27号(1998年5月)

 ドラプチ刑務所内の抗議運動で明らかとなった
 チベットの刑務所訪問の『危険性』

TIN News Update, 19 March 1998
Drapchi protest highlights 'danger' of prison visits in Tibet

西欧代表団がチベットの刑務所を訪問することを中国政府は既に認めているが、昨年
10月国連代表団が刑務所を訪問した際に、ラサの刑務所の中で抗議運動が展開された
との報告から、再考を求める声が上がっている。抗議運動に参加した囚人たちは、ダラ
イ・ラマ法王への支持を表明したとのことであったが、恣意的拘束に関する国連調査団
の専門家らが刑務所を出た後に、囚人たちは殴打され、独房に入れられたと言われてい
る。この調査団の報告書は公刊されたばかりであり、来月ジュネーブで開催される国連
人権委員会に提出されることになっているが、この事件については全く触れられていな
い。また国連の調査団がチベットを去った後に、抗議運動に参加した囚人たちが如何な
る待遇受けたかについて、調査も全く行われていない。国連人権委員会の広報官は、調
査団の訪問を「概して成功であった」と評価しているが、抗議運動については知らない
と語っている。


英国外交部の広報官もこの事件のことを知らなかったが、5月に訪問予定の欧州連合の
公式代表団の訪問準備には、事件のことも考慮に入れなければならないだろうと語っ
た。この訪問は、中国の人権侵害を非難する国連の決議に欧州連合が与しない決定をし
た後に、認められたものである。「全ての人権侵害の報告は憂慮すべきものであり、我
々はこのことを重大だと考えている」と、広報官は語った。

非公式情報筋が伝えるところでは、昨年10月11日の国連調査団の訪問を前にして抗
議運動を展開する可能性を話し合うために、ドラプチ刑務所に収監されている囚人の何
人かが集合したという。非公式情報筋はその氏名も挙げている。調査団が到着すると、
一般犯罪で捕まっていたソナム・ツェワンが立ち上がって、「ダライ・ラマ法王万歳」
と叫んだ。調査団の一員は、「我々は不意をつかれてびっくりした。気の毒にその男は
震えており、とても興奮していた。しかし、大変な勇気の持ち主であることははっきり
していた」と語っている。ソナム・ツェワンは、その後調査団が直接面接した10人の
囚人の1人となった。

国連調査団の団長カピール・シーバル氏は、ドラプチ刑務所訪問中に抗議運動が発生し
たか否かについては、肯定も否定もしてはいない。事件について尋ねられて、彼は「我
々の旅行は、法的な委任を受けたものであった」と述べ、次のように付け加えた。「我
々の訪問の成果に基づけば、特定の人のために何かがなされなければならないことが判
明した。我々はさらに調査をすることになろう」。中国政府は、この事件の後に処罰さ
れた囚人は一人もいない、と確約したと伝えられている。しかしTINに届いた非公式
報告によると、数人の囚人がその後看守や幹部に殴打され、事情聴取を受けたという。
ソナム・ツェワンも、その事情聴取を受けた1人であった。

信頼できる非公式情報筋が伝えるところでは、「数人の囚人は、毎日非常に激しい拷問
と取り調べを受けた。そういった事件が続いたために、囚人たちの監視が強化されただ
けでなく、チベット人幹部たちも秘密裏に監視されるようになった」という。同情報筋
はまた、数人のチベット人幹部が配置転換になり、刑務所内の中国人幹部の数は急増し
たとも伝えている。

ニューヨークの人権監視団(Human Rights Watch)の広報官は、「概して言えば、人権
監視団はチベットを訪問しようという代表団に対して、刑務所を訪れないように忠告し
ている。意図せずに囚人たちを窮地に陥れてしまう危険性があるからだ。この最近の事
件も、明らかにそういった危険性が存在することを示している」と語った。

国連人権委員会の広報官ジョーン・ミル氏は、調査団は11日掛かりで中国の刑務所や
拘置所を訪問し、「概して成功であった」と語った。国連の調査団が任意に選んだ囚人
に面接できたのは、初めてで前例のないことであったという。抗議運動が発生したこと
を知っているかと問われて、訪問の後の囚人の待遇に関して国連が調査をするか否か
を、はっきりとさせたいとミル氏は語った。

