チベット人世界銀行の開発計画に反対 |
遊牧民、牧草地の紛争で死亡 |
TIN News Update, 21 June 1999
Nomads Killed in Pasture Fights
遊牧民、牧草地の紛争で死亡
牧草地に関して最近武力衝突が続いている東チベットで、先月5人のチベット人遊牧民が殺された。過去2年間では、少なくとも29人の遊牧民が殺されている。伝統的な牧草地に柵を設けることが、遊牧民を定住させようとする政府の政策となっているが、関係する県政府や地区政府が介入するのを避け続けているために、紛争を平和的に解決することが困難になっている。
青海省黄南蔵族自治州の河南蒙古族自治県のアリ族と、甘粛省甘南蔵族自治州の瑪曲(マチュ)県のグラ族の間で、衝突が続いていた。最近の事件は5月20日に発生し、瑪曲の遊牧民たちが聖地に詣でる途中で、5人のアリ族の定住牧畜民に出会い、彼らを射殺したものである。
紛争の発端は1997年8月に溯り、ボトゥンのアリ町当局は、20平方kmの土地に関して蒙古族自治県政府から管理を委ねられていた。アリ族の遊牧民たちは蒙古系の部族であるが、数世紀間もこの地域に住み着いており、この地域を区分けして柵で囲うことは、彼らの立場を永久的なものにすることになり、グラ族にも土地への主張を強いる結果となった。
紛争が激しい武力闘争に発展したのは、アリの遊牧民たちがグラに羊毛を売りに出掛け、そこで地元の遊牧民たちに拘束されてしまったからであった。翌日の1997年8月3日、グラの遊牧民の一団がアリの牧畜民を山岳地帯で待ち伏せにし、その内の3人を殺した。アリ側はこの殺人事件に対して武装集団を形成し、両者の境界付近の山岳地帯で、一連の撃ち合いと小競り合いを繰り返した。1997年10月16日には、さらに2人のアリの牧畜民が殺され、1人が重傷を負った。
TINの情報筋によれば、ラブラン僧院の僧院長ジャムヤン・シェパや、ガパ自治州ゾゲ県のグンタン・リンポチェ等の、この地域の高僧たちが仲裁に動いた1997年12月の初めまで、散発的な戦いは続いた。2つの部族は、平和的な解決法によって危機を乗り越えるとの同意に達したが、1998年3月中旬には両方の部族が再び対立し、グラの2人の遊牧民が射殺された。この事件によって紛争は再開し、両方の武装集団が再招集された。
両者を同意させるためにジャムヤン・シェパは再び介入したが、8月の末にアリの3人の牧畜民が死亡するに及んで、戦闘が再開した。1998年10月中旬、2つの部族の間で大規模な衝突が起こり、グラ側は12人が死亡しアリ側は2人が死亡した。
両方の側につながりのある情報筋が明かすところでは、ソポとマチュ県の政府やさらに自治州や省レベルの政府にまで度々請願が行われたが、問題解決の糸口は見つかっていないという。紛争が起こった地域は、2つの地方の境界線付近にあるために、行政区分から言っても様々な段階の役所が関わりを持っている。両方の側に、町、県、州や省等の政府が関わっているのである。この地域出身の亡命チベット人たちによれば、どの行政段階においても問題点を明らかにすることに失敗しており、自分達の主張を上部の政府に対して伝えているだけである、という。この紛争によって多数の死者が出ているにもかかわらず、誰1人として逮捕された者もいないのである。
幾つかのTIN情報筋によれば、紛争に関わっている両方の県政府は、それぞれの側の遊牧民たちに武器を提供しているという。勿論これは確認されていないが、戦闘に使われている武器が自動小銃、半自動小銃、拳銃、手投げ弾であることを考えると、両方の政府が武器の使用を認めているとしか思えない。現在インドに亡命しているチベット人の1人がTINに語ったことによれば、「我々は幾らでも銃や弾丸を買うことができた。この点で政府からの制約はまったくなかった。地区政府の役人がやって来て、我々に塹壕の掘り方や手投げ弾の投げ方を教えた」と語っている。
TINに届いた報告によれば、今まで紛争地を使用して来たアリの牧畜民たちは、この地域から出て行く意志があることを表明したが、彼らの周囲の牧草地は他の町の住民に振り向けられており、他の地域で同様な問題が発生する危険性があるという。以前はこの地域の遊牧民には、他の牧草地に移動することが認められていたが、今ではそれは不可能となっている。さらにアリ族とグラ族の両方が帰依している、ラブラン僧院の高僧方による仲裁も、現在では僧院が政府の政策に介入する権利を持っていないために、効果の伴わないものとなっている。政府によって既に、土地は区分けされているのである。
