チベットにおける政治投獄についての重要な新調査 |
チベットに謝罪した中国の指導者 胡耀邦の1980年の演説 |
TIN News Update, 12 April 1999
The Chinese Leader who Apologised to Tibet
Hu Yaobang's 1980 Speech
チベットに謝罪した中国の指導者
胡耀邦の1980年の演説
今週は、中国の高名な指導者が亡くなって10周年目に当たる。彼の持っていた改革精神と自由主義的見解によって、また特にチベットに対する姿勢によって、彼は徹底的に非難されて来た。彼つまり胡耀邦は、1980年2月に中国共産党の総書記に指名されたが、1987年1月には辞任させられた。『ブルジョア自由主義』、これは西欧の政治思想を意味する特殊用語であるが、その拡散を防止しなかったことが非難されたのであった。1989年4月15日の胡耀邦の不慮の死は学生デモの引金となり、1989年6月4日の天安門広場の虐殺で抗議運動は最高潮に達したのであった。6月4日の10周年記念日が近づくに連れて、北京政府は神経質になっている。先週、胡耀邦の墓参りをしようとした反体制活動家が中国警察によって拘束され、もし墓参りをすれば国家の安全を脅かすことになると警告されたという。チベット人にとっては、胡耀邦は中国共産党がチベットで為した行為について、公式に謝罪をした唯一の中国人指導者として、特に記憶に残っている。
彼の謝罪発言は、1980年5月29日にラサの共産党幹部らに対する演説で表明されたものである。2月に共産党総書記に指名されると直ぐに第1回チベット工作会議を開催することにし、胡耀邦はその時チベット自治区に滞在していた。1980年5月22日から30日までの1週間、共産党中央委員会の高官から成るチベット工作班の責任者として、万里やガポ・ガワン・ジグメ、楊静仁、趙振清らと共に滞在していた。ちょうど同じ頃、ダライ・ラマ法王が派遣した2つの代表団がチベットの領域を訪問し大歓迎を受けていたので、非常に微妙な時期に重なった。チベット人たちは、おおっぴらに独立を叫んでいた。工作班のチベット訪問は、1951年に中国とチベットの代表団の間で交わされた、17条協定が調印された記念日とかち合った。したがって5月29日の胡耀邦の演説は、この協定の条文を強く反映したものとなった。
(以下の抜粋を参照)
彼はチベット政策の失敗を明確に表明して謝罪し、共産党にその責任があることを認めた。チベットにいる幹部たちは中央政府の何億元もの補助金をどう使ったのか、川に投げ捨ててしまったのかと彼は詰問した。共産党幹部に対する胡耀邦の批判は激しかった。彼は、批判の対象を『大災厄』と呼ぶ文化大革命と四人組みの失政に絞ってはいたが、それでも幹部たちの反感を買うことになった。1959年の『チベット反乱』鎮圧には殆ど触れず、また1960年代初頭の飢餓にも全く言及せず、将来を見据えて胡耀邦は6項目から成る政策を提言した。これらは民族自治の実践に関わるもので、民衆に課せられた税や他の負担の軽減、チベット経済の再活性化、農業と牧畜業の発展、チベットの科学・文化・教育の振興、少数民族幹部の登用、多数の漢人幹部のチベットからの引き上げ等の政策であった。
この演説は、共産党幹部や政治協商会議のメンバーら約4500人に対して為されたもので、それが一時的なものであったにしても、中国共産党のチベット政策の変更を意味する画期的なものであった。過去20年間、地元の事情を全く考慮しない政策を強いられて来たチベット人たちは、これらの提案を大歓迎した。しかしながら、これらの政策を実行に移すために、様々な配慮がなされたのは短期間の間だけであった。やがて長期的な政策は、それとは違うことがはっきりした。1984年5月に自治権を認める国内法が通ったが、それは決して共産党の権力を弱めるものではなかった。漢人幹部を内地に呼び戻す政策について言えば、厳密な統計数値を入手することはできない。
