ラルン・ガルは遠かった
(2003年秋/ゴロク・セルタ)

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ケンポ・ジグメ・プンツォク師(写真)が創建した巨大な僧院都市、ラルン・ガル寺(喇榮五明佛学院)を3年ぶりに目指した。成都とラサを結ぶ川蔵公路のタンゴ(炉霍)から北のセルタ(色達)へ向かう道を70km行って、まずはワンダ(翁達)へ。そこからラルン・ガル寺までは70km。3〜4時間で着くはずの距離だったので、気楽にトラックをヒッチした。幌なしトラックの荷台にチベット人巡礼たちと一緒に詰め込まれた。

あぁもう少しでラルン・ガルに着くなぁ〜と気分が盛り上がってきたあたりでトラックが停まった。崖崩れで道がふさがれているのだ。パワーショベルとブルドーザーが作業をしているが、いっこうに復旧する気配はない。開通を待つ車の列はどんどん長くなっていった。そのまま夕刻になり、陽が沈み、トラックの荷台で夜を明かすはめになった。風がないのが幸いだった。そして、朝が来て、昼が来た。結局、車が停まってから動き出すまで、23時間かかった。
←崖崩れ現場。崖の上の寺はたぶんホルシェ寺

2時間ほどでラルン・ガルの谷の入口のチェックポストに着いた。トラックの荷台を見渡した公安は、僕の隣りにいたカムパ商人にどういうわけか目を付け、身分証の提示を求めた。彼はラサにお店ももっていて、あか抜けた服装をしていたからだろうか。結局何ごともなく、トラックはそのまま寺の本堂まで山道を上った。

←ラルン・ガルの周りは草原地帯


8000人とも1万人ともいわれる規模を誇ったラルン・ガル寺は、2001年、当局から規模縮小の命令を受けた。確かに僧坊の数は減っていた。それでもなお谷間をぎっしりと僧坊が埋め尽くしている。僕がお世話になったのは、一旦追い出されたはずの若い活仏の部屋。例のトラックにその弟がたまたま乗っていたからだ。

▲丘の頂にある仏塔

▲仏塔の周りには夜遅くまで巡礼者の姿が絶えない

夕刻、本殿の中庭では問答が行なわれていた。寺の敷地内にある漢族経営の食堂でトゥクパを食べた。商店などは前回来たときよりもずっと増えている。昔泊まったことのある尼僧の僧坊が撤去されていて、ちょっと寂しかった。

←本殿の中庭では問答が行なわれていた。
 建物の飾り付けのセンスがけっこうスゴい(笑)

ある先生の僧坊で夜遅くまで過ごした。彼は弟子たちが作ったトゥクパを食べ、ブラックティーをすすりながら、暗くなった後も訪ねて来る若い僧侶たちに経典の読み方を教えていた。

←正面一番上がケンポ・ジグメ・プンツォク師の僧坊。
 3カ月ほど後、師は次の転生へと旅立った。


チベットの僧院で教えられていることの中身については正直よくわからない。ただ、ラルン・ガルはチベット民族の伝統を伝えていける巨大なセンターとして機能していることは確かだろう。大きけりゃいってもんじゃないが、“勢い”とか“活気”というものは、質を保つ上でもかなり重要なはずだ。稀有のカリスマを失ってしまったラルン・ガルの今後を危ぶみながらも、注目したい。ケンポの転生の行方を楽しみにしつつ。

合掌