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にこやかな坊さんには気をつけろ
(2001年夏・カンゼ)

チベット文化研究会会報(2002年7月号)に掲載されたものに加筆し、写真を一部変更したものです。

 ゴロク・セルタ(四川省色達)で知り合った坊さん(以下ツェリン)と一緒にカンゼ(甘孜)を訪れることになった。ダンゴ(炉霍)のカサル飯店というチベット系の宿から出るバスでたった4時間――いやあ近くなったものだ。ツェリンと一緒に安宿に泊まろうとしたら「外国人はダメ」と言われたため、仕方なくバスターミナル隣りの金耗牛酒店という外国人指定の宿に泊まる。別に金に困っていたわけではないが、おごられる立場であるツェリンが僕に気を使って「一番安い部屋」をあまりに強調したため、シングルベッドに仲良く2人で寝るはめになった。暑苦しかった……。



▲丘の上にそびえるカンゼ・ゴンパ
 ツェリンはセルタのラルン・ガル・ゴンパの僧侶。当局によるリストラ命令で追い出された数千人の僧の一人であり、しばらく寺には戻れないのでいったんイナカに帰るという。「一緒に行こう!」というその心は、もちろん宿代と交通費を布施してくれということである。ところが遊牧民出身のツェリンのイナカはカンゼの町からトラックの荷台に揺られてたっぷり1日の草原地帯にある。そう簡単には車は見つからない。僕も早く成都に行かねばならない事情があり、あまり時間がなかった。アチェン・ガルに行こうなどとも言っていたのだが、結局時間切れでどこへも行けず残念。「次は絶対行こう」なんて誓い合って別れた次第。
 カンゼ中心部の交差点にはカムパ商人たちがいつもたむろしている。カンゼ、デルゲ、成都、ラサなどを行き来する彼らが道端でブツを見せ合って商談をしている姿は、絵に描いたような「昔ながら」だ。彼らの中に「お前とはラサで会ったことがある」と言い張るやつがいた。まあ毎年のように行っているから会っていても不思議はない。

 カンゼの町の北側の丘にはゲルク派のカンゼ・ゴンパ(甘孜寺)がそびえている。どうも賑やかだと思ったら、ふだんは北京の佛学院にいるというナクツァン・リンポチェ7世が法会のために帰省中だという。中庭では100人以上の小坊主たちがタムチャー(問答)をしていた。
 このカンゼ・ゴンパ、本堂は立派なのだが、右手になんとも形容しがたい建物が建っている。4階建てほどのアパートのようなつくりで、横に連なる部屋それぞれに仏像などが祠られている。それぞれの部屋が「××ラカン(堂)」と名づけられていて、それ相当の神仏が壁面に祠られているわけだが、一部屋見るたびに廊下に出て、部屋ごとにドアを開けて参拝していくのは、なんだか博物館のようで今ひとつ気分が乗らない。一つ一つの部屋が狭いため、ふだんしているように仏像などをコルラできないから違和感があるのかもしれない。内部もまだ未完成のようで、壁も真っ白だったりする。
 途中でやめては案内してくれる僧侶に申しわけないので、いちおう最後まで見て回った。ちなみに最上階まで上ると立体マンダラなんぞもあったりする。形式にこだわってはいけないのかもしれないが、どうも納得のいかない味気ない建物だったのは確かだ。

▲カンゼ・ゴンパのお面展示室

 2度目にカンゼ・ゴンパに行った帰り道、メインストリートで異常ににこやかな坊さんに話しかけられた。名をパサンとしておこう。老けて見えるが歳は僕とそう変わらないはず。彼は懐から手帳を取り出して言った。
「電話番号を教えてくれないか」
 ナンパかよ?
 いくらなんでも初対面で名前も聞かないうちに電話番号を教えろはないだろう。立ち話もなんだからということで、前述カムパ商人のたまり場近くの回族のビデオ喫茶に入った。なんだかんだ言っているうちに、パサンはトゥクパをおごってくれて、いつのまにか「寺に来い」という話になっている。今からすぐ来いというのである。
 「近いのか?」と聞くと、「遠くはない」という微妙な返事だった。彼の説明によると、カンゼの町の南を流れる川を渡って、歩いてしばらく行ったところらしいが、どれぐらい「しばらく」なのかが不安だ。
 なぜなら翌朝ダルツェンドに向かうべく午前6時発のバスの切符を買ってあった。今日中に町に戻って来ないとまずいのである。
 しかし、パサンが大丈夫だと言い張るので行ってみることにした。全然大丈夫ではなかった。

 まずは2人でリキシャに乗って橋を渡り、道が続く限り走った。途中で同じ村の男性が歩いているのに追いつき、そこからは3人で歩くことになった。すでに対岸に見えるカンゼの町はかなり遠い。途中いくつも村とゴンパを通り過ぎた。昼間来たらさぞかし気持ちのいい場所なのだろうが、だんだん陽が傾いて暗くなってきた。
 目指す村は豊かな麦畑に囲まれた典型的なカムの農村だった。例によって、寺は村を見下ろすとんでもなく高い丘の上にある。客人が案内されるのは、その頂きにある本殿だ。懐中電灯をもってきてよかった。すでに真っ暗なのである。
 結局カンゼから3時間以上かかった……。

▲ひと休み。対岸のカンゼの町ははるか遠く


「寺の中に入ったら俺のプンジャ(兄弟)だと言え。あまり喋るな」
 とパサンは言う。やはり外国人を寺に泊めるのは多少まずいらしい。しかし、なまじプンジャなどと言ってしまったため、好奇心たっぷりの小坊主などがあれこれ詮索する。幸いチベット人のプンジャの範囲はかなり広いため、パサンがあれこれ言いくるめてごまかしてくれた。小坊主が連発する質問はかなり論理的で的を射ていて、うっかり答えてしまうと窮地に追い込まれそうになる。「さすが問答で鍛えているだけあるな」と妙に感心させられたものだ。
 トゥクパやバター茶をごちそうになった後、その寺のリンポチェのための部屋で一夜を過ごすこととなった。といっても部屋に入った時点で停電していたため、どれほど立派な部屋だったのかは、よくわからない。

 そして翌朝……朝6時のバスになんて間に合うはずもない。パサンはあいかわらずにこやかな笑顔を浮かべながら僕をふもとの村まで連れて行き、町に向かう車はないかとあちこちに声を掛けて探してくれた。バイクが1台見つかって、僕は町まで戻ることができた。その時点ですでに7時近かったのだから、なにも急いで町に戻ることはなかったのだが。
 というわけで、バス代100元余り(こういうときに限って高いデラックスバスだった)は無駄になった。カンゼでいきなり電話番号を尋ねる坊さんに出会ったら、手帳に僕の名前があると思う。やたらと急いでいた変な日本人として記憶されていることであろう。

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