1980年代の中期には、幹部の移動は終了している筈であったが、そうはならなかった。内地の諸地域が、移動した幹部を収容するのに必要な職種と社会的な地位を提供したがらなかったためである。1984年に北京で開催された第2回チベット工作会議において、胡耀邦は漢人のチベット定住と事業参画を認めて、チベット開放を促進する政策を導入した。次第に多くの中国人技術者や専門家また労働者が、多くの新規開発プロジェクトに雇われるために、チベットに移住する結果となった。胡耀邦が前進させたチベット文化や教育を容認する政策は、チベット人の要求や分離主義的傾向を助長すると見なされて廃止された。より大きな自治権をほのめかした胡耀邦の演説によって、期待感は膨らんだものの、チベット人によるチベット人のためのチベット文化の管理および発展は、それ以後消し飛んでしまったのだ。
中央の不適切な公文書や規則は拒否することができることまでを含んだ、自治権行使の必要性を認めた胡耀邦の率直な意見には、チベットが中国の「不可分の一部であり」、自治権は統一的な指導力の下で実行されなければならないという声明が付け加えられていた。選択の自由や多様性の容認が、様々な民族の紛争の要因になるというよりは、むしろ統一には欠かせぬものであるとの認識を、彼は持っていたようである。過去の過ちを率直に認めて謝罪をし、政策を変更しようとする胡耀邦の姿勢は前例のないものであり、もしこれが完全に実行されていたならば、チベット社会に根本的な影響を及ぼしたことであろう。胡耀邦は、1987年1月に中国共産党総書記の地位を追われた。彼は中央委員会に残ってはいたが、もはや常任委員ではなかった。そして1989年4月5日に心臓発作で死亡した。彼にどれ程大きな尊敬と好意が寄せられていたかは、天安門広場で自主的に開かれた葬儀によって証明された。しかし彼が実行しようとした政策が持っていた可能性は、チベットにおいても中国においても、まだ殆ど理解されていない。胡耀邦の演説の中国語版は、米国に拠点を置く『中国時代』(China
Times)によって1998年4月に刊行された。TINはその抜粋を翻訳し以下に掲載する。見出し部のカギ括弧内の文章は参考のために付加したもので、原文には無かったものである。注意されたい。
胡耀邦の演説:1980年5月29日、於チベット自治区幹部大会
(抜粋)
[大会参加者に対する挨拶や総合的な説明は、ここでは省く。TIN]
[過去30年間、チベットでは目覚ましい生活の向上はなかった。]
「今日のチベットの状況は、完全に素晴らしいものとは言い難い。私は2つの問題を分けて考えたい。1つは歴史つまり過去の問題であり、もう1つは現在の問題だ。9日間に及ぶ調査旅行の結果判明した現在の状況は、チベットの民衆の生活環境には大きな進歩が見られなかったということだ。地域によっては多少の進歩が見られたところもあるが、返って退歩が見られたところもある。多くの地域で、人々は相互援助組合の頃[初級合作社や人民公社以前の共同作業の初期形態:TIN]の記憶を胸に留めていた。これは我々が、率直に認めなければならないことである。チベットの民衆の生活は、大きく進歩してはいない。幾らか退歩した地域さえある位である。華国鋒主席およびトウ小平副主席たちの中央委員会の同志たちは、この知らせを聞いて非常に悲しんでいた。我々の党がチベットの人民の期待を裏切ったのだと感じている。同志諸君、我が共産党の唯一の目的は人民の幸せに奉仕することであり、彼らに尽くすことである。我々は30年間活動して来た。このことを繰り返し繰り返し、注意深く考えるべきではないだろうか。中央委員会の同志たちは、とても残念がっていると申し上げた。華国鋒主席やトウ小平副主席とこの問題について協議して、私はここに来た。チベット人民の生活レベルに明らかな向上が見られなかったことに、我々は責任を負うべきであろう、それとも責任はないのだろうか。第一義的に言えば、我々には責任がある。第一義的に、中央委員会に責任がある。我々、中央委員会が80パーセントの責任を負う。しかしここにいる同志諸君は、その責任の一端を負わなくてもいいのだろうか。もし私がこのことを下品な言い方で言ったならば、人民はそれに賛同してくれないであろう。また共産党全体も賛成してくれないであろう。もし我々チベットに調査にやって来た人間たちが嘘を言えば、我々は共産党に対する責任を果していないことになる。だから我々の訪問の唯一の目的は、我々の同志と協議をすることだ。第一に、チベット人民の物質的また文化的な生活レベルを比較的速やかに向上させるために、我々が充分に統一的歩調が取れるかを、チベット自治区共産党委員会の同志たちと協議をすることであり、今日この会議に参加している4千人以上の同志たちと協議をすることだ。我々全員の目的は、統一ある豊かなそして文明化された新チベットを建設するために努力をすることだ、と我々は現段階で言うことができるであろう。漢民族あるいはチベット民族また他の民族の幹部として、我々に他に何の目的があると言うのだろうか。」
