26号(1998年3月)


チベット民族蜂起39周年記念日
ダライ・ラマ法王の声明


 西暦2000年代も間近に迫った今日、世界の至るところで大きな変化が生じていま
す。新たな紛争発生の事例もある一方で、世界の多くの地域で問題解決に向けて対話と
和解の精神が芽生えている点は見逃せません。これは、とても望ましい傾向です。ある
意味で、この20世紀は戦争と流血の世紀と呼ぶこともできるでしょう。けれども今世
紀の苦い経験から大多数の人間が教訓を得たであろうと、私は信じております。その結
果、人間社会は一層成熟の度を増したはずです。従って、決意と献身さえあれば、来る
べき21世紀を対話と非暴力による紛争解決の世紀とすることも、決して夢ではありま
せん。
 本日、私たちはチベットの自由のための運動を開始してから、39周年の記念日を迎
えました。私はこの機会を借り、逆境に直面したチベット国民が発揮している不屈の精
神と忍耐強さに対し、心からの感謝と深い敬意を表明したいと思います。チベット本土
の現状、とりわけチベット問題解決の糸口が見いだせないことにより、多くのチベット
人たちの間で不満感が高まっていることは間違いありません。もはや平和的な解決以外
の方向へ活路を見出さざるを得ないと、一部の人々が感じてしまうことを、私はとても
憂慮しています。そういう人たちの置かれている苦境はよく理解できますが、我々の自
由のための運動で非暴力路線を堅持することの重要性を、私は再度強調したいと思いま
す。自由を求める長く険しい道程にあって、非暴力路線は常にその大原則であるべきで
す。長期的には、そうしたやり方こそが最も有利かつ現実的な道であることを、私は確
信しています。これまで平和的に運動を展開してきた成果として、私たちは国際社会か
らの共感と賞賛を得ることができました。こうした非暴力による自由のための運動を通
じ、私たちは一つの実例を築き上げ、それによって非暴力と対話の政治風土を地球規模
で育んでいくことに貢献しているのです。
 世界規模の広範な変化の波は、中国をも呑み込んでいます。沛ャ平氏によって口火を
切られた改革は、中国の経済ばかりでなく、政治制度をも変えつつあります。つまりイ
デオロギーが弱まり、大衆動員への依存度が低下し、威圧的な姿勢も和らぎ、一般市民
にとっても息苦しさが少なくなる、といった変化が生じています。政府が以前よりずっ
と分権的になっている点も、注目に値するでしょう。さらに沛ャ平氏以後の中国指導部
は、国際政策の面でも一層柔軟になっているように思われます。その兆候の一つは、中
国がより積極的に国際会議に参加し、国際組織や機関に協力するようになって来た点で
す。特筆すべき進歩と成果は、昨年の香港返還が円滑に行われ、その後も北京が香港に
関する問題に現実的かつ柔軟に対応して来たことでしょう。さらに台湾との直接交渉再
開について最近北京から出された一連の声明も、中国側の姿勢が明かに軟化している事
実を反映しています。いずれにせよ、今日の中国が15年ないし20年前と比べて住み
やすい場所になっている点は、もはや疑いようもありません。これらは、賞賛に値する
歴史的な変化です。しかしながら、中国は依然として重大な人権問題をはじめ、深刻な
難題を抱えています。中国の新しい指導部が自信をもって、より大きな自由を国民に与
える先見性と勇気を獲得するように、私は希望しております。いかなる社会において
も、物質的な進歩と快適さだけで、人々の求めるものを完全に満たすことはできませ
ん。それは歴史を顧みるならば明らかです。
 中国自身の発展に関しては、こうした明るい要素が見られますが、その反面でチベッ
トの状況は、残念ながらここ数年悪化の一途を辿っています。チベット文化の計画的な
抹殺とも言うべき政策を、北京が断行しようとしていることは今や明白です。チベット
の宗教や民主主義に対する悪名高い『強打(Strike Hard)』キャンペーンは、年々強
化されています。この弾圧キャンペーンは、当初僧院や尼僧院を狙い撃ちにしていまし
たが、今ではチベット社会のあらゆる階層に対象を広げています。チベット人の生活の
ある領域においては、『文化大革命』当時を彷彿とさせるような脅迫と威圧と恐怖に満
ちた雰囲気が、戻って来ているのです。
 チベットでは、人権侵害の事例が増加し続けています。これらの権利の蹂躙は、明か