調査団がドラプチ刑務所内での『面接』に、通訳として囚人仲間を使ったことも、調査
結果の信頼性について議論を生む原因となっていると思われる。調査団は報告書の中
で、ドラプチ刑務所について2回言及している。公式なチベット人通訳を提供しようと
いう中国政府の申し出に対して、調査団はこれを拒み、囚人の中から任意に人を選んだ
方が信頼できると考えた。選出された囚人が後に刑務所当局によって困難な目に直面し
たか、については報告書は触れていない。調査団は任意に囚人を選んで面接をした。ま
た政治囚については、調査団が提出したリストの中から中国政府が人を選び、調査団が
その人に面接する方法を取った。

ドラプチ刑務所には968人の囚人が収容されており、その内の78パーセントがチベ
ット人であると告げられたと、調査団の報告書は述べている。囚人たちは、出獄後に仕
事を見つけるために、教育を受けたり職業訓練を受けているという。調査団の訪問から
2週間後の1997年10月24日にも、新華社電が同じ数値を報道している。

外国代表団のドラプチ刑務所の訪問は今回が3回目であるが、代表団の公式報告書には
抗議運動に関する記述は見当たらない。1991年にジェームズ・リリー米国大使が訪
問した際には、大使に請願書を手渡そうとした囚人がおり、その後少なくとも5人のチ
ベット人が激しい殴打を受け、独房に入れられたことが判っている。請願書には、拷問
を受けた囚人たちの氏名が記されていた、と伝えられている。代表団に同行していた中
国人女性がリリー大使の手から請願書をもぎ取り、大使は同文書を持たずに刑務所を去
った。60才代のタンカ・ジグメ・サンポという名の囚人が、毛沢東を攻撃するスロー
ガンを叫んで20年の刑を受けて収監されていたが、1991年12月スイスの代表団
がドラプチ刑務所を訪れた際に『チベットに自由を』と叫んだ。刑務所当局は、タンカ
・ジグメの刑期を8年延長し、彼は2011年に85才になるまで収監されることと
なった。この2つの事例の場合にも、ずっと後にTINがこのニュースを公表するま
で、両方の西欧政府とも問題にしようとはしなかった。

欧州連合の3カ国、チベット訪問の予定

英国、ルクセンブルク、オーストリアの3カ国の駐中国大使が、欧州連合の代表を同道
して5月4日(月)からチベットを訪問すると、中国政府外務省は発表した。この訪問
は、英国が議長を務める欧州連合が国連人権委員会の来る年次総会において、中国に対
する決議を提案あるいは支持しないことを条件に、確約されたものである。「欧州連合
と中国の人権対話の結論をまず推進するために」、欧州連合の議長国もまた欧州連合に
所属するいかなる国も、中国非難決議の提案国もしくは共同提案国にならないとの声明
が、2月23日にブリュセルの欧州連合諸国外務大臣会議において出された。それに対
して、中国政府は欧州連合の代表団がチベットを訪問するとの発表をしたものである。

英国のロビン・クック外務大臣は1月に中国を訪問し、江沢民国家主席や当時の外務大
臣銭其深と会談し、「お互いの共通の利益になる多くの事柄に関して、協力関係を深め
るために広大な道を新たに歩み始めよう」との合意に達したと発表をした。最初の欧州
連合と中国の首脳会議が、4月に開催される第2回アジア・ヨーロッパ会議の間に、開
かれることになっている。

欧州連合の外交部は、欧州連合の外交代表団がチベットを訪問する際に議題となるもの
は、『民族比率(チベット在住の漢人とチベット人の数に関するもの)』、宗教的自
由、経済発展等である、と語っている。また、ドラプチ刑務所の訪問も予定に入ってい
ることが公表されている。

以上

(翻訳者 小林秀英)