[自治権]
「最初の問題は、民族地域において中央委員会の統一的な指導の下で、自治権の完全な行使が認められるべきであるということだ。チベットは自治区であり、さらにそれは広大で特殊な自治区だ。120万平方kmの広さがあり、全国土の8分の1を占めている。自治権がなければ、全国の人民も強固な統一を確立することはできない。自治権とは自己決定の権利である。自治権がなければ、地元の状況に合った政策を実施することはできない。生産工作隊が自己決定する権利を有していることを、我々は今提案しているのではないか。実際、個々人としては、我々皆自己決定する権利を有している。我々自身の個人的な趣味に耽る権利を有している。チベット人の同志諸君は、バターやツァンパを食べるのを好み、南方の人間である私は米食を好む。もしあなた方がツァンパを食べる彼らの権利を侵害し、米を食べる私の権利を侵害したならば、我々は統一を達成することはできないであろう。同志諸君の中には少数ではあるが、そのような自己中心的な考え方で対応し、他人に自分の意志を押し付け、その人の自己決定権を侵害してしまう人たちがいる。弁証法に則るならば、中央集権[統一集中]と自治権には密接な関係がある。各民族が自治を完全に実行する権利を認められなければ、全国土の人民の偉大な統一は達成できないであろう。どうかこの原則をよく考えて頂きたい。私はいわゆる『画一性』を、客観的な法律に対応していない自己中心的な仕事の結果と見なしている。毛沢東主席は自己中心主義を、不純な共産党精神の現れと言っている。それは共産党員全体の敵であり、国家全体の敵である。自己中心主義に陥って、どうやって活動することが可能であろうか。どうして(そのような地元の)状況に配慮を示し、統一的な指導力を尊重しないのであろうか。我々は統一的な指導力を拒絶することはできないし、また自己決定権を行使することも拒絶できないのだ。自己決定権は、統一的な指導力の下で完全に行使されるべきである。
資料第31には、「中央政府やその各部署からの通達・指示・そして条例も、それがチベットの状況に適っていなければ、それを実行する必要はない」との記述がある。中央政府がこの規定を盛り込んだ理由は、あなた方が適切な変更を加え得るように、また中央政府に対するあなた方の見解を表明できるように、そして各民族の統合とチベットの産業発展に寄与しないようなものは一切実行する必要がないとの決定を、あなた方が下すことができるようにするためであったのだ。この規定に従えば、あなた方の自治区は中央政府の統一的な政策の下で、自分自身の法律を成立させることができる。あなた方がこの規定について、理論的な視点からまた政治思想的な視点から、深く思考を凝らすように私は進言したいと思う。この規定のことを深く考えないと、チベットには何の独自性もなくなってしまうであろう。我々のような外来者の目から見ると、ポタラ宮殿は際立った独自性を持ったものだが、それを除けば他のものには何の独自性も見られない。自治区共産党委員会の面々が食している食べ物も、なんら独自性のあるものではない。餃子とお粥くらいのものだ。民族的な独自性に何の配慮も払われておらず、全てのものが内地と同じになってる。私の意見は、このことは議論が交わされなければならないことであり、はっきりさせなければならないことだということだ。それをしなければ、チベット政策を大きく前進させることはできないであろう。漢民族は漢の姓名を持ち、チベット民族はチベットの氏名を持っています。ガポ同志の氏名はすばらしいものだ。私はもう一度、民族区域における自治権の行使は、中央委員会の統一的な指導に基づいて行われるべきである、と強く申し上げたいと思う。これが6項目の第1番目だ。今日はこのことに関して、余り詳しくは言及しなかった。なぜならば万里同志が何度が会議を招集して、そのことに言及しているからだ。ここに座っておられる県レベルあるいはそれ以上のレベルの共産党書記の方々、皆さんは全員がここに集まっておられるのだろう。あなた方自身の特色に従って、あなた方は具体的な法律や条例を制定し、またあなた方自身の民族的特色を守ろうとするであろう。あなた方はそうしなければならないのだ。そうした上で、中央委員会の手法を完璧に真似るならば、あなた方自身を批判することになるであろう。外見だけを真似るべきではない。中央委員会の全てを無批判に真似るべきではない。例外なしに無批判に真似をすることは、怠け者のすることだ。」