な特徴をもっています。チベット人たちを骨抜きにして、民族独自のアイデンティティ
ーや文化を主張したり、それらを守って行こうと望んだりするような、そういった気概
を奪ってしまうことこそがその狙いなのです。チベットの仏教文化は、慈しみを思いや
りを根本とし、そうした価値や概念を通じて、チベット人たちを鼓舞しています。それ
は、実際に有益で、しかも日常生活に即した文化であり、だからこそ守って行く必要が
あるのです。このようにチベットにおける人権侵害は、しばしば民族的あるいは文化的
な差別政策の結果として生じているのであり、より深い問題の兆候や帰結に過ぎませ
ん。それだからこそ、チベットで多少の経済発展があったにも拘わらず、人権状況は改
善されていないのです。チベット問題の根幹に踏み込まない限り、人権問題を克服する
ことはできません。
 チベットにおける悲しむべき事態が、チベットの利益にも中国の利益にもならないこ
とは、火を見るよりも明らかです。現在の状況が続く限り、チベットの人々の苦しみが
減ることはあり得ないし、中国も北京の指導部にとっての最優先課題、すなわち安定と
統一を確保することができないでしょう。中国指導部の主な関心事の一つは、国際的な
イメージと立場を改善することです。しかしながら、チベット問題を平和裏に解決でき
ていないからこそ、中国の国際的なイメージや評価は傷ついているのです。チベット問
題の解決は、中国の対外イメージ向上に量り知れない好影響を及ぼし、香港や台湾との
関係にもプラスになることは間違いありません。
 チベット問題を相互に受け入れ可能な形で解決することについて、私の立場は極めて
単純明快です。私は独立を求めてはおりません。これまでも何回も申し上げて来たよう
に、私が求めているのは真の自治を獲得する機会が、チベット人に与えられることで
す。それは何のためかと言えば、チベット文明を保存するとともに、その独自の文化、
宗教、言語、生活様式を育成・振興するためにほかなりません。チベットの人々が、自
らの独特な仏教文化の伝統を守りながら生存して行ける状況を、間違いなく確保するこ
とこそ、私の主要な関心事なのです。そのためには、過去数十年の経験からも明かに見
て取れるように、チベット人たちがチベットの内政全般を掌握し、社会や経済や文化の
面での発展を自由に決められる仕組みが欠かせません。中国の指導部とて、基本的には
この点に何の異論もなかろうと思います。歴代の中国指導部は、チベットにおける中国
の存在について、チベット人の福利向上のために機能し、チベットの「発展を助ける」
ものだということを、常に強調して来ました。したがって政治的にその意志さえあれ
ば、我々との対話を始めてチベット問題の解決に着手することが、中国の指導部にとっ
て不可能な筈がありません。これこそ、中国指導部が自ら最大の関心事だと強調してい
る安定と統一を確保するための、唯一の正しい道筋なのです。
 この機会を借りて中国の指導部に対し、私の諸提案を実質的に検討して下さるよう、
再度促したいと思います。対話、そしてチベットの現実を率直に直視する意志こそが、
実現可能な解決へと私たちを導いてくれるのです。私たちの全てが、実際に発生したこ
とから真実を探求し、過去を冷静かつ客観的に研究した成果に学び、勇気と洞察と英知
をもって行動すべきであり、今やその機は熟しています。
 交渉では、友好と互恵に基づいて、チベットと中国両国民の間の関係確立を目指さな
ければなりません。そして安定と統一を確保すること、自由と民主主義に基づく真の自
治権をチベットの人々に付与すること、その結果として彼らがチベットの独自の文化を
保存・育成できるようにすること、またチベット高原のデリケートな環境を保護できる
ようにすることなどは、交渉によって目指すべきなのです。これらは基本的な事柄で
す。しかし中国政府は、問われるべき真の問題から焦点をそらそうと、様々な努力を続
けています。彼らは私たちの運動が目指しているものを歪曲し、チベットの古い社会制
度やダライ・ラマの地位と特権を回復しようと目論んでいると主張しています。けれど
も、ダライ・ラマ法王制度に関する限り、1969年に私の考え方を公表し、その中で
制度存続の可否を決めるのはチベット国民だと明言した筈です。さらに私自身は、19
92年の公式声明において、この点を一層明確にしました。つまり、私たちが将来チベ
ット本土に帰還した暁には、私自身はいかなるチベット政府の地位にも就かないという