解説

 今回のTINのニュースにおいて、西側諸国によるチベットの人権状況の現地調査な
るものの、実態と問題点が見事に明らかにされている。それによれば、監獄などの調査
においてチベットの人々は実情を訴えようとするが、それを口実に弾圧は強化されてし
まう。しかも実情は正確に調査できないし、真実は報告されない。これでは却って調査
そのものが甚だしく有害である。にもかかわらず今回EU(欧州連合)は、毎年春に開
催される国連人権委員会において、1989年の天安門事件以来、常に提出して来た中
国の人権状況を批判する決議案を、チベットでの調査を条件として、提出しないことを
決定した。何故このような異常な事態になったのか。その経緯と原因を説明しておきた
い。
 西側先進国の対中国人権政策の大きな変化は、実は昨年すでに明白に現れていた。中
国非難決議案は従来EUが中心となってまとめ、米国・日本などが参加していたのだ
が、昨年はEUの五カ国が参加しなかった。その五カ国には、EUの中核であるフラン
ス・ドイツが含まれており、EU以外ではカナダ・オーストラリア・日本も加わらなか
った。そして昨年は提案に参加した英国・米国も、今年は提案しない姿勢を見せている
から、中国に対する人権非難決議案は完全に消滅する可能性が強い。
 米国の国務省はその理由として、魏京生が釈放されたこと、中国が人権条約の署名に
前向きの姿勢を見せていることを上げているが、これは全く筋の通らない理屈である。
有名な魏京生1人が釈放されたからと言って、他の無名な膨大な数の政治犯が釈放され
た訳ではない。中国は人権条約に署名したとしても、それを忠実に順守するような国で
はない。中国における人権状況の凄まじさは、死刑問題を考えて見れば簡単に分かる。
中国の死刑者の数は急激に増加しており、アムネスティーの報告によれば、1996年
のそれは四千数百人に上った。これだけで全世界の死刑者の九割になるのだが、これは
判明しただけで実際は更に多いと考えられるから、世界の死刑の殆どは中国で行われて
いるのである。しかも司法制度がデタラメで、冤罪者すなわち無実の罪で殺された人々
が数多く含まれているに違いない。
 では従来人権問題で高邁な主張を行って来た欧米先進国が、中国の人権問題について
何故このような無様な変節を遂げてしまったのか。それは中国の経済的成長にともなう
経済関係の強化の前に、人権問題が邪魔になったからである。つまり経済的利益のため
に正義を売り渡してしまったのであり、それはエコノミック・アニマルの証明に外なら
ない。歴史の逆行に加担するような国が、『先進国』である訳がない。欧米諸国の権威
は、明らかに大きく失墜した。

チベット人権擁護国際キャンペーン/チベット問題を考える会 代表 酒井信彦

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 パンチェン・ラマの所在に関して錯綜する情報

TIN News Update, 30 March 1998
Conflicting Reports on Location of Panchen Lama

ダライ・ラマ法王がパンチェン・ラマ10世の転生化身と認定した、8才の少年の所在
について、中国政府は2つの矛盾した情報を提示している。中国政府は西欧の2つの代
表団に対して、それぞれ異なったコメントを与えた。代表団の1つは、オーストリアの
外務大臣ヴォルフガング・シュッセルもその一員となっているものであり、もう1つは
米国の3つの宗教団体の指導者たちが参加しているものである。この代表団に加わった
福音キリスト教会の会員は、米国に帰国後に波紋を投げかけるような意見を述べた。チ
ベット人は、仏教信仰に「精神的に束縛されている」と語ったのだ。これは、彼らの教
団の活動がチベットにおいて容認されたことを示すものなのであろう。

両方の代表団とも、2週間前に公開した公式報告書では、若きパンチェン・ラマの所在
に関しては全く触れていない。しかし、チベット自治区の副主席ヤン・チャンタンは、
オーストリアの代表団に対して、ゲンドゥン・チェーキ・ニマ少年はチベットのラリ村
に暮らしていると語ったという。ラリ村は、ラサの250km離れたナクチェ県に属す
る村で、少年の故郷である。これに対して米国の宗教家グループは、これまでの報告が
仄めかして来たように、北京にいるとの説明を受けた。

ここで少年の所在について提示された情報は、これまで中国政府が詳細な情報を元にし
た質問に回答して来た事実に比べれば、対して重要なものではないと、オーストリア外
務省の広報官は感じたという。「我々はこれはメッセージであると考えた。勿論、パン
チェン・ラマは移動することもあろう。しかし、彼の所在が余りにも率直にまた直接的
に言われたので、将来何らかのグループが彼を訪問することを、政府が許可するのでは
ないかと感じた」と、オーストリア外務省の広報官フローリアン・クレンケル氏はウィ
ーンで語った。中国の報道機関は、昨年9月以来、少年について全く報道していない。
チベット共産党副書記の熱地(ライディ)が、「彼は他の子供と同様に学校に通ってい
る。何の拘束も受けずに完全に自由である」と語ったと、1997年9月16日付けで
香港の報道機関が伝えている。ゲンドゥン・チェーキ・ニマは、1995年5月ダライ
・ラマ法王によって、チベットでも最も高位の宗教指導者の1人、第11世パンチェン
・ラマと認定された。認定から数日後には、彼はラリの自宅から北京に連れて来られた
と思われる。そして中国政府は、6カ月後別に公式なパンチェン・ラマとしてゲンチェ
ン・ノルブを擁立した。