[1951年の17条の協定の第3条に、次のような記述がある。中国人民政治協商会議共同綱領に基づき、中央人民政府の統一的指導のもと、チベット人民は民族区域自治を実行する権利を有する。:TIN]
[第2、第3番目の問題:第2、第3番目の問題はここには収録されていないが、それぞれチベット人に対しては2年から5年の間、税の納付および物品購入を国家的な配給制度の下で行うことを猶予するというものである。これは経済成長を促進するという政策のためであり、家内工業や手芸産業を導入し、食料品の品目を増やし、個人的な必要に応じて家畜を飼うことや、個人的な経済活動を認めなければならないとしている。TIN]
[国家予算は、農業と牧畜のために使われるべき]
「第4番目の問題は、国家があなた方の支援のために計上した予算の大部分は農業と牧畜の発展のために、またチベット人民の日常生活において緊急に必要なもののために使われるべきだということである。これは基本的な政策である。同志諸君、私は数値を挙げてあなた方に報告をしたいと思う。過去29年間に国家はどれ程のお金を、あなた方に渡したと思うか。国家による直接的な投資および軍事費を計算に入れなくても、45億3千万元(679億5千万円)をあなた方に手渡して来た。この数字を念頭に置いてほしい。45億3千万元だ。またあなた方は、工業・商業および農業からどれ程の税収を得て来たのか。過去29年間に、あなた方が獲得したのは5738万元(8億6千万円)だけだ。見てご覧なさい。45億元与えられて、あなた方が大衆から獲得したのは僅か5700万元だけなのだ。5700万元位が何の役に立つと言うのか。
中央委員会は最近、今年はさらに4億9千6百万元(74億4千万円)をつぎ込むことに決定した。来年からはさらに、毎年10パーセントの率で増加させ、1984年には8億元(120億円)に達する見込みである。我が国の29の省や自治区の中で、あなた方程優遇されている地域は外にはない。あなた方を優遇することは正しい政策だ。なぜならば、あなた方の地域は重要だからだ。この地域は広大だし、6カ国と国境を接し、高地でしかも寒冷な地だ。だから国家は、最も優遇されている他の地域に比べて、その1.5倍もの支援策を講じている。中央委員会がチベット人民に対し深い配慮をし、実際に優遇策と採っているということを、あなた方は公に言うべきだと私は思う。また同時に、ここ数年お金が適切に使われて来なかったということも指摘したいと思う。無駄使いは巨額なものであった。まるでヤルツァンポ河にお金を投げ捨てたようなものであった。繰り返して言うが、責任を追求する積もりはない。また過去の帳尻を合わせたいとも思わない。過去においては、我々には経験が不足していた。しかし現在は、経験を総動員すべきだと思う。
今年、あなた方は4億9千6百万元(74億4千万円)の援助を受けているが、来年には5億5千万元(82億5千万円)に達するであろう。それをどうやって使うか。あなた方がそれをどのように使うのか、私はそれを心配している。あなた方の中の誰かが無責任で、目をつぶって今日は5千万元明日は4千5百万元と小切手を切ったとする、それが問題を引き起こさない筈がないであろう。これは私の見解だが、自治区共産党委員会は良心的な話し合いをすべきだと思う。(万里:お金は簡単に稼いだものではない、正しい帳簿を付けるべきだ。)この4億9千6百万元は、全国人民の汗と血の結晶だ。だから良心的に話し合いをすべきだと言っているのだ。決して1人の人に任せ切ってはいけない。あなた方が責任を持ち、細かい予算を作り、適切に使わなければいけないのだ。陰法唐同志、あなたは今第一書記です。ガポ同志、あなたにも申し上げたいのだが、もしチベット自治区がお金を不適切に使ってしまうのであれば、また会って話したいと思う。これは少し無作法かも知れないが、友人は友人であり、原則は原則だ。ここにいる全員が証人だが、毎年人民のために我々は何か良いことをしなければならない。しなければならないことが、山とあるのではないか。」