ジャムヤン・シェパは和解をさせるために、土地を2つに分割する提案をしたという。グラ族に12平方kmそしてアリ族に10平方kmということであったが、まだ同意に達してはいない。
牧草地に関する紛争は、チベットの遊牧民の生活にとって長い間日常的な問題であったが、今日ではこの問題はますます重大な問題となって来ている。それは紛争を調停する仲介者が、いなくなってしまったためである。過去この役割は、土地の利用権を決定する権威を持っていた、高僧らに委ねられていた。影響力のある宗教指導者が持っていた伝統的な役割は、国家にとって代わられたがその不干渉政策は紛争を長引かせ、地域の経済力に悪影響を与え、遊牧民の仲間意識に亀裂を起こさせる結果となっている。
国家が仲裁に失敗していることが、さらなる懸念を生んでいる。もし紛争が力づくで決着を見た場合、それが永久的な土地区分になるということ、また同時にその原因が政府の政策にあったということである。
紛争は、近代化と土地囲い込み政策に起因する
遊牧民の牧草地を分割し柵を作ることは、1980年代後半からチベット内部の各政府の主要な政策であった。それは牧畜業の経済的な活力を高め、また自然災害が家畜に及ぼす被害を減少させようとの狙いであると、説明されている。こういった目標を達成するための他の手段として、新たに牧草を植えること、家畜の冬季保護施設の建設、また遊牧民の定住を促進するために家を建設すること等が実施された。また通信手段や電気・水の供給手段を向上させる等の、牧草地の基盤整備を促進して、遊牧民の定住を図る計画もある。
牧草地の囲い込みと遊牧民の定住は、遊牧民の生活レベルを向上させる方法として、政府が考えた政策である。これにはさらに、チベット遊牧民の伝統的で洗練されていない生産システムに、目を向けさせようとの意図もある。「遊牧民の時代遅れの生活形態は、牧草地を有効利用することを妨げ、自然災害に対する抵抗力も弱めている。さらには、この地域の社会生活の近代化を図ろうとする動きさえも押えてしまっている」と、1996年5月の新華社電は伝えている。同報道は、同時に60万ヘクタールの牧草地に柵が作られ、同地域の10万世帯の内、5万6千世帯の定住が可能になったと伝えていた。同報道に現れている見解は、中国の科学者の見解を反映したものであり、彼らの見解とは「遊牧民の生活形態が時代遅れであることが、牧草地の破壊、自然災害による生活の荒廃、また地域経済不活性の原因である」と言うのである。これらの要因やまたその他の要因が、遊牧民の生活レベルを最低線のものにしている原因だ、と彼らは見ている。
牧草地の囲い込みは、現在チベットで大規模に実行されている。1998年3月の新華社電によれば、中国農政部の副部長チー・ジンファは、中国では今世紀末には遊牧民は存在しなくなるだろう、と語ったという。「遊牧民を定住させることは、牧畜業を飛躍的に発展させることが、実践によって証明された。また牧草地帯における、文化、技術、教育事業も発展させる」と、チー・ジンファは付け加えた。中央政府は、1986年に遊牧民の定住政策を補助し始め、1997年の末には内モンゴルの遊牧民の97パーセントが、また甘粛省北部の遊牧民の75.6パーセントが定住したと、彼は語った。
TINは、牧草地の囲い込みおよび遊牧民の定住を促進する政府の政策に、懸念を表明する亡命チベット人の報告を数多く受けている。彼らが指摘している問題点は、土地の分配に関して紛争が起き、チベット人遊牧民の間の連帯性た薄れ、柵で囲まれた土地では水が不足し、柵を設ける費用や潅漑設備の費用負担が馬鹿にならず、牧草地が区分されていると各家族で持てる子供の数にも限界があるというのである。以下は、最近TINが四川省のアパ蔵族自治州のチベット人から受け取った報告書の抜粋であり、これらの問題点をよく説明している。
「この地域では、中国政府が遊牧民の各家族ごとに定住すべき土地を割り当てた。強制的に遊牧民を定住させる政策は、以下のような不必要な軋轢を引き起こした。
(a) 遊牧民の各家族は、柵の材料費と工事費を負担しなければならない。
(b) 柵に使用する針金も、メートル当たり4元(およそ50セント、50円)を遊牧民が負担しなければならない。この費用だけでも、遊牧民の各家族にとって莫大な負担となっている。
(c) さらに毎年ここの遊牧民たちは、水代・放牧代として高額な費用を負担しなければならない。