3人の米国の宗教家からなるグループは、2月に3週間に亙って中国を訪問したが、チ
ベットもその中に入っていた。この種の代表団が、信仰の自由に関して高位の役人と協
議し、またチベットの刑務所を訪問するのは、初めてのことであると言われている。1
997年にチベットを訪問した西欧の代表団は、スイス政府代表団、ドイツ連邦議会代
表団、フランスとイスラエルの駐中国大使ら、おそらく10団体を数えるであろう。そ
の内の数団体、スイスとドイツの代表団や国連の恣意的拘束に関する調査団等は、ドラ
プチ刑務所を公式に訪問している。ドイツ連邦議会のアンジェ・ボルマー博士は、19
97年9月3日に声明を発表し、彼女の刑務所訪問に関する新華社の報道に反論し、彼
女の訪問は『管理されていた』との、印象を受けていると語った。

米国の3つの宗教団体が派遣した代表団は、ラサのドラプチ刑務所で2人の政治囚に面
接したが、中国政府は彼らの氏名を正しく伝えなかった、とTINに語った。「我々
が、何人かの政治囚に会いたいと言うと、中国政府は2人の尼僧を連れて来た」と、福
音国民協会政治分析部のリチャード・シジク師は語る。「1人の尼僧は40才代、もう
1人は20才代でした。後に氏名を尋ねると、役人たちは意図的に綴りを間違えている
ようでした。私は若い方の尼僧の顔を忘れることができません。並んだ政治囚の列の中
から選び出されたのですが、最初は戸惑いがそして次には恐怖の表情がありありと浮か
んでいました。それが、宗教的な理由で投獄されている人々がどんな待遇を受けている
かの、真実の印象なのです」と、シジク氏は語った。

このグループは、ラサの中心寺院であるジョカン寺で、僧侶や尼僧に接触することがで
きなかった。「広場は人々で賑わっていましたが、寺の本堂の中には人っ子一人いなか
ったのです。我々と面接させるために、僧侶も尼僧も投獄されていたわけではないので
しょうが」と、シジク氏は語った。しかしオーストリアの代表団は、宗教施設を訪問す
ることは自由であったと語っている。「我々は、ラサのデブン僧院やジョカン寺を訪れ
た。自由に歩き回って、和やかに僧侶や尼僧とも話ができた」と、フローリアン・クレ
ンケル氏は語った。

福音国民協会の会長であり、また米国宗教家代表団の指導者でもあったドナルド・アギ
ュー師は、米国に帰って来ると、中国の宗教的迫害に対応するために経済制裁を課すこ
とに反対の意見を述べた。彼が中国で意見を交したキリスト教徒たちは、経済制裁に反
対する彼の姿勢を支持したという。3月4日にサウス・チャイナ・モーニング・ポスト
誌に掲載されたナイト・リダーの報告書によれば、アギュー師はフロリダで開催された
福音国民協会の会議において、チベット人は仏教を信仰する余りに「精神的に束縛され
て」おり、「キリスト教福音主義に心を向ける時期は熟している」と語った。同代表団
の一員は、会議は私的なものであり、アギュー師のコメントは公開されることを意図し
たものではない、と後に語った。

「精神的に束縛されている」との用語は、キリスト教徒福音主義派の人々が良く使う表
現で、同キリスト教団は過去10年近くチベットで活動を続けている。またあるキリス
ト教原理主義のグループも、チベット人をキリスト教徒に改宗させるために、身分を偽
ってでも布教師らを派遣すべきだとの意見を、度々公表している。最近では1997年
に、この呼び掛けを行っている。この呼び掛けは、米国に拠点を置く『The Sowers
Ministry(種蒔き布教団)』という組織が行っているものである。このグループは、チ
ベット仏教を『悪魔的精神束縛』と評しており、その会報でも「仲介者を通して、チベ
ットにキリスト教の福音を伝える準備を、我々はしなければならない」と述べている。