[社会主義の堅持とチベット民族の科学・文化・教育振興]
「5番目の重要な問題は、社会主義の堅持を前提としながら、精力的にまた完全にチベット人民の科学・文化・教育を振興させなければならないということだ。勿論ここには前提があり、社会主義は堅持されなければならない。漢民族の幹部の間には、少数であるがチベット民族が遅れているとの誤った見解を持っている人々がいる。私はこの見解には同意しない。これは間違っている。チベット文化は際立って豊かで、その歴史は太古に溯ることができる。ポタラ宮殿は300年以上の歴史を有し、ジョカン寺は1300年以上もの歴史を有している。チベットは、太古からの歴史を有し、世界的に有名な古代文明と非常に優れた仏教経典研究の成果を有している。チベットはまた、極めて優れた音楽と舞踊、彫像、絵画、建築、チベット医学を有している。チベットの音楽や舞踊は、我々漢民族のものよりもずっと優れていると、私は考えている。勿論、我々も優れた音楽や舞踊を有しており、我々の能力について決して否定的になる必要も、過小評価する必要もないことは言うまでもない。しかし概して言えば、チベット人やモンゴル人、ウィグル人や韓国人の音楽や舞踊は、漢人のものよりも優れていると私は思う。『儀軌に適わぬことは何も聞くな、儀軌に適わぬことは何もするな』という儒教の格言に従ったために、漢民族は大変な損をした。この2つの格言は、儒教を代表する有名な格言だ。しかしチベットの歴史、言語、芸術を見下すことは、完全に間違っていることだ。
教育の普及程度は、現状では余り良いとは言えない。昨日私は、同志ロプサン・ツルテム、ドルジェ・ツェテン、プンツォク・タシと話をし、チベットの歴史、言語、精神研究、経典研究、芸術、法律そして彫刻の分野で、科学大学を設立するために準備をすべきだとの提案をした。学生の数は、必ずしも多数である必要はないであろう。千人か2千人で十分だと思う。入試があり、基準以上の人は誰でも入学できるようにし、基準に達しない者は入学できないようにする。チベット人が主体であるべきだ。98パーセントが、チベット人でなければならない。では漢民族はどこへ行くのだろうか。彼らは内地に行けば良いであろう。生涯を通じてチベット人に奉仕しようとの決意をしている者だけが、ここに来るべきだ。さもなければ人々は、川を渡る橋としてここにやって来るようになるであろう[つまり、彼ら自身の利益のために−TIN]。これは通らぬことだ。このことに寛容であるべき理由など存在しない。これ(大学)が、今年叶えられなければ、来年には叶えられるであろう」
チベットで働いている漢民族幹部は、チベット語を学ぶべきだと、私は考えている。あなた方は10年も20年もここで働いているにも拘わらず、チベット語の能力は私と変わらない。『タシ・デレ』というような目出たい言葉位しか知らない。私のような遅れた人間の真似をすべきではない。どうして学ぼうとしないのか。チベットで働く漢民族幹部はチベット語を学ぶべきだと、私は思う。これは必須であるべきだ。さもなければ、あなた方は大衆から浮き上がってしまうことだろう。あなた方が少数民族に暖かい気持ちを抱くということは、単に口先だけでの話ではない。あなた方は、彼らの習慣や風俗また言語を歴史を文化を尊敬しなければならないということだ。もし実際にそうしなければ、それは空念仏になってしまう。繰り返してもう一度言いうが、チベットの文化を否定したり弱体化させようとの政治思想を持っている漢民族幹部は、たとえそれが誰であっても、完全に間違っているのだ。民族の統一強化に損害を与えているのだ。」
[注:17条協定には以下のような声明が付随している。「中央人民政府は、各少数民族がその政治・経済および文化・教育を発展させる建設事業を援助する。」さらに同協定第9条には、「チベットの実際状況に基づき、チベット民族の言語、文字および学校教育を逐次発展させる。」と述べられている。TIN]
[漢民族幹部の大多数を移動する]
