつく手錠を掛けられたり、時には苦しい体勢で縛られたり、針で突かれたりタバコの火を押し付けられたりするのだ。取り調べの間にも、睡眠や食事や水分を与えなかったり、暗闇や寒さあるいは汚い環境に長時間放置することで、孤立感を増大させる方法が取られているようである。

『反対意見抑圧』がチベットの政治的投獄に関する問題で、現状では可能な限りに詳細な情報を提示しているとは言え、人権問題の情報が外部世界に漏れないようにする中国政府の努力のお陰で、いかなる報告書と言えども総合的なものとはなりえない。チベットの政治的な投獄に関する情報は、全般的に「国家機密」扱いであり、したがって公式な許可なしにこの種の情報を提供しようとすることは、「スパイ行為」と見なされることとなる。

以上

(翻訳者 小林秀英)
▲このページのトップへ


 政治宣伝攻勢の一環として外国放送に対する妨害強化さる

TIN News Update, 28 February 2001
Jamming of Freign Broadcasts Stepped up in Propaganda Drive

■政治宣伝攻勢の一環として外国放送に対する妨害強化さる

「敵対外国勢力」による電波「侵入」を遮るために、北京政府は予算を増大して、外国のラジオ放送に対する電波妨害を強化した。アメリカの声放送(Voice of America)、ラジオ自由アジア(Radio Free Asia)、チベットの声放送(Voice of Tibet)が、国際ニュースやダライ・ラマ法王の動向および亡命チベット社会の様子を伝えているが、過去4カ月から6カ月の間にこれらの放送に対する妨害電波が強化されたことが確認されている。また中国政府の国営放送当局は、外国放送に対抗するために、カム(東チベット)やアムド(青海省)方言の記者や番組を増やす等して、チベット語放送を拡充することを発表している。

妨害電波を出す最新式の放送機器を購入するための予算を増大させ、またチベット語の放送を拡充するのは、チベット内部における政治宣伝工作を強化すると、最近中国共産党が決定を下したためである。これは中国共産党が重要視している、中国西部地区の開発キャンペーンに重要であると判断しているからである。中国国家主席の江沢民は、外国ラジオ放送の中国およびチベットへの「侵入」に、繰り返して懸念を表明している。チベットで外国のラジオ放送を聞くことは、法律違反でありまた危険なことである。逮捕される危険性があるが、多くのチベット人たちは家庭やまた僧院や尼僧院でも、外国ラジオ放送に耳を傾けている。ダライ・ラマ法王の動向や宗教的な教え、また西欧諸国がチベット問題で中国政府とどのような対話をしているのかを知るためである。また他のチベットの領域で何が起きているかを知るためにも、多くのチベット人はこれらの放送に頼っている。国営放送が伝える公式見解とは違う情報を求めているからである。

チベット内部からの情報によれば、政府はチベットの首都ラサを放送妨害(同周波数の対抗放送をする)の拠点とし、ラサ地区の少なくとも2カ所で放送機器の増強を行っている。チベット人民放送局が1月にそのホームページで発表しているのだが、新たなチベット語放送は「我が国の空に侵入している敵対勢力」に対抗するためであるという。チベット自治区および青海省や四川省のチベットの領域から、40人のチベット人記者が集められ、北京に送られて訓練を受け、拡大チベット語放送のために働くことになるという。

「敵対勢力」という用語が指しているのは、外国のチベット語放送のことで、第1に米国政府が資金を出しているアメリカの声放送(Voice of America)とラジオ自由アジア(Radio Free Asia)、さらにはオスロに拠点を置くチベットの声放送(Voice of Tibet)とBBCの中国版である。これらの放送は、チベットおよび中国内部の幹部や指導者たちに良く聞かれており、チベット人と外部世界および亡命チベット社会とをつなぐ、貴重な命綱となっている。インドのダラムサーラに拠点を置くチベット亡命政府の公安大臣ペマ・チュジョルは、「インドに脱出して来たチベット人たちが口を揃えて言っているのは、中国政府の厳しい取り締まりにも拘わらず、アメリカの声放送が情報提供に果たした役割は大きい。ラジオ放送が、彼らを国際的な出来事に結び付けており、特に我々の政治的命運に関わる問題や、ダライ・ラマ法王の声に耳を傾けることができる効果は大きい」と語った。チベットの声放送の聴取者のグループが、送って来た手紙には「あなた方のラジオ放送が、我々の唯一の精神的な救いです」と書かれていた。

