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チベット大蔵経の郷デルゲ
(2003年&2004年・カム・デルゲ)

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カム(東チベット)の中心都市のひとつデルゲ(四川省徳格)は、経典を印刷するための“パルカン”(印経院)があることで知られている。かつてカム北部一帯を支配したデルゲ王国の古都だ。四川省成都からは車で3日ほど。奥まった場所にあるだけにチベット色は濃い。

←チベットの伝統的な経典は本のようには綴じられていない


デルゲまでの道中。氷河が間近に迫る道沿いに草原が広がり、牧民の黒いテントが点々と散らばる。テントに近づくときには、まず犬がしっかりつながれているかどうかをチェック!

←男たちは昼間、放牧に行ってしまうので、女性と子どもしかいない


標高5050mのト・ラ峠(雀児山)を越えて一気に下ると、川沿いに麦畑が広がるデルゲの中心部。7世紀のチベット王ソンツェン・ガムポのもとで大臣を務めたガル・トンツェンの一族が、デルゲ王家のルーツだとされている。

←デルゲ近くの豊かな谷間


巨大なエンジ色の建物がゴンチェン寺(更慶寺)の本殿。デルゲの町はゴンチェン寺を中心に丘の斜面に開けた。サキャ派独特の白・エンジ・グレーのストライプの壁が目を引く。

←民家は豊富な材木をふんだんに使ったログハウス風


15世紀にデルゲに招かれてゴンチェン寺を開いた行者タントン・ギャルポは、チベットのオペラ“アチェ・ラモ”の創始者として知られる。土木工事(?)にも明るく、チベット各地を飛び回って吊り橋を架けた、多芸多才な修行者だった。

←タントン・ギャルポは結った髪とヒゲがトレードマーク


チベット中にその名を知られる経典の印刷所デルゲ・パルカン(印経院)では、木版を使い、昔ながらの手作業で経典が刷られている。パルカンのまわりには巡礼者たちの姿が一日中絶えない。(デルゲ・パルカンについては『活きている文化遺産デルゲパルカン―チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』という本が出ています)

パルカン内では木版に赤や黒のインクをつけて経典用の紙に印刷する作業が行われている。パルカンの向かいの建物では、職人たちが黙々と版木を彫っていた。職人といっても若者や子どもが多い。パルカン内は見張り付きで見学せねばならず写真も撮れないが、こちらは自由。

まだ若いゴンチェン寺のケンポ(管長)が寺の中を案内してくれた。一緒にいた中国人の目を避けるように僕を仏像の裏に連れ込み、両手を握りしめながら「おぉ〜、日本から来たのか! 日本人は友だちだ」とかなんとか言い始める。坊さんがにこやかに急接近してきたときは要注意。ドラマの始まりだ(笑)。

←ケンポの僧坊にて。年に2〜3人は日本人が来るらしい


孤児や貧しい家庭の子どもたちのための寄宿制学校に案内された。学校は寺が運営しており、ケンポは学校の責任者でもある。100人近くいる子どもたちのために新しい教室が用意できたばかりだ。僧坊でお茶をごちそうになりながら「いっぱい日本人を連れてきてくれ」と頼まれてしまった。予想通りの展開だった(笑)。名刹とはいえ、財政状態はあまりよろしくない。というわけで、デルゲに行かれる方は「更慶寺孤貧援助会」へのご支援をよろしくお願いします。。

デルゲ周辺にはニンマ派やカギュ派の総本山級の大僧院も集まっている。目下売り出し中なのは、世界で最も長い叙事詩と言われる「ケサル王伝」にちなんだ史蹟群。デルゲは、チベット人なら知らない者はいない英雄ケサル王の地元なのだ。さて、ケサル王のミラクルは現代でも通用するだろうか?

←ケサル王はデルゲの北の草原地帯アシュで生まれたと言われている

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