(d) 大きな学校が割り当てられた土地から離れているために、子供達は学校にも通えない。
(e) 多くの遊牧民が僻地に追いやられてしまうため、外の世界から隔絶されてしまう。
(f) 割り当てられた土地では、電気や郵便また輸送や通信のサービスも受けられない。
(g) 遊牧民の生活形態が破壊されることにより、将来の世代は農民にも遊牧民にもなれないことになる。したがって親は子供の数を制限せざるを得なくなり、人口増加が望めないことになる。
(h) 牧草地、飲み水、家畜の質の違いが大きく、近隣の農民たちとの紛争が永続する。
最上の牧草地は、すべて中国政府によって確保され、政府の部署や高官たちに割り当てられている」と訴えている。
またTINが入手した他の報告は、牧草地の割り当てが不公平であると訴えている。割り当てに関して不正が行われた可能性が高く、水も十分にない土地を割り当てられた者もいる。現在亡命している青海省のゴロク蔵族自治州出身のチベット人は、TINに対して次のように語った。
「牧草地は、コネによって分配された。役人たちは大きくて上級の牧草地を、彼らの友人やあるいは賄賂を払った人間に割り当てた。牧草地の分配では多くの不正が行われた。水の分配でも、割り当てられた土地の水を使わなければならなかったが、私の土地には水はなかった。したがって家畜に水を飲ませるために、毎朝毎晩2kmも離れた水飲み場へ連れて行かなければならなかった。牧草地が分配されたとき、我々が得た土地は牧草も少く痩せた赤土の土地であった。これでは牧草は育たない。しかし税金は、土地の広さによって支払わなければならなかった。それで生活に困難を来したのだ」
牧草地によっては水が不足していることが、この地域の遊牧民たちの間で紛争が起きる原因となっているが、水が供給されることは殆ど無い。良好な牧草が得られても水が乏しい土地を割り当てられたり、また水があっても牧草がなかったりしている。地域によっては水の供給を河や小川に頼らざるを得ない所もあるが、こういった所では水飲み場に向かって土地を細長く区分けして、全員が水を得られるようにこの問題を解決した所もある。しかし、アパ自治州出身の亡命チベット人がTINに語ったところによれば、これによって別の問題が発生しているという。「我々の地域には広大な平原に、ただ一つの小川が流れているだけだ。すべての家庭がこの小川を使わざるを得ない。したがって小川に向かう細長い土地を、毎日家畜が歩くので通り道の牧草が枯れてしまった」。別の情報提供者もTINに対して、毎日家畜が水飲み場に向かって群れになって歩くために、通り道が泥土になってしまい、既に劣化している牧草地がさらに痩せこけていると伝えている。
複数の亡命者の情報によれば、牧草地の囲い込み政策によって、政府が産児制限政策を実行しようとしているのではないかとの懸念もある。地域によっては遊牧民の家庭は、3人の子供を持つことが認められているが、牧草地の囲い込み政策によって、各家庭の子供の数に圧力が掛けられているというのである。
柵が設けられた牧草地帯では、遊牧民たちが所有できる家畜の数は制約を受ける。家族が増えれば、飼っている家畜の数を増やして家計を支えて来たが、それがもうできなくなってしまった。多くの遊牧民たちは、現在の生活レベルを維持しながら、子供を増やせるか否かを考えざるを得なくなってしまった。さらに土地を区分けすることによって、若い世代は老人世代が亡くなるのを待たなければ、自分たちの土地が持てないという問題も生じて来ている。
中国政府の政策は、チベット人牧畜民には『不適切』
各地方の政府が、チベットの遊牧民の生活レベルを向上させようとしているのは明らかなことだ。しかしそのために立てられた政策が、様々な問題を惹起させている。山岳地帯の生活問題を専門とする西洋の多くの学者たちは、チベットの伝統的な遊牧民の生活形態に対する、中国の科学者たちの誤解がその原因であると指摘している。中国の科学者の誤解に基づいた中国政府の政策が、遊牧民の生活向上に役立つ訳はなく、真の問題解決にはならないと、彼らは指摘している。
過去10年以上もチベットで研究を続けて来た、山岳地帯の生活研究家のダニエル・ミラーはこう指摘している。「青海・チベット高原で暮らす遊牧民の生活形態は、厳しい自然環境の中で数世紀に亙って築き上がられて来た、高度に洗練された伝統的な生活構造である」。インターネット通信に掲載されたチベット研究の記事で、ミラーは「遊牧民社会の存在こそが、牧畜に関する彼らの知識と経験を証明している」と語っている。