1996年に設立された民間放送局であり、また米国議会の資金援助も受けている、ラジオ自由アジアのチベット語部門の責任者ジグメ・ンガポは、TINに対して次のように語った。「5つあるいは6つの周波数で送っている我々の放送に対する妨害は、昨年(2000年)12月から強化された。幾つかの地域やまたある時間帯には、放送受信はほとんど不可能となっている。ラサが殊に影響を受けており、地方でも影響が出ている。妨害電波は定期的ではないが、夕方の時間帯は特に妨害が目立っている」。

毎日30分間のチベット語ラジオ放送を行っている、チベットの声放送の企画責任者であるオイスティン・アルメ(Oystein Alme)は、「中国政府は我々が放送を開始して以来、妨害を続けて来た。しかし昨年(2000年)11月以降、妨害の程度はこれまで経験したこともないレベルに到達した。中国国営放送のこの部門に、これまで以上の資金がつぎ込まれたことは明白だ。妨害を受けないために、我々は頻繁に周波数を変えている。5年前には、中国政府が周波数変更をするのに、8日から10日を要した。しかし現在では、我々の放送を毎日傍受しているようだ。周波数を変更すると翌日には、彼らも変更をして来る」と語っている。

中国は、これらの放送に対して妨害電波を発していることを否定している。1994年に前米国大統領のビル・クリントンは、放送妨害を止めることが最恵国待遇更新の条件の一つである、と述べている。この時期、アメリカの声放送の職員を含めた米国の技術チームが中国を訪れ、「相互妨害問題」について話し合った。その結果米国国務省は、アメリカの声放送の妨害を止めることに中国が同意したと発表した。つまりこれは、「アメリカの声放送と中国国営放送の双方が使用する周波数を解放する」という意味であった。アメリカの声放送のチベット語部門の責任者ジョーン・ビュシャー(John Buescher)は、「この同意にも拘わらず、また最恵国待遇が更新されたにも拘わらず、中国による放送妨害は続いている。過去6カ月間はチベット地域で妨害が強化されている」と、語っている。「中国向けの北京語放送に対する妨害は、ある一定のレベルで続いている。しかしチベットの領域では、我々の放送を妨害するために、かなりの資金がつぎ込まれたことがはっきりした」。

中国は一般的に、外国のラジオ放送に対して、同時刻に同周波数で他の番組を放送したり、あるいは単純に大音量を発する等で放送妨害を行っている。チベットを広く旅行したことのある西洋人は、「彼らは雑音の妨害電波を良く使っている。アメリカの声放送やラジオ自由アジアを聞こうとすると、ドンドンというような音や打楽器のうるさい音が聞こえるだけであった。都市部では特にこの音が大きいが、地方では際立って弱かった」と、語った。1996年には、中国国際ラジオの国内向け英語音楽番組が、チベットの声放送ど同周波数で放送を行って妨害を行った。この番組は、中国国際ラジオ放送局とAWAオーストラリア・テクノロジーの提携番組であった。2年後には提携先をカナダの放送局、国際ラジオ・カナダに変更して、カナダの放送局が中国に対して異義申し立てをするまで、西安から放送を続けていた。

アメリカの声放送は、1991年に東アジア向けにチベット語の放送を開始した。ラジオ自由アジアやBBCは、同時に5つあるいは6つの周波数で、短波放送を行っている。放送を妨害するために同じ周波数で電波を発することは、アンテナや放送機器、基盤整備や電力供給までを含めると膨大な出費が必要である。放送妨害の最も一般的な手法は、「空域電波妨害」と呼ばれるもので、目標の地点から遠く離れたところにある放送機器から、妨害電波を上方向に向けて発射し、それが反射して目標の地点に到達するというものである。この方法は広い地域を覆うことができるが、精度はあまり期待できない。中国はこの妨害機器を上海や西安、ウルムチに配備して、チベット向けの外国ラジオ放送を妨害していることが判っている。「地上電波妨害」と呼ばれるのは、空域電波妨害に比べるともっと効果があるが、目標地点は小さくならざるを得ない。地上電波妨害では、例えば都市のような目標地点の内部にある、丘の上とか建物の屋上のような高い所に放送機器を置き、妨害電波を発するのである。この方法は、主要な中国の都市で行われいることが確認されており、恐らくラサでも使われていると思われる。これは都市に住む有力者たちが、外国ラジオ放送を聞くことができなくするためである。

