32号(1999年1月)

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 新ラサ拘置所に政治犯拘留される

TIN News Update, 17 November 1998
Political Prisoners Held in New Lhasa Detention Center

TINが入手した情報と写真によれば、高度な警備を備えた拘置・取り調べ所がラサ郊
外に新設された。この新しい刑務所は、政治的な理由によって拘留された人々を取
り調べる用途に使用される。現在収監されている拘留者は、今年5月にダプチ刑務
所で起こった抗議運動に際し同刑務所から移された囚人や、また、政治的な「間違
い」を犯した政府の役人だという。新拘置所施設の設置は、政治的に異なる意見を
圧殺するための長期的な警備手段が、いまだにチベット自治区の統率にとって高い
優先事項であることを示す兆候である。

新施設は、ラサ郊外の北東部に道路に平行して位置し、五治隊(ウディトゥ)拘置所や
四治隊(セートゥ)拘置所等のいくつかの人民武装警察の施設があるドグデ・ラム
の東にある。隣接する施設は人民武装警察幹部訓練校で、新建造物から道路を挟
んで100―200メートルのところにある。この拘置所の存在については建設が
開始されたころは知られていなかったが、昨年撮影された写真によれば1997年
までに完成したとみられる。

新施設は、一治隊(イディトゥ)、四治隊(セートゥ)、五治隊(ウディトゥ)から
成る複合施設であるサンイプ刑務所の増設施設とみられ
る。もしそうであれば、この新施設の名前はおそらく六治隊(リューディトゥ)であ
ろう(二治隊、三治隊は現在、拘置所ではなくなっている)。チベットからの信頼で
きる非公式情報筋によると、この新刑務所施設には建物が6ブロックあり、各ブロック
には2人部屋が5―6部屋あり、少なくとも60人の囚人を収容可能と指摘している。

チベット内部のある情報筋は、ドアの上に監視ビデオカメラや盗聴器が取り付けら
れているこの建物を「ちょっとした美的景観と警備設備を備えた最新環境の施設」
と評している。この施設は運動するための小さな屋外スペースがあるようだ
が、ラサの他の刑務所施設にあるような菜園はなく、これはこの施設がおそらく高
度な警備施設であることを示している。写真によると、同刑務所の中で一番大きな
ブロックが武装警察で占められており、また、複合施設の中にいくつかの9メート
ルの監視塔とラジオ送波塔がある。

この非公式情報筋によると、新刑務所施設は「政治的に不忠実である疑いが強い者
や、特に政治的な事柄で深刻な間違いを犯したとされる元指導者」を収容するもの
であるという。TINの情報筋によると、この施設はそのような容疑者が判決を下され
る前に拘留され尋問されるための新施設として機能する。新施設に拘留される囚人
は、「捜査において信頼できる目撃者もしくは保護者がおらず、鮮明な理由によら
ずに判決を受ける人々」となるであろう。

新施設は、サンイプ警備複合施設内にある四治隊(セートゥ)と同様の機能を果たす
とみられ、特に抗議運動の組織化や国家機密に係わる情報の収集のかどで告発された
市民活動家など、州の警備に対し深刻な犯罪を犯したとの疑いをかけられた囚人を留
置する。四治隊(セートゥ)刑務所の主な役割の一つは、人民が政治的な反対運動に
関わることを避けることであり、これには外国人や亡命チベット人とのいかなる接触
からも、こうしたチベット人を隔離することが含まれる。

容疑者は公安によって取り調べを受けた後、告訴もないまま尋問センターに留置さ
れる。そして問題の件は、取調官によって調査を受けるが、調査はたいてい3カ
月かかる。囚人はその後、告訴なしで釈放されるか、裁判なしで労働による再教育
センターでの管理拘留という判決を受けるか、もしくは犯罪の告発を受けて裁判に
送られる。有罪になった場合は、刑務所か労働改造収容所に移される。

尋問中の拷問は日常茶飯事である。ラサでのデモに参加した後で拘留された四治隊(
セートゥ)の元囚人は、7カ月の尋問センターにおける期間中、判決が出る前である
のに取り調べ官から何度も殴られたと言っている。「私は警棒や鉄棒、ライフルの
銃尻や、砂が一杯つまったプラスティック製の筒などで殴られた」と、彼はTINに
語った。「彼らが家畜用の突き棒を無理やり私の口の中に押し入れたので、歯が一つ
かけてしまった」と語った。