ことです。亡命チベット人にせよ、本土に居住しているチベット人にせよ、チベットの
古い社会制度の復活を望むものなど一人もいません。したがって中国政府がこうした根
拠のない歪曲されたプロパガンダを流し続けても、全く意味のないことです。これは、
対話へ向けた良好な環境作りに役立ちません。そうした無意味な主張を、北京が撤回す
るように私は希望しております。
 多くの国の政府、議会、非政府組織、チベット支援団体、そして個々人の皆様が、チ
ベット本土における抑圧を深く憂慮し続け、平和裏の交渉を通じてチベット問題を解決
するように促していることに対し、私は心から敬意と謝意を表明したいと存じます。ア
メリカ合衆国は、我々チベット人と中国政府との間の対話を促進するために、率先して
チベット問題担当特別調整官を任命しました。欧州議会とオーストラリア議会も、同様
の提案を提出しました。昨年12月、国際法律家委員会は『チベットー人権と法治』と
題して、チベットに関する3冊目の報告書を発行しました。これらは、いずれも時宜を
得た行動であり、最も励みになる進展です。さらにまた、チベットの人々の基本的な権
利、そして私が採用している『中道的アプローチ』に対し、中国国内あるいは海外にい
る我
らが兄弟姉妹たる中国人の皆様の中で、共感や支持や連帯の輪が広がっている点こそ、
まさに特筆すべき励ましであり、私たちチベット人を大いに勇気づけてくれるもので
す。
 またインドが独立50周年を迎えたこの機会に、私はチベット国民を代表して、心か
ら祝意を表明するとともに、インドの国民と政府に対する限りない敬意と謝意を繰り返
し申し述べたいと存じます。インドは、大多数の亡命チベット人にとって、まさしく第
2の故郷にほかなりません。私たちチベット人難民に、安全な亡命先を提供して下さる
恩人です。そればかりでなく、非暴力主義の哲学や深く根付いた民主主義の伝統を通じ
て、インドは私たちに良き手本を示して下さいました。それを見習いながら、私たちは
自らの価値観と希望を生み出し、形作ってきたのです。そしてチベット問題を平和的に
解決するにあたっても、インドは建設的で影響力のある役割を演じることができるし、
また是非ともそうして頂きたいと思います。私の『中道的アプローチ』は、チベットや
中国に対するインドの基本政策の延長線上にあります。ですから、チベット人たちと中
国政府の間で対話を促進することについて、インドが積極的に関わってはならないとい
う理由など、何一つ見当たりません。チベット高原に平和と安定が訪れなければ、中印
関係の中で本当の信頼と信用を回復しようとしたところで、絵に描いた餅に終わってし
まうことは明らかでしょう。
 将来予定されていた国民投票について、私たちは昨年亡命チベット人たちの世論調査
を実施し、また可能な限りのチベット本土の各地からの提言を集約しました。国民投票
とは、私たちの自由を目指す運動の今後の路線を決定し、それを完全に民意に沿った形
で進めるためのものです。去年の世論調査の結果と本土から集約した提言に基づいて、
チベット国民代議員大会(チベット亡命政権の議会)は、国民投票に頼らず裁量で事に
あたる権限を、引き続き私に委ねる決議を採択しました。私はチベット国民に対し、か
くも絶大な信頼と信任と希望とを私に託して下さったことを、感謝したいと思います。
これまでも採用して来た『中道的アプローチ』が、チベット問題を平和裏に解決するた
めに最も現実的で実際的な道であると、私は信じ続けています。この方法こそ。チベッ
トの人々がどうしても必要とする事柄を満たすとともに、中華人民共和国の安定と統一
をも確保するものです。それゆえに私は、『中道的アプローチ』に全てを託してその路
線を追求し続け、中国の指導部へ働きかけるために誠実な努力を積み重ねて行く所存で
す。
 チベットの自由のために命を捧げた勇敢な人々に対する敬意を込め、我が国民の苦し
みが速やかに終結すること、そして全ての生き物の平和と幸福とを、私は祈りたいと思
います。
 1998年3月10日
     ダライ・ラマ


英語の原文はTibet Information NetworkのホームページまたはWorld Tibet Network Newsで読めます。

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