中国政府は、外国ラジオ放送がチベット人に及ぼす影響に対して、長年懸念を抱いており、政治教育キャンペーンの場においても、度々外国ラジオ放送に関する追求がなされて来た。1992年には、ロカ(山南地方)の地方都市で政治会議が開催され、オール・インド・ラジオ放送やアメリカの声放送の放送時間帯や周波数を、村人たちが知っていることに役人たちが懸念を表明した。村人たちの中には、ダライ・ラマ法王の海外での活動についても知っている者がいたという。TINが入手した非公式報告書によれば、この会議に出席したある役人は「村人たちは放送を聞いている間、誰かから何かを貰おうとしているかのように、両手を揃えて差し出していた」と報告している。

「政治宣伝工作に新局面」

チベットで放送網を拡充することは、中国西部大開発計画の重要な要件でもある。国営ラジオ放送やテレビ放送網は、北京政府の政策を促進し、経済発展の前提条件と政府が考えている「安定」を達成するために、重要な手段であると受け止められている。2000年12月19日付けの西蔵日報の記事は、「党の政治宣伝戦略を堅く守るためにも、我々は(報道機関に)断固として投資すべきだ」と述べている。また2001年1月2日付けの西蔵日報の社説は、「伝統文化を守り育てると同時に、現代科学や技術また報道産業も前例がない程の発展を遂げている」と報じている。同じ記事が伝えているところでは、ダライ「一味」や「反中国敵対勢力」が、チベット文化が「滅亡しかかっている」と「恥ずべきでっちあげを広めて」いると警告を発し、中国政府の新政治宣伝キャンペーンに思想的な意味付けを与えている。「偉大な現代社会と歩調を合わせた、進歩的な文化を栄えさせることは時代の要請であり、また歴史が我々に課した神聖な役割である」と、この社説は述べている。

チベット人民放送局は、今年初めそのホーム・ページにおいて、カム(東チベット)やアムド(青海省)方言の番組を新設すると発表した。この地方は、現在は青海省や四川省、雲南省や甘粛省に併合されているが、伝統的にはチベットの領域であり、カムやアムド方言の番組は5月1日から毎日1時間放送されることになっている。さらに10月1日からは、放送時間が2時間半に拡大されるという。同放送局のホーム・ページに記載された記事は、「これらの新政策は、安定実現に寄与し、経済発展の環境作りに貢献することになろう」と述べている。

この新政治宣伝キャンペーンは、昨年秋にチベット自治区の記者や放送関係者を集めて開催された会議で、大きな脚光を浴びたものである。チベット自治区人民代表大会常務委員会主任のライディ(熱地)は、新華社通信の記者や西蔵日報出版部、またチベット放送・映画・テレビ監督局やラサ市報道宣伝局の代表らを前に、次のように語った。「思想・政治宣伝部門のあらゆる段階の役人たち、さらには自治区全体で働く膨大な数の報道関係者は、断固として自覚的な学習をし、鋭い理解を示し、深く実行をし、政治宣伝工作において新局面を切り開かなければならない」。(西蔵日報ホーム・ページ、2000年11月8日付け、ラサ)

チベット自治区共産党の新書記、郭金龍は、この会議の演説において、報道関係者が何を優先すべきについて語っている。「第1は安定を増進し、経済発展を促進すること。第2はダライ・ラマを暴き出し、批判して、分離主義に反対すること。第3は民族統一を支持し、拡大し、民族間の対立に反対すること。第4は科学と技術の進歩を宣伝し、蒙昧な遅れに反対すること。第5は模範的な事例を選びだし、人民の自信を鼓舞することである」。郭金龍はさらに続けて、「歴史的には我が党は 、ニュースや大衆の意見を広く伝え、また大衆を教育することによって、大衆を動員して来た。大衆を組織するには、党はプロレタリア革命においてもまた現在進行中の社会主義的経済発展においても、次から次へと勝利を収めなければならない。膨大な数の報道関係者諸君は、世界が注目している新チベットの、完全に新たなる容貌をさらに発展させることが、新世紀における歴史的に重要な任務なのである」。