牧畜業の生産性は家畜の構成(ヤク、羊、山羊や馬)や、牧草の種類、また地域によっては天然資源等の影響を受ける、と彼は認識している。したがって家畜の移動は恣意的なものではなく、複雑な要素を含んでいて、遊牧民によって厳しく管理されているという。牧草地がこれ以上破壊されるのを防ぐためには、生態系の保護が不可欠であり、経済発展の観点からだけ牧草地を過剰利用することは、思慮が足りなすぎると指摘している。
チベットの広大な牧草地の利用法を間違えているのは誰なのかという、ミラーの指摘を支持する見解が、ガブリエル・ラフィテアからも出されている。彼は、オーストラリアのメルボルン・アジア言語研究所の研究員で、チベットの牧草地破壊の主要原因は、政府の政策にあると語っている。
1960年代チベットで人民公社化が実施された時、家畜の数は倍増した。そして1980年代の前半には、国税を支払い土地の利用権を確保するために、遊牧民たちは人民公社当時の家畜の数を維持した。したがって牧草地は、維持不可能な数の家畜を引き受けて来たのだと、ラフィテアは指摘している。政府の政策に牧草地破壊の主要な原因があると認めなければ、チベット人遊牧民たちが直面している諸問題に対する診断を誤ることになり、ひいてはさらに不適切な政策を押し付ける結果となってしまうであろう。
1993年から94年に掛けて12カ月間、内モンゴルで実地調査を実施したディー・マック・ウィリアムズは、中国政府の政策の間違いによって、地元の諸問題解決を困難にしている例を多く目撃している。「牧草地の囲い込み政策は、漢民族の利益と文化的な偏見に適った形で、彼らの支配構造を効果的に再構築して行くことだ」と語っており、これはうるさいことを言って遊牧文明を管理することに外ならないという。ウィリアムズが目撃しているように、牧畜管理も資源利用も気まぐれな対応がなされており、政府の政策は地元の遊牧民の利益に反する結果となっている。
ウィリアムズは、内モンゴルの大草原地帯を「歴史的な遺産、経済的な要素、また様々な社会集団が意見を交わし互いに主張し会う場」である、と表現している。牧草地帯に対する政府の政策を、チベット人がどのように評価しているかと言えば、青海・チベット高原の歴史的な背景を無視し、何世紀にも亙って築かれて来た複雑な社会的構造を無視して、この地域を『経済的な要素』としてしか見ようとしない人々によって政策が決定されている、ということである。
以上
(翻訳者 小林秀英)
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中国のパンチェン・ラマ、シガッツェに帰還 |
TIN News Update, 23 June 1999
China's Panchen Lama Returns to Shigatse
中国のパンチェン・ラマ、シガッツェに帰還
中国がパンチェン・ラマ11世に指名したギャルツェン・ノルブ(9才)は、歴代パンチェン・ラマの居城とも言うべきシガッツェに帰還した。1996年に即位をして以来、初めてのチベット訪問である。彼のチベット帰還は、パンチェン・ラマ10世の正当な転生化身として、チベット人に承認させようととの中国政府の決意を示すものであり、また仏教がこの地域で栄えることが許されている、との印象を外部世界に与えようとの意図もあろう。
中国政府にとって非常に重要なパンチェン・ラマの政治的な役割は、チベット仏教の階級制度の中で2番目に位置するものとして、次のダライ・ラマの転生化身を伝統的に認定して来たことである。北京がいかにこの問題を重視しているかを示す例として、中国政府の宗教顧問のタオ・チャンソンの発言を挙げることできる。彼は今週、ダライ・ラマ14世の次の転生化身は、「外国人の中からは選ばれず、中国国内に生まれたチベット族の少年から選ばることになろう」と語った。現在亡命中のチベット人指導者ダライ・ラマ法王は、もし中国とチベットの紛争が続くようならば、次の転生化身は『間違いなく』チベット国外に生まれるであろうと、1997年5月に語っている。
1995年11月に中国によってパンチェン・ラマの転生化身と指名された少年は、1週間前の6月17日にラサに到着し、中国共産党チベット自治区委員会の委員長である、パクパラ・ゲレク・ナムギャルや他の役人らの『熱烈な歓迎』を受けた。チベット自治区政府は、ダライ・ラマ法王が認定した10才のゲンドゥン・チュキ・ニマ少年を否定した後に、1996年12月8日にシガッツェのタシルンポ僧院において、ギャルツェン・ノルブ少年をパンチェン・ラマとして即位させた。一方ゲンドゥン・チュキ・ニマ少年は、1995年5月中国政府によって拘束され、以来家族と共にどこか不明の場所に拘束されたままである。中国政府は、「彼の身の安全を守るための保護的な拘束であり、彼は通常の生活を送っている」と語っている。過去3年間に及ぶ外国政府の面会要求も、すべて拒否されている。