チベット内部の非公式情報筋は、この新刑務所施設が「中央政府の州警備省の命令
」によって建てられたと主張している。しかしながら、新施設は自治区単位で行政
が行われるとみられる。これは要するに、チベット自治区政府の管理に委ねよう
との意味がある。

中国当局は、チベット自治区における3つの刑務所の存在については認めている。
ラサから約300km離れているのダプチ(チベット自治区第1刑務所)とポヲ・タモ
(チベット自治区第2刑務所)、さらに彼らが「ラサ市営刑務所」と呼ぶ3つ目の
施設である。これは、しばしば中国語で五治隊という呼び名で知られる、ウディトゥ
というサンイプ複合刑務所の内の刑務所か刑務所の一部に関連していると思われる。
サンイプ刑務所とその様々な施設の規模については、なんら公的な認知はない。

「警備の高度化や政策の強化といった方面で1997年以来、チベットの政治状況
に関して、中国政府の一部の態度硬化が顕著になってきている」とTINの情報源は報
告している。「政府は関連する警備強化機関に対して、任務を強化させるため、
かなりの経済支援を行っている」という。この新刑務所施設は、チベット自治区に
おける現在の警備政策の重要基盤であるとみられる。

ラサ市警察長のルオブ・ダンツー(チベット語ではノルブ・ドゥンドゥップとして
知られる)が今月の初め、チベット自治区の警備状況について「複雑で敵意のある
暴力闘争」と表現した。11月8日のチベット日報の記事によると、ルオブ・ダン
ツーは「我々は、分離主義や犯罪との闘いを続けながら、公共の秩序と平静を保つ
ために、今後の更に難しい使命を持って、公共の秩序を厳守し我々が直面している
複雑で敵意のある闘争について、明確に認識しなければならない」と述べた。ルオブ
・ダンツーはこの冬、犯罪に対する「猛攻撃」キャンペーンに着手すると告知して
いる。

チベット日報によると、彼は「国内と外部の反動主義団体、分離主義者らは我々に
対し全力を挙げながら、絶えず方策を変えている。分裂行動は、おおっぴらなもの
からコソコソとしたものに変わり、都市部から農村や牧畜地域に広がっており、
着々と分離主義行動をエスカレートさせている」と述べた。

以上

(翻訳者 TNDスタッフ)

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 ダプチ刑務所のさらなる抗議行動に続く、ンガワン・サンドルへの懸念

TIN News Update, 27 November 1998
Fears for Ngawang Sangdrol Following futher Drapchi Protests

尼僧ンガワン・サンドルの安全が懸念されている。彼女は、5月1日および4日のデ
モ以降さらなる政治的な抗議行動にかかわった後、ダプチ刑務所でひどく殴られたと
伝えられている。ンガワン・サンドルおよび少なくとも2人の尼僧が、5月の事件か
ら1ヶ月以上後の抗議行動にかかわった後、重症の状態にあると言われている。この
報告は、ダプチ刑務所での政治的行動のためすでに2度の刑期延長を受けているンガ
ワン・サンドルが、そうすることによって厳しい報いを被るにもかかわらず、抵抗の
動きに参加し続けていることを示している。彼女の最近の抗議行動が、5月のデモに
参加した少なくとも5人の尼僧の死への反応によるものかどうかは、わかっていない。

最近の報告によると、女性囚としてはチベットで最も長い18年の刑に服しているンガ
ワン・サンドルは、件の暴行の後、目下独房に監禁されているかもしれない。彼女の
行動は、当局が彼女を首謀者だとみなしている継続的な抵抗運動の一部と思われる。


ガリ尼僧院の22歳の尼僧ンガワン・サンドルは1992年、独立支持デモに参加したこと
により、最初の3年の判決を受けた。彼女をはじめ14人の尼僧がダプチ刑務所の中で
民族主義的な歌を歌ってテープに録音した事件があった1年後、彼女は選び出されて
特別に厳しい扱いを受けるようになった。彼女はひどく殴打され、罰として刑期が6
年延長された。