チベット自治区政府主席のレグチョクは、先月(2001年1月)の演説で、中国政府のチベット政策で、政治宣伝が重要な役割を果たしていることを示唆している。「現在、我々が直面している状況は、全般的には良好だと言える。しかし、国家の安全や社会的な安定に悪影響を与えかねない、不安定要因が存在している」と、1月11日にラサで開催された政治集会でレグチョクは語っている(西蔵日報、1月12日付け)。「西欧の敵対勢力は、中国を西欧化し、中国を分裂させようとの企みを進めている。特に、ダライ一味はチベット問題を国際的に認知させようとする一方で、チベット民族が小規模な社会を作って暮らしている中国の内部に、あらゆる手段を使って侵入している。宗教社会の上層階級に離反を起こさせ、不法に活仏(転生ラマを意味する中国語)を認定し、また僧院や宗教施設を支配しようとして我々に挑戦している」。レグチョクが言うところの「離反を起こさせ」というのは、昨年チベットから脱出したカルマパ17世を指しているのである。

「裏切り者」や「犯罪者」によって経営されている外国報道機関

国営報道機関の政治宣伝戦略は、チベットにいるチベット人の間では良く知られていることである。亡命チベット人の1人が、国営報道機関の質が劣悪であることを、アメリカの声放送のインタヴューに答えて次のように語っている。「我々は、報道関係者や新聞記者を非難できない面がある。彼らは完全に中国共産党政権の支配下に置かれているからだ。彼らは、共産党政権にとって不適切で損になるようなニュースを報道することはできない。特にチベット政策に関するものは、いかなるニュースであっても許されることはない。国内向けのテレビ番組や新聞報道は、いわゆる「愛国教育」活動と共産党に関することだけを報道している。チベット問題に関して正確な報道をしたことは、これまで一回もなかった。信頼に足る真実の情報は、国営報道機関からは報道されたことはない」。

現在は亡命しているチベット人の報道関係者は、TINに対して次のように語った。「大概、上層部が何を書くかを決定し、何を書いて何をするかを指示している。記者が何をすべきか、多少は提案をさせて貰える余地もある。でも我々は、チベット自治区政治宣伝部の統括下に置かれている。そして彼らが発表すべきこと決めている。彼らが、テレビ放送局や新聞社の社長に、何を書くべきかを伝え、社長が編集長に何を書くべきかを指示しているのだ」。

1999年6月12日付けの、中国語の報道雑誌『中流』には、政治宣伝に関する記事が掲載されている。この記事は、アメリカの声放送やラジオ自由アジアを特に名指しして非難しており、その脅威を政府に訴える内容となっている。「ラジオ自由アジア放送が開始されたことは、米国による中国へのラジオ侵入が強化されたことを意味している」と、この月刊誌の記事は述べている。「1996年5月23日には、独立組織を装った『チベットの声放送』が、1日15分間ノルウェーからチベット語放送を開始した。これは北欧諸国も、中国に対する放送戦列に加わったことを意味する。中国に対する西欧諸国のラジオ放送戦略は、西欧の反共産主義戦略や反中国外交戦略に基づいている。西欧諸国の報道機関の力は、これまでにない程強力になっている」。

『中流』の記事は、外国ラジオ放送の政治的な内容についても批判をしている。「彼らは、『客観性』と『不偏性』を強調し、いわゆる『事実に基づく』報道に力点を置き、解説と報道を分けようとしている。彼らは、誤ったイメージを意図的に作り出そうとしているのだ。自分たちを『悪意のない』情報提供者と位置付け、人々にそれを信じさせようとしている。BBCは、決まって『客観的』で『不偏的』で『偏見を持っていない』ことを自慢している。しかしそれは真実ではない。西欧のラジオ放送は、共産党と社会主義を攻撃することに重点を置いている」。『中流』の記事は、アメリカの声放送やラジオ自由アジアで働いている報道関係者たちは、「主として政治的な不平分子であり、社会主義諸国を逃げ出した犯罪者の集団であり、裏切り者たちである。外国ラジオ放送局は、そのような亡命者たちの過激な調子を使うことが、彼らの目的を達成するためには効果的だと判断しているのだ」と結論を出している。

以上

(翻訳者 小林秀英)

▲このページのトップへ


英語の原文はTibet Information Networkのホームページで読めます。

このページのトップへ
他の号の目次へ
"I Love Tibet!" homepage