中国によって指名されたパンチェン・ラマは、先週3日間をラサで過ごした。金曜日には読経の導師を務め、チベットでも最も聖なる寺院であるジョカン寺で民衆に祝福を与えた。6月20日の日曜日にはシガッツェに向かい、600人に上る僧侶の歓迎を受けたと報じられている。彼のタシルンポ帰還は、1996年5月に開始した愛国教育キャンペーンが反対意見を圧殺するのに効果を上げ、チベット特にシガッツェにおいて彼の帰還に目立った抵抗はない、との判断を下した中国政府の自信を示すものである。1996年に彼がタシルンポで即位した時には反対運動が起こり、チベット人がふさわしい敬意を示さなかったために、彼は過去3年を北京で過ごし、チベット人に広く尊敬されているボミ・リンポチェの個人教授を受けて仏教の勉強をしていた。
今回の特別な訪問が、チベット内部のチベット人たちの表立った反対運動を引き起こすか否かは、予測できない。しかし、愛国教育キャンペーンに対する抵抗運動が起きているとの報告は、TINに続々と届いている。僧侶や尼僧はダライ・ラマ法王の批判を拒絶し、ゲンドゥン・チュキ・ニマが本当のパンチェン・ラマである、との確信をチベット人たちが持ち続けていると伝えている。この地域の仏教徒の信仰心を揺さぶろうとの、愛国教育キャンペーンの目的が達成されていないのを、これらの報告が示している。
パンチェン・ラマ騒動が、近年の様々な問題に比べても、もっとも激しい抵抗運動を引き起こす結果となったことは間違いない。したがってこの抵抗運動を根絶することが、中国政府がこの地域で愛国教育キャンペーンを実施する際の、最優先課題となっていた。チベット人にとっては、1995年5月にパンチェン・ラマ10世の転生化身とダライ・ラマ法王が認定した、ゲンドゥン・チュキ・ニマを信仰することが、ダライ・ラマ法王に対する忠誠心を表明する道となっている。
中国政府が選んだパンチェン・ラマを、西側諸国が支持しないので、中国政府は次第に不満感を募らせているようである。これを象徴する事件として、今年の1月ワシントンで開催された米中人権協議において、国務省副長官のハロルド・コーが、ゲンドゥン・チュキ・ニマに接触することを要求した際に、それを退けたている。
中国が選出したパンチェン・ラマが、チベットを訪問した際の彼に関する公式報道は、彼を選出した時の選出方法に詳しく言及しており、「いかに厳しい宗教的な規則や歴史的な伝統に準拠しているか」を示そうと腐心している。さらに新華社電は、「3日間連続で読経をし続ける」彼の能力は、転生活仏にしばしば見られる特殊な能力を示していると伝えており、彼が特別な才能を付与されているとの姿を描き出そうとしている。これらの報道に繰り返し使われている用語は、愛国教育キャンペーンで頻繁に使用されている「国と宗教を愛する」との政治宣伝文句である。本日付けのサウス・チャイナ・モーニングポスト紙の報道によれば、チベット社会科学院の中国人学者で、30年以上もチベットに住んでいるタオ・チャンソンは、将来ダライ・ラマ14世の転生化身として誰が選ばれたにしても、彼は「愛国者で、祖国を分裂させようとの意図を持っていてはならない」と語っている。
ギャルツェン・ノルブのチベット訪問によって、中国が選出したパンチェン・ラマに関して、中国の報道機関が沈黙を続ける期間が終了したようである。1998年2月に新華社電が、チベット北部のナクチュの雪害に対して、彼が3万元(3600ドル、39万6千円)を寄付したと報じて以来のことである。これはチベット人に対する、彼の献身性を示そうとするものであったのであろう。同月、彼はまた北京のシーファン寺で開かれた仏教儀式に参列したと報じられた。同寺には、中国高級仏学院が設立されており、1997年8月にも彼は仏教儀式に参列していた。
1996年に彼がチベットを出て以来、9才のこの少年に関する報道は、1997年2月の新華社電が「彼はトウ小平の死去を深く悲しんでいる」と伝えた他は、1996年9月に北京に到着した直後に、中国国務院首相の李鵬に会ったというものだけであった。
以上
(翻訳者 小林秀英)