リチャード・シジク師は、ドン・アギュー師の意見にコメントを寄せることはしなかっ
たが、チベット訪問の最中にはTINに次のように語っていた。「我々が常に言明して
来たことは、仏教信仰に対する迫害も抑圧も全く容認できないことであり、それは国際
的な基準を犯す行為である」

チベットにおける中国人の業績

この2つの代表団は、チベットにおける中国人の業績に好意的な意見を表明している。
ドナルド・アギュー師は、「中国政府はチベットに対して、多くの建設的なことを行っ
ている」と述べた。オーストリアの外務大臣ヴォルフガング・シュッセル氏は、チベッ
トの経済を発展させ、またチベットの文化的遺産を保護する努力をしているとして、中
国政府を称賛した。

外務省広報官のフローリアン・クレンケル氏は、現在オーストリア政府は中国政府と協
力して、幾つかの僧院の修復を援助している、と語った。3月25日付けの新華社電
は、青海省社会科学院チベット学研究所の準研究員であるヘー・フェンの解説を引用し
て、文化大革命中に破壊されたチベット仏教寺院を修復するために、中国政府は197
8年に30億元(3億6千万ドル、468億円)を費やした、と報じている。

また両方の代表団とも、中国政府がチベットで実施している愛国教育キャンペーンを称
賛している。このキャンペーンでは、僧侶や尼僧はダライ・ラマ法王を非難させられ、
チベットの歴史に関する質問に無理やり答えさせられている。もし答えが間違っていれ
ば、僧院や尼僧院から追放されることになる。愛国教育キャンペーンの重要性は、最近
も多くの公式発言の中で強調されている。熱地(ライディ)チベット自治区人民代表大
会主席は、今月初旬北京の記者会見で、チベット人は以前よりももっと多くの宗教的自
由を享受し、また財産を得ている、と語った。700カ所の宗教施設の3万5千人の僧
侶や尼僧が、愛国教育キャンペーンを受けて矯正された、とも述べている。「愛国教育
はとても良い結果をもたらした。セラ、デブン、ガンデンの3大僧院の状況は安定して
おり、通常の宗教活動はいつも通り続けられている」と、彼は続けた。

以上

(翻訳者 小林秀英)

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 ダライ・ラマ法王による声明

World Tibet Network News, 28 April 1998
Statement by His Holiness the Dalai Lama

最近、6人のチベット人が、チベット青年会議の組織する無期限ハンガーストライキ
を行なった。今月(訳註・4月)はじめに彼らを訪問したとき、私は無期限ハンガー
ストライキを含むあらゆる形の暴力には反対だと彼らに言った。

昨日、私たちは、生きながらにして自らの体に火を放ったチベット人男性の、最も不
運な事件を目撃した。私は、このことに深い悲しみを感じている。長年にわたって私
は、私たちの自由のための闘いにおいて暴力を避けるよう、チベット人たちを説得す
ることができていた。今日、無期限ハンストや昨日の悲劇に見られるように、不満感
と危機感が多くのチベット人たちの間に高まってきているのは明らかだ。

この不満は、独自の文化的伝統をもつチベットの人々が、この地上から徐々に消され
ていこうとしているという事実に由来するものだ。これは世界全体にとって悲劇であ
る。チベット文化は、世界と中国の兄弟姉妹のために寄与する莫大な可能性をもって
いるのだから。

私は彼らの方法には同意しないが、これらのチベット人たちの動機と決意を大いに賞
賛する。彼らは、個人的な目的のためではなく、600万チベット人の権利と、その文
化の存続のために死のうとしていたのだ。

私は、国際社会に対し、チベットの問題へのより実質的な意味での支持の拡大を要請
する。そして、各政府、国際的な話し合いの場に対し、チベットの問題を平和的に解
決するための真剣な努力を要請する。


ダライ・ラマ
1998年4月28日

以上
(翻訳者:長田幸康)