ンガワン・サンドルは1996年、中国のパンチェン・ラマ選定をめぐる抗議行動に参加
して、さらに9年間の刑期延長を受けた。この抗議行動の後、右脚に傷害をもたらす
ことになった激しい拷問によって、彼女の様態が悪化したと言われている。非公式の
情報によると、彼女はダプチ刑務所の窓や明かりのない独房に約2ヵ月監禁されてい
た。この間、彼女の食事は制限され、1日あたり、粗末な餃子1個またはパン1切れ
だけだった。昨年亡命した元囚人によると、1996年7月、ある有志が彼女のために食
べ物を刑務所に密かに持ち込んだものの、彼女は肉体的にあまりに弱っていて食べら
れなかったという。

ンガワン・サンドルとともに今回のダプチの抗議行動にかかわったとされている尼僧
の中には、彼女と同様に1993年に民族主義歌を歌った後で刑期が延長されたチュブサ
ン尼僧院の23歳のンガワン・チュゾム、およびミチュンリ尼僧院の23歳のプンツォ・
ペマがいる。彼女たちもその行動の報いを受けていそうである。プンツォ・ペマがま
だ獄中にいるという報告は、刑務所での政治的活動にょって彼女の刑期が延長された
ことを思わせる。彼女は1997年10月に釈放されることになっていたからだ。プンツォ
・ペマは1989年10月14日、すなわちダライ・ラマにノーベル平和賞が授与されたこと
をチベット人たちが知った3日後、他の5人の尼僧とともにラサでのデモに参加した
ために逮捕され、8年の刑を受けた。

2年前、プンツォ・ペマら尼僧たちは、中国によるパンチェン・ラマ選定に抗議して
受けた扱いへの反応としてハンガー・ストライキを始めたとき、「国家の名声を傷つ
け」ようとしたとして告発された。現在は亡命している元囚人によると、プンツォ・
ペマとンガワン・サンドルは、1996年春にダプチ刑務所当局が始めた集会の中で、パ
ンチェン・ラマの公式候補者に抗議した多くの女性政治囚の中にいた。この抗議行動
がなされたのは、ダプチ刑務所当局が始めた、おそらく囚人たちがゲンドゥン・チュ
キ・ニマをパンチェン・ラマの11世転生とするダライ・ラマによる選定を支持して異
議を唱えたりしないよう意図された集会だった。

現在は亡命している元囚人によると、この尼僧らの抗議行動の後、当局は新たな懲戒
処分を導入した。この中には、朝のベッドのチェックというものがあった。「ベッド
がきちんとしていないといった理由にかこつけて、彼らは尼僧たちをひどく殴った」
とその元囚人のTINに語った。「彼らは、ベッドをきれいにする方法を教わるために
兵士を呼ぶぞと尼僧たちに警告した」。囚人のベッドを「チェック」するために、竹
の棒やベルトで武装した警官が部屋に送り込まれたと伝えられている。そして、選び
出されて殴る蹴るの暴行を受けた女性囚の中にンガワン・サンドルがいた。彼女もま
た独房に監禁されていた。現在亡命している元政治囚によると、ンガワン・サンドル
の棟にいる80人以上の女性囚が、処罰の厳しさに抗議してハンガー・ストライキをし
た。尼僧たちは、当局に説得されて4日後にストライキをやめたと伝えられてる。「
彼女たちは、[当局には]ハンストをやめさせる医学的手段があるのだし、[尼僧た
ちは]ハンストを続けることによって国家の名声を傷つけようとしている、と言われ
た」と元囚人は語った。

5人の尼僧を含む少なくとも10人のチベット人が命を落とした5月の抗議行動以来、
ダプチ刑務所での警備が強化されたと言われている。尼僧たちは、デモにかかわった
後ひどく殴られたと伝えられ、体は腫れて傷ついていると言われる。6月7日に部屋
の中で遺体で発見された尼僧たちは、自殺したのだと刑務所当局者は語った。新たな
抗議行動の報告は、当局がさらなる反抗を抑えようとし、またダプチ刑務所の状態に
ついての情報が外の世界に届くのを防ごうとして比類ない骨折りをするにもかかわら
ず、刑務所内での抵抗運動が続いていることを思わせる。

以上

(翻訳者 長田幸康)

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 環境保護運動に苛酷な処罰

TIN News Update, 15 December 1998
Harsh Punishment for Environmental Protest

チベットで起こっている環境保護運動に対して、中国政府は特別に苛酷な対応を示して
いるとの報告が、チベットから最近届いた。1996年には、四川省の僧院に住むチベ
ット人僧侶が環境破壊に抗議する運動を行って、逮捕投獄された事件が起こっている。
これは、環境破壊も意に介さない中国の政策に対して、チベット人の間で懸念が広がっ
ていることを示している。甘孜蔵族自治州のセルタル(色達)県にあるヌプスル僧院の
僧院長、カプチェ・リンポチェは1996年6月10日に逮捕され、僧院近辺で行われ
ている金鉱掘りに関する地元政府の政策を批判したとの罪状で、6年の懲役刑の判決を
受けた。

非公式情報によれば、カブキェ・リンポチェは独立要求のポスターを貼った廉で、告発
されたとも伝えられている。およそ1年程前の、1995年7月24日のセルタル県成
立40周年の記念日に、セルタル県内にポスターを貼ったというのである。彼が逮捕さ
れた翌日には、中国人の公安当局者が僧院を訪れ、彼の部屋に押し入ってポスターやカ
メラを押収したという。TINの情報筋によれば、カブキェ・リンポチェは独立運動に
は一切関わりはなく、外国人に接触したこともないと主張している。彼が語る所によれ
ば、彼がやったことは、ヌプスル僧院近辺で行われている金鉱掘りと、同地域に大量の
中国人が移住してことに関して、政府に抗議の手紙を出したことだけであるという。

セルタル県の鉱物資源が搾取されていることに対する、地元のチベット人とヌプスル僧
院の僧侶らによる抗議運動は、ヌプスル僧院の背後に聳える山で金鉱開発が行われたこ
とによって触発された。TINの情報筋によれば、金鉱山には1992年以来300人
以上の中国人が集まっており、既にかなりの数の中国人が住み着いている蔵族自治県
に、さらに中国人を増加させる結果となっている。鉱山開発の利益は地元経済に還元す
るとの、四川省鉱産部の保証にも拘わらず、地元民たちも僧院も全く利益を得てはいな
いと感じている。

TIN情報筋による報告では、カブキェ・リンポチェが逮捕された2日後には、中国公
安当局はヌプスル僧院を再度襲って、僧院の事務長のパンツァを逮捕した。2人とも取
り調べでは、拷問を受けたとのことである。同情報筋によれば、彼らは窓も照明も全く
ない独房に入れられ、ほんの僅かな食事しか与えられず、繰り返し殴打を受け、夜は睡
眠も取らされていないという。カブキェ・リンポチェは特に苛酷な拷問を受けており、
裸にされて燃え盛る火の側に立たされたという。彼は意識を失って、火の中に倒れ込
み、左腕にひどい火傷を負った。また何時間も正座をさせられたために、膝を痛めて、
立ち上がることができないと、同情報筋は伝えている。

カブキェ・リンポチェは、ナソォ・リンポチェと呼ばれることもあるが、拘置期間中に
セルタル県政府に手紙を書き、同地域に中国人が流入している件と地下資源搾取の件、
特に僧院背後の金鉱山開発の件で抗議したと伝えられている。山腹で岩を砕くために使
われる発破が、家畜を放牧する遊牧民の生活に悪影響を及ぼし、牧草地の土砂流出につ
ながっているとの、懸念を表明したと伝えられている。

同地域のチベット人のこれらの現実的な懸念に加えて、1996年2月にヌプスル僧院
の前僧院長およびもう1人の高僧が突然亡くなった件も、鉱山開発と結び付けられ懸念
を煽る結果となっている。鉱山開発と高僧らの死に因果関係がてあるとの証明は全くな
いが、金鉱山がある山腹は神聖な場所であり、多くの大地を守る精霊が住む場所だと、
チベット人たちは信じている。この2人の高僧が亡くなった結果、35才のカブキェ
リンポチェが、ニンマ派に所属するヌプスル僧院の僧院長職と民主管理委員会の書記に
着いた。

TIN情報筋によれば、カブキェ・リンポチェは取り調べの最中も、彼は1人に責任が
あり、パンツァは全く関係がないと主張した。パンツァは拘置されて1カ月後の、19
96年7月13日に公安当局によって、無罪放免となった。カブキェ・リンポチェは、
正式に告訴されるまで拘置され、1996年10月27日に『反革命分離主義』の罪状
で、6年の懲役刑と8000元(964ドル、11万円)の罰金刑を受けた。彼の家族
も友人もまた僧院も、判決が出るまで裁判の件は全く知らされなかったと、同情報筋は
伝えている。

1997年にTINが受け取った非公式情報によれば、カブキェ・リンポチェはガパ
(中国名:阿ォ)蔵族・羌族自治州のマルカム県の刑務所に、移送されることにな
っているということであった。しかし、現在彼がどこに拘置されているかは確認されて
いない。マルカム県の刑務所というのは、マルカム町(中国語名:馬爾康)の南東の谷
にある州レベルの刑務所施設のことであると思われる。逮捕以来リンポチェは心臓を患
っており、刑務所の劣悪な環境の下でさらに悪化するとの懸念があると、非公式情報は
伝えている。

カブキェ・リンポチェは、1980年にヌプスル僧院に入り、1990年10月に転生
化身と正式に認定された。ヌプズル僧院の僧侶たちからもまた地域の人々からも、学者
としても指導者としても大変に尊敬されていたために、彼の逮捕はチベット人の間に広
範な憤りを引き起こしたと伝えられている。TINの情報筋によれば、カブキェ・リン
ポチェはセルタルの民衆にメッセージを送り、彼は考えを書面に書き表しただけである
から、平静を保つように促したという。

カブキェ・リンポチェの逮捕と判決の後に、中国政府はセルタルの民衆に対する取り締
まりを強化し、ダライ・ラマ法王の写真を掲げることと、ボイス・オブ・アメリカのチ
ベット語放送を聞くことを禁止する措置を強化したと伝えられている。複数の情報が伝
えているところでは、県の中心地から南東27kmに位置する同僧院は、カブキェ・リ
ンポチェに関する捜査が終了するまで閉鎖されていたという。カブキェ・リンポチェの
逮捕直後に、工作班が同僧院に入り愛国教育を実施した。愛国教育運動は、今年からチ
ベット自治区からチベット全土に拡大されており、したがってカブキェ・リンポチェの
逮捕とは必ずしも結び付くものではない。

以上

ヌプスル僧院、カブキェ・リンポチェ、および彼が反対運動を展開した金鉱の写真は、
TINのホームページで見ることができる。
http://www.tibetinfo.net/reports/news-briefs.htm

(翻訳者 小林秀英)


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 青海・チベット鉄道のルート提案さる

TIN News Update, 24 December 1998
Route Proposed for Qinghai-Tibet Railway

計画されている青海・チベット鉄道のルートが、鉄道部(省)の調査が終了したことを
受けて確定的となった。この鉄道は、チベットと中国をより一層結びつけようとするも
のであり、青海省のゴルムドから、ナクチュ、ダムシュン県、ヤンバジン県を通って、
ラサに到達するものである。調査結果によれば、全長1110kmで、トンネルの全長
は30.6kmに達すると、12月3日付けの西蔵人民放送は伝えている。青海省政府
は、できるだけ早く鉄道建設を開始するように要求している。同地域の経済発展および
『安定と治安維持』に不可欠であると、いうのである。

中央政府は、少なくとも14億元(1億7千万ドル、195億5千万円)掛かると見積
もっているが、同計画のためにいかなる資金も用意してはいない。役人たちの主張は、
鉄道建設は経済的な見地からのみ評価するべきものではなく、鉄道が完成すればチベッ
トをより中央の統制下に置くことができるようになり、チベット内部の治安を強化でき
るようになるというのである。

チベット自治区は、唯一他の中国の地域と鉄道で結ばれていない第1級行政区である。
1950年代から、チベットと他の中国の地域を結ぶ鉄道建設が議論されて来た。雲南
省に始まり、甘粛省、四川省、青海省が候補に上がって来たが、地理的な条件また気候
上の困難さに加えて、膨大な建設費用が掛かることで、いずれの路線も実現しなかっ
た。1970年代に、比較的費用が安いということで、青海省からの鉄道建設が始まっ
た。しかし、1984年に、費用が掛かり過ぎることと困難が多すぎるということで、
建設は中止された。当時の路線は、西寧からゴルムドまで延びていた。そして現在計画
されている鉄道は、この路線をさらにラサまで延ばそうというのである。鉄道部主任技
術者のフー・マオクンは、計画には綿密な調査が必要であると語って、北京政府の慎重
さを垣間見せた。「忍耐強くなければならない」と彼は語ったと、8月28日付けの新
華社電は伝えている。この段階では、チベット自治区を含む中国南西部で進行中の多く
の鉄道建設計画に、青海・チベット鉄道が含まれているとは述べられていなかった。

鉄道は青海省とチベットの『生命線』になるだろう、と青海省副省長の賈錫太(グー・シータイ)
が語ったと、11月6日付けの青海日報が伝えている。青海省共産党副書記の桑結加
(サン・ジェジァ)は、青海省の地下資源開発は重要な経済開発戦略の一環である、そして「地下資源開発は鉄道輸送力の確立と一体の関係にある」と語っている。

チベット自治区政府が最近発表している声明は、ゴルムドからラサへの鉄道建設促進を
求める青海省の役人たちの公式見解に比べれば、さほど明確なものではない。8月18
日付けの新華社電によれば、チベット自治区主席のレチョクは、中国はチベット鉄道建
設の「大望を再び抱いた」と語った。政府が鉄道建設の予算を増大させる決定をしたこ
とで、「自分達の鉄道を持ちたいというチベット人の希望に再び火が着いた」と、彼は
語ったと新華社電は報じている。

青海省の西寧市で、7月21日から24日まで開催された国際的な開発促進会議では、
この鉄道建設の可能性と収益性が、中国と西洋の学者によって議論された。この会議に
参加していた外国代表の1人がTINに語ったところによれば、「鉄道の延長は経済的
な視点からだけでは、正当な理由になり得ない。この鉄道には明確に政治的必要性が存
在している。特に今年前半にインドが核実験をしてからは、国境の安全を強化するため
である」と、中国の学者が認めたという。

9月12日付けの青海日報の記事は、この鉄道を評して南西国境の防衛とチベット安定
化を考えた『政治的生命線』と述べている。チベット自治区の5カ年計画は、チベット
に鉄道を建設することは、祖国の南西国境の安全と鉄道沿いの豊かな地下資源開発、お
よびチベットと他の中国の地域の経済的また政治的な結び付きを確立するためにも、最
も重要なことであると述べている。チベットを中国に完全に統合するのを、政治・経済
の両分野において阻害している要因を、この鉄道がさらに取り除くことになるのであろ
う。

7月に開催された第3回チベット工作会議での演説で、チベット自治区共産党副書記の
ライディは、経済発展と治安問題に明確な結び付きがあることを、よりはっきりと強調
した。1998年7月29日付けの西蔵日報の記事の中で、彼は「チベットは中国の戦
略地点であり、また重要な防衛拠点の1つであるので、中国の全体的な政治・経済・文
化的発展を考える上で、特に重要な地域である。だからチベットの経済的また社会的な
発展を促進して、統一と安定を維持することが、国家の安全を考える上でも非常に重要
である」と語った。ライディの演説から窺われることは、現在チベットで推進されてい
る反『分離主義』、反『ダライ一派』闘争の趨勢を決めるカギを鉄道建設が握ってい
る、と政府が判断しているということである。チベットが未開社会であり、また社会的
に不安定な原因は、ダライ一派の分離主義にあるというのである。

チベットにおける鉄道建設は、穀物や他の資源をチベットに供給し、チベットへの中国
人の流入をさらに促進するとの虞れがある。戦略的な側面から言うと、鉄道建設は国境
警備の軍隊の配置と治安維持活動を飛躍的に容易にし、チベット駐留の軍人の数を増す
ことにつながるのであろう。ライディは演説の中で、「漢族幹部と他の少数民族幹部と
の関係を長く安定的なものにすることは、国家統一を守るためにも必要なことである」
と述べている。青海省およびチベット自治区からの報告では、鉄道建設開始の日程は確
認できない。青海省政府主席の青海省省長の田成平(ティェン・チェンピン)は、
4月8日に開催された第8回青海
省人民大会の第4回会議において、9期目の経済発展5カ年計画を実施すると宣言し
た。「2010年までに(チベット鉄道)建設を完工するために、可能な限りの努力を
する」と、彼は語っている。青海日報の11月6日の記事によれば、工事は「来年(
1999年)か再来年」には始まるとのことである。12月3日付けの西蔵人民放送
は、建設は「間もなく」始まると伝えている。

以上

(翻訳者 小林秀英)

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英語の原文はTibet Information NetworkのホームページまたはWorld Tibet Network Newsで読めます。
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