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世界銀行、懸案の青海省入植計画に融資を承認 |
TIN News Update, 24 June 1999
World Bank Approves Controversial Loan for Qinghai Resettlement
世界銀行、懸案の青海省入植計画に融資を承認
世界銀行は、青海省のチベット人居住地域に入植者を送り込む、懸案の計画に対する融資を、世界銀行が指名した調査団が充分な調査をするまで延期する、との前例のない決定を下した。この妥協的な決定は、ジェームズ・ウォルフェンソン世界銀行総裁の個人的な指導力によるものだと思われる。彼は、世界銀行と中国との親密な関係を維持する一方で、この計画に対する米国の反対に配慮を示そうとしているようだ。世界銀行の広報官によれば、この調査には「数週間どころか数カ月を要する」というが、TINが4月にこの入植計画に対する詳細な分析を発表したことによって、国際的な反対運動が展開された結果、調査をしなければならなくなったものである。
世界銀行の理事会は、調査団が調査結果を発表するまで入植計画を実行しない、また4千万ドル(48億円)の青海省のプロジェクトに融資を実行しないという条件を付けた上で、1億6千万ドル(192億円)に上る貧困緩和計画に承認を与えた。世界銀行の広報官のピーター・ステファンズは、「プロジェクトの進展があるか否かは、一重に調査団の報告に懸かっている。調査団の報告が出るまでは、1セントと言えど融資することはないし、プロジェクトの一部でも実行することはない。これは前例のない決定である」と語った。世界銀行によれば、25人の理事の内4人が棄権した他は、大多数がこの措置に賛成した。理事会は元々火曜日に予定されていたが、世界銀行の総裁が参加するとの理由で、2日間延期されていた。
3人の委員によって構成された調査団は、実情調査のために世界銀行の理事会が設立したもので、世界銀行が自らの運用規定に違反して、環境破壊や強制移住に参画し、情報公開を怠っているとの、告発に関する調査することになっている。この告発を行っているのは、ワシントンに拠点を置く『チベット国際キャンペーン』、『環境法律センター』の2つの組織である。プロジェクトを実行するとの決定は、調査団の報告に基づいて、理事会がすることになっている。
今日の理事会に先立って、プロジェクトに反対することは「中国の内政に干渉することだ」との警告を、中国は米国に対して発している。中国外交部報道官の章啓月は今日、「(プロジェクトに反対する)米国の行為は、中国の内政に干渉し、中国の統一を破壊しようとするものだ(6月24日付け新華社電)」と語った。最近の中国政府の声明が示しているのは、世界銀行が実施する実情調査に際して、チベット人がプロジェクトに反対を表明しようものなら、それは中国の国益を侵害する『分裂主義者』と見なされるということである。世界銀行が面接調査を行ったチベット人の内10パーセントが、プロジェクトに反対であることを表明しており、62パーセントが支持を表明していない。さらに第2回目の調査に答えた農民と遊牧民の場合には、100パーセントが自然環境への悪影響を心配している。北京から発表される強硬な公式見解にも拘わらず、中国政府は世界銀行理事会の決定に完全に同意し、プロジェクト実施地域に外部の調査団が入ることになったと、世界銀行は本日発表した。
提案されている中国西域貧困撲滅計画は、青海省の東部地方から57775人の貧しい農民を、青海省西部のツァイダム盆地のドゥラン県に移住させようという巨大プロジェクトで、移住して来る農民は主として漢民族と回族(漢民族の回教徒)である。この移住計画によってこの地域の漢民族人口は急増し、チベット人やモンゴル人をさらに辺境の少数民族に追い込むことになる。
世界銀行と中国政府は共に声明を発表し、移住計画がこの地域の人口分布と自然環境に悪影響を与えかねないとの報告書をTINが2カ月前に公表するまで、このプロジェクトの政治的な微妙性に気が付かなかったと語った。世界銀行中国代表事務所長ユーコン・ファンは、議論が噴出するまでこれが『チベット問題』であることに気が付かなかったと、1週間前に語った。ドゥラン県は青海省の中にあるが、中国政府によって『海西蒙古族蔵族自治州』に区分されている。
以上
(翻訳者 小林秀英)
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