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 ダライ・ラマ、誤りを認める

World Tibet Network News, 29 April 1998
Dalai Lama Admits Failure

【ニューデリー・1998年4月29日AP電】
 ダライ・ラマは長い間、中国による母国支配に対して反対運動をする同胞たちに、
穏和と忍耐を説いてきた。
 しかしいま、この政治的・精神的指導者は、拡大するハンガーストライキと自らの
体に火を放った男性の死によって、不満を抱えた絶望的なチベット人らの目から見れ
ば、自らの穏健なアプローチは失敗であったと認めている。
 このダライ・ラマの反応は、チベット独立運動にとって分岐点となるかもしれない
。彼は、ハンガーストライキや自殺が仏教徒の非暴力の伝統に背くものであることを
繰り返しながらも、他に解決策を何も提示することができないことを認めたのである。
「長年にわたって私は、私たちの自由への闘いにおいて、暴力を避けるようにとチベ
ット人たちを説得することができていた。」
 ダライ・ラマは水曜(訳註・4月29日)、月曜に中国のチベット支配に反対するデ
モの途中で焼身自殺をはかったトゥプテン・ングゥドゥプを訪ねた後でこう述べた。
 ングゥドゥプは水曜に亡くなった。焼身自殺で死んだ初めての亡命チベット人だ。
「今日、無期限ハンストやこの悲劇に見られるように、不満感と危機感が多くのチベ
ット人たちの間に高まってきているのは明らかだ。」
 ダライ・ラマはこう述べた。
 彼を菩薩の生まれ変わりだと信ずる信者たちは、彼の許しを、ハンストや自殺のよ
うなより強力な戦略を承認したことだと解釈するかもしれない。
 「慈悲の大海」という称号をもつダライ・ラマは、政府や宗教界のトップ、有力者
たちにロビー活動を展開し、中国をチベットでの自治拡大に向かわせようと試みてき
た。しかし、1950年にチベットに侵攻し、その9年後にチベットを併合した中国は、
動かなかった。
 彼は言った。
「そういう意味では、私の努力は失敗だった」

 若い世代の武装派たちは、ダライ・ラマの穏健路線へのいらだちを表明している。
「我々チベット人たちは、答えを必要としているのだ」
 ングゥドゥプの焼身自殺へと帰着したハンガーストライキを組織したチベット青年
会議のツェテン・ノルブ議長はこう言う。
「我々はどれだけ長い間、待って待って待ちつづけねばならないのか?」
 チベット青年会議は長い間、もっと強力な手段を主張してきた。過去にダライ・ラ
マが介入して同様の抗議行動をやめせたにもかかわらず、今回のハンストを組織した
のだ。
 ニューデリーのジャワハルラル・ネルー大学のチベット学教授ダワ・ノルブは、ダ
ライ・ラマのこの承認は、若者たちは自分たちのアプローチで前進するべきだという
指示なのだと語る。
「チベット人の若者たちはますます絶望的になっている」

 しかし、チベット外だろうと中国下チベットだろうと、どんなチベット人グループ
も、暴力による活動を自分たちの主義としてもってこようというほど、ダライ・ラマ
の主義を拒んでいるわけでもないようだ。
 ダライ・ラマは、チベットの自由拡大のためにインドで亡命の身にあって活動をす
る10万人のチベット出身者たち、そしてチベットに住む600万人ものチベット人たち
の宗教的・政治的指導者である。
 多くのチベット人は、彼を菩薩の生まれ変わりだと信ずる。過激派が彼の方針にそ
ぐわなくとも、彼の権威に挑む者はほとんどいない。

 50歳の元僧侶ングゥドゥプは、最初の6人がハンストをやめさせられた後、ハンス
トを引き継ぐメンバーの1人だった。火曜(訳註・4月28日)、5人の男性がハンス
トを始めた。
 ングゥドゥプは、日曜と月曜にインド警察が6人のハンスト中のチベット人を強制
入院させた後(インド警察はこれを人道的見地による処置と主張している)、自らの
体に火を放った。
「この焼身自殺は最も劇的な始まりの一つだ。」
 ニューデリーのジャワハルラル・ネルー大学のマヘンドラ・ラマ教授は言う。
 しかし、ラマ教授は、国際的な支援がなければ、ハンストや焼身自殺のような抗議
行動も大きくは拡大しえないだろうと述べた。

 水曜日(訳註・4月29日)の通夜のとき、ングゥドウプの柩に立てかけられた手書
きの看板が、チベット人「1人1人が」彼の後に続くだろうと宣言していた。しかし
、このような過激な方法が全員の好みに合うわけではない。

「この犠牲によって、人々は独立を達成しようとさらに堅く決意すると思う。」
 通夜に参列した21歳のヤンキはこう言った。
「でも、個人的には、平和的に戦いを進めていくほうがいいと思う。」

以上
(翻訳者:長田幸康)

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英語の原文はTibet Information NetworkのホームページまたはWorld Tibet Network Newsで読めます。
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