「最後の問題は、党の民族幹部政策を正しく実行し、チベット民族幹部と漢民族幹部の密接な統一を強化することである。もう一度繰り返して言えば、チベットにやって来た漢民族幹部は、チベット人民の解放に貢献して来た。彼らは熱烈な努力を捧げて来た。チベットに入った大多数の幹部が、チベットの解放のために一生懸命に努力をして来た。勤勉にそして良心的に働き、貢献して来た。これは完全に認められるべきである。しかしながら、少数のほんの少数の、極めて少数の人々であるが、不健康な傾向を持った人々がいなかったであろうか。チベット自治区共産党規律検査委員会は、いくつかの不健康な傾向を示す資料を見せてくれた。最初はその資料を読みたくはなかったのだが、党員たる者は恰好をつけてはいられなかったので、私はそれを読まなければならなかった。不健康な傾向の主要な現れは、以下のようなものであった。
1 民族政策に反対し、各民族の統一を阻害すること。
2 特権を利用して、職場に身内を採用すること。
3 派閥主義を増長して、小さな派閥を作ること。
4 無責任で国家や公共の資産を浪費すること。
5 権力を乱用し、大衆を馬鹿にすること。
[この点は、1980年5月30日に発表された新華社の解説には掲載されていない。TIN]
6 個人的な特権を求め、宴会を開いたり、賄賂を求める。
この不健康な傾向を有することが、個人的な問題であるにせよまた極少数の者たちの問題であるにせよ、白日の下に晒すべきであると私は考えている。共産党の党員にとっては、正しいことは正しいし、間違っていることは間違いなのだ。チベット人に対して良からぬことを言い、良からぬことをした同志たちが存在している。彼らが行った行為の大部分については、我々は彼らを責めることはできない。我々自身の責任なのだ。なぜなら我々は、彼らの教師でありまた年長者なのだから。
過去29年間、チベット民族は成熟して来た。多数の優れた能力のあるチベット人幹部が養成され、また訓練されて来た。彼らは大衆と連帯を保っている。彼らの多くの者が、この立場に立っている。例えば、ガポ同志は価値がある貢献をしている。数十年前にも彼は、大変な貢献をした。ライディ同志やパサン同志もおられる。また多くの県レベルの共産党書記たち、楊東生同志、ドルジェ・ツェテン同志、プンツォク・タシ同志、パクパラ同志、ロプサン・ツルテム同志等、非常に多くの方々がいる。数千人いや数万人にも上るであろう。これは我々の党の民族政策の偉大な業績なのだ。我々漢民族の幹部たちは、チベット人幹部が成熟して来ていることに喜びを感ずるべきだ。これこそが、我々の偉大な業績の一つである。我々は、このように考えなければならない。時間を掛けた末に、ようやく獲得した業績だ。中央委員会が、新たなる事態に対応し、新たなる問題を解決するように我々に呼びかけているのではないか。新たなる事態とは、彼らが成熟して来ているということだ。この新たなる問題を解決するためには、我々は彼らにもっと大きな責任を追わせるべきだ。彼らは、我々よりももっと上手くそれを成し遂げるであろう。だからこそ我々は決定をしたのだ。しかしながら、思考回路を改めなかった幹部たちがいると聞いている。思考回路を改めなかった幹部たちも、それをしなければならない。我々は、まず第一歩として政策決定をする。次に彼らは、その思考回路を改めなければならない。毛沢東同志や周恩来首相がご存命の間は、その指導に基づいてチベット人幹部が60パーセントを占め、漢民族幹部が40パーセントを占めていた。これは1950年代と60年代の終わり頃には、そう言われていたからだ。しかし昨日我々が議論した結果、ここ2、3年の内に、私の見解では2年以内が最善だと思うが、チベット人幹部が自治区幹部の3分の2以上を占めるべきだということになった。生産部門ばかりではない。教育部門も含めてのことだ。生産部門の幹部について言っているのではない。それは全員が、チベット人幹部であるべきだからだ。我々は、この土地に30年間暮らして来た。そして歴史的な仕事を成し遂げた。我々の肉体は、ここの風土に適していない。漢民族幹部がなぜ、ここに来て労働者としてまた公務員として働かなければならにのだろうか。」
以上
(翻訳者 小